19


慈悲をかけてやってくれ。

風影様はそう言った。
それは正直………、さっぱり意味が解らなかった

いやあの、私別にお釈迦様とかじゃないし、誰かの運命を左右出来るような立場じゃないし、悪いなとは思うんだけど、このキングは何を申しておるかと思ったのが正直なところで。
そうして困惑した私は、助けを求めるように、特に深く考えずに、彼らを、見た。
そこには、あまりに純粋で、あまりに美しい、澄んだガラス玉があった。
見つめ続ける事は、出来なかった。
私に一心に向かう、真摯な瞳が放つ、言葉ではない何か。私には、彼らの言葉を理解出来ないけれど、それは言葉を凌駕していた。言葉よりも、効いた。
無条件で、弱者を守りたいと思うのは、人の情というやつだろうか。捨てられた子犬に見つめられるのが怖くて、足早にその前を通り過ぎるのは、目が合えば情が湧くからだろうか。
見過ごせなく、なるからだろうか。
子犬が3匹。拾ってー、拾ってー、潤んだ瞳で訴える。私は子犬を飼えない。絶対に。だから見つめ合うなんて事は、出来ない。出来ないんだって。飼えないの! お母さんに怒られんの! だから無理なんだってそんな見ないでよ、見、っ……。
ミュウ、小さな鳴き声に、身体が、否、私の矮小な中身が、震えた。
痛む良心からか、逃げたかっただけなのか、ごめんなさい、私が言った筈の謝罪は、何故謝ったのか私自身にもよく解らなかった。
ただあの美しいガラス玉に向ける言葉を、私はこれしか持っていなかった。
私が黙ったその間、代わりに風影様の声が静寂を埋めた。
彼の声は、日本史の先生を思わせた。白髪だらけの年配者で、穏やかで落ち着いた彼の声が、中臣鎌足がどーだ、大化の改新がこーだと説明する度、瞼が重くなった。風影様はあの日本史の先生と同じ穏やかな声を奏でる。眠気が訪れる事はなかった。
神の声を聞く?
神を率いる?
天から、天からって何。
どれも全然私じゃない。
そして変じゃない。いやてか貴方、何回目だと思ってんの! 流石にちょっと自信喪失気味なんですけど! いやいやこの強烈なメンバーの中では一番普通じゃない私! そうさ私は普通だ変じゃない!


「へ?」

「メグミの、落とし子の、その慈悲を得る為に、わしは何をすればよい」


とか思っていたから、ぼっけぼけの反応しか出来なくて。きょとんとした私は、もう一度、言われた事を頭で繰り返す。
何を、したらいいか、訊かれた、のよね。ええとこれは、王様の協力が得られる、って事よね? いいのかな……? や、私にしたら願ったり叶ったりなんだけど……でも、いいのかな。私、きっと風影様が期待するような事、出来ない。あのガラス玉に返す答えは、ごめんなさいしか持ってない。持ってないのに。


「精霊達は日に日に弱っていっておる。このままではいずれ、こやつらも姿を保てなくなるじゃろう。そうなれば、種子を運ぶ作業手がおらん。作業手がおらぬなら、実りは望めん」


風影様に撫でられて、精霊は気持ち良さそうに目を細めている。


「精霊が居らねば、恵みは得られんのじゃ。精霊が滅べば、わしら人間も、滅ぶしかない」


静かで優しい、老人の声。
裾の長い衣が覆い隠す、彼の足元を見つめ、そっと胸を押さえた。
精霊の瞳は、私を待っていたと訴えていた。ずっと、ずっと。私を、否、救世主を。私ではない。私ではないのに、全ては私に向けられている。
ああ今すぐ、今すぐ、あの馬を殴りてぇ
身体のどっかにある、魂とやらが、皆の待ち望む救世主。違う。私は私だ。救世主なんかじゃない。けれど、そう言うのを誰が望む? ただの私を、誰が望む?


「誰だって、滅びなど望んじゃおらん」


――嗚呼、駄目だ。
目を、閉じた。


「じゃから、わしも協力はするつもりじゃ」


いっぱいの期待が、救世主にかけられている。それに、私自身が、応えられない。開き直れば、当り前だ。
だって私ただの女子高生だもん。無理に決まってんじゃん。精霊とだってつい最近初めましてしたばっかりで、耳傾けたってミューミュー言ってるだけだし、理解しようとして目で待ってたとか訴えられても、ようお前ら待たせたな! とかそんな男前な台詞出ないし、出るわきゃねーし、私が何の慈悲をかけられるっていうんだ。私は神様じゃないんだぞ。溢れる慈愛なんて持ってねーんですよ。
求められたって、私は何も持っていない。
けれどごめんなさい以外の言葉を見付けた。きっと今、最も相応しくない、言葉を。


「私、私にもよく解らないんです」


解らない。解らないんだ。何もかも。
精霊が存在する。その力は魔法みたいで、その力を使う魔法使いみたいな人が居て。お城があって。神様が居て。沢山の物事を、ぎゅうぎゅう押し込んで詰め込んで、にもパンクしそうで。きちんと受け止められているかって言ったらそうじゃない。
解んないことばっかりで。今も訳解んないんです。ちゃんと理解出来てないんです。


