01



オズ、は、自分の家に帰るらしかった。草迷宮で置いてかれた事に、私は多少なりとも怒っていて、何処に行くかくらい教えろとむくれながら訊いたのