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これから梅雨に入ろうという5月の終わり、真新しい制服に身を包んだ1人の少女が、緩く続く坂道を登っていた。
女性特有のしなやかなラインを描く脚は、黒いハイソックスに半分を覆われ、その先、まだ光沢の褪せぬ茶色のローファーが交互に踏み出され度、青いチェック柄のプリーツスカートが揺れた。

少しばかり息を切らせ、坂の天辺まで来ると、少女は大きく息を吐いた。もう朝と言っても日差しは麗らかで、衣替えの済んでいない制服は、坂道を登る作業の後では少々暑い。
考える暇なく慌ただしく家を出てきた彼女は、ブレザーよりカーディガンにしたらよかった………と、自身を覆う紺のブレザーに1度チラリと視線を落としてから、肩に掛けられたブレザーと同じく紺色の、ナイロン鞄を、よいしょと持ち直した。
額にうっすらと浮かぶ汗。
されど線の細い黒髪は、張り付く事なく風に揺れている。

この春高校生となったばかりの少女は遅刻しているにも関わらず、ゆっくりと坂を下り始める。
男性と比べれば長いが、女性の中では平均的長さの睫毛が、彼女の二重の黒い瞳を半分遮っている。坂から校舎を見下ろしている為伏せ目がちな彼女は、何処か眠そうでもあり、否、実際眠いのだろう、くわ、と大口を開けて欠伸を漏らした。
慌てて手で押さえ、あどけなさの残るその顔で、きょろ、と目撃者が居ないか伺う。マイペースなようではあるが、その辺りの感覚は一般の常識と外れていないらしい。
誰も居ない事にほっとし、彼女はまたのんびりと歩を進めた。

程なく学校の門をくぐり、誰もいない下駄箱で靴を履き替えると、そのまま教室へ………、

ではなく、校舎の中にある中庭へと向かった。

新校舎と旧校舎を繋ぐ、渡り廊下の脇に添えられた、小さな中庭。下駄箱と同じく、誰も居ない。
少女は木陰にあるベンチにおもむろに腰を下ろすと、鞄から携帯をとりだし、カチカチとボタンを押し始めた。

「そ一しんっと………」

声は、柔らかく、丸びを帯びていて、耳に心地良い。
呟いて少女は空を見上げ、黒い瞳に流れる雲を映す。
どうやら、動く気はないらしい。


そうして、どれくらいたっただろうか、辺りに鐘の音が響いた。
あのまま空をぼんやり見上げていた少女はそれを聞き、立ち上がると今度こそ教室へ向かった。
休み時間で途端に賑やかになった校内を歩き、例外なく騒がしい自分の教室の扉を、がらり、と開け放つ。

「恵っ!! おはよー!」

教室に入るとすぐさま飛びついてきた少年、いや青年……になりかけの男児に、されるがまま溜め息をつく少女。
“恵”これが彼女の名前だ。

明るい茶色の無造作ヘアに、白いカーディガンの男児は、ぱっと見は派手な印象を受ける。そして小柄な恵をすっぽり覆い、頭に頬ずりしながらだらしなく頬を緩ませている彼は、外見と同じく、中身も緩そうだ。
クラス内の生徒が、一様に視線を注ぐ中、恵は疲れたようにもう1度溜め息を吐いた。
またそうすれば、何事もなかったかのように、クラス内はまたざわつき始める。

と、その時。

バコッ! とけっこうな音を立てて男児の頭に丸められた雑誌が叩きつけられた。
男児が頭を押さえ蹲る。

「いっっってぇえええ!!!」

「朝から盛ってんなよ奏太。あ、恵おはよ!」









幕があがる前






奏太、と呼ばれた男児から解放された恵は、丸めた雑誌を振る少女に、にっこり笑って見せた。

「おはよう彩花。メール見た?」

「うん。てゆーか、一時間目自習だったからなにもなしだよー」

「おお、マジですか。ついてるね私!」

どうやら先ほど中庭で出した携帯は、彩花にメールを――内容は何やら授業に関するもの――送ったものだったようだ。
思わぬ幸運に、ガッツポーズして浮かれる恵の頭を、彩花は微笑んでよしよしと撫でる。

「つーっか! 恵ちゃん!! 俺はシカト!? シカトなの!!?」

いつの間にか復活した奏太が、恵の顔を覗き込んだ。若干涙目だ。
彩花が隣で嫌そうな顔を彼に向けた。
彩花のウザいと言わんばかりの視線に、恵は苦笑を漏らすと、仕方なさそうに、彼へも挨拶を返そうと口を開く。
が。

「あぁ、はいはい……奏太君、おは、」

と、最期まで言い終わる前に、目の端に飛び込んだ何かに意識を奪われた。

「「 ? 」」

固まったまま一点を凝視する恵を不思議に思った2人の友人たちは、彼女の視線の先に振り返る。

が、
何もない。

彼女が見ているのは窓の外。
教室は2階にあり、丁度その下に植えられた木の葉たちが青々と繁っている。
それだけだ。

2人は恵へと視線を戻すと首を傾けた。

「おぉ〜い? 恵ちゃん? どしたぁ?」

奏太が恵の顔の前で手を振った。
だが奏太の疑問には答えず、恵は、あっと小さく声を発すると、窓へ駆け寄った。

そしてそこから、彼女の、のほほんとした生活が一変する。
特に不満もないが、特に刺激もない彼女の日常が、願ってもいないのに、変わってしまうのである。






to be continue ...

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