「何したらいいかなんて知らないんです凄い差異があるんです私とあなた方が言う救世主との間にものすっごい差異があるんですだから私に何だかんだ求められても応えられないし救世主の中身はただの人でまじでなんっっっっも出来ないんです!」


一息で吐き出し、ぽかんとされた。誰にって、全員にだよ!
私だってさ、人情ぐらいあるよ。でもさ、出来ないんだよ。手助けしてやりたくてもさ、出来ないんだよ。宿題忘れたクラスメイトにノート写させてあげるのとは違うんだよ。そんな力量を遥かに越えたお願いされたって、人間が出来ない事は私だって出来ないんだよ。私をなんだと思ってるんだ。万能薬か。スーパーポーションか。


「私、帰りたいんです」


残念なことに、私は万能薬でもスーパーポーションでもない。それが真実だ。
私にとって、救世主の役目たるものは、自分が帰る手段でしかない。それ以上を求められても、正直困るのだ。
今まで生きてきた、15年間、特別な事は何もなくて。特別な事は、何も出来なくて。
でも別に、それでいい。それで良かったんだと、今は強く思う。万能薬でなくていい。特別は要らない。


「それだけです」


無責任に聞こえるかもしれないけれど、元々私が負うべき責任なんてないんだし。そう思う事自体は、自由ではないか。別に悪い事をしているわけじゃない。
けれど、胸を張れる事でも、ない。だから――


「ごめんなさい」


再び頭を下げる。
自分の事、自分の、帰るという目的の方が大事で、良心が痛くて、私を待っていたと訴える瞳が重くて。ごめんなさい。謝ったのはきっと、私が、私だからだ。期待に添えないからでも、罪悪感からでもない。私が、私以外に、なる気がないからだ。
ただの私を、誰が望まなくとも。
それが全て。それが真実。
世界中の捨てられたペットを、私ひとりがどうにかするなんて事は、できはしないのだ。できもしないのに口にすれば、それはただの無責任で。
あなたを、ずっと、待っていた。
ごめんね。私、言ってあげられない。君たちが求めるそれを、言ってあげられない。


「……触ってみんか?」

「は……、さわ、え?」


話の飛び具合に思考が鈍って、ぽかんとする。突然なんだ。触る? 何に? 風影様に? え、何それ意味解んない。


「噛み付いたりせんぞ」

『θψ!』


ミュミュ! っとシルフが抗議するように叫ぶのを聞きながら、えええぇ!? と私は心の中で叫ぶ。べ、別に風影様が噛み付くとかそんな心配してませんけど!? どんな助言!?


「ほれ」

「お、わ………」


密かに狼狽えていれば、風影様はひょいとシルフを手の平に乗せて、差し出した。あ、ああ、そういう意味ね。そこで漸く、彼が先ほどから指し示していたのがシルフだと悟った。
可愛い生き物は、見ればやっぱり触れてみたいと思う。そりゃ、今朝は怖かったけど、さっきも散々な目にあったけど、誘惑には勝てない。ミュウ? と首を傾げる精霊さんの誘惑には、勝てませんとも。可愛いなチクショー!


「え、えと、じゃあ失礼して………わ、ぁ、ふさ、ふさ、だ」


恐る恐る手を出し触れて、溜め息を漏らす。毛玉みたいだ。柔らかい体毛は指に心地よく、まるで上質の絨毯を撫でているかのよう。ただ絨毯と違い、温かい。息づくものの気配がある。呼吸する度小さく揺れる身体を、そっと撫でれば、気持ち良いのか目を細めた。嗚呼、触れてしまった。
存在する。生きている。身近に感じる、いのち。


「……家に送ろう」

「え?」

「長!」


私が見上げたのと、クロウさんが声を出したのは同時。風影様は私の背後を見て、クロウさんだけに目で応えた。無言の制止をかけられて、背後は静かになる。
それから風影様は私に視線を戻すと、誰かに送らせよう、そう言った。
ありがたい申し出だが、生憎私の家は、誰にも辿り着けない場所にある。送って貰いたいのは山々なんですがね。


「いや、あの……」

「じいちゃん、メグミの家は普通じゃ行けないとこにあんだとよ」

「む、そうなのか?」


オズの助け船に、慌ててコクコクと頷く。


「そうなんです。だから、私が帰る為には、神様の解放とやらをしなくちゃならなく、て………」


言葉途中、瞳を僅かに見開いた風影様と、勢い良く私を振り返ったオズに、2人して凝視され、たじろぎ停止する。え、え、何その吃驚顔は。


「それは……、それが、使命?」


背後でぽつりと呟かれた声。


「そ、そうみたい、ですけど」

「それを早く言えよ!」


身を乗り出すオズに言われて、びくんと肩を揺らした後、あれ私酷く回り道してた? と漸く気が付いた。
















正直者は損をする2



(思惑は悟られず)
(外されて)
(思惑のない場所で)
(利害が一致する)



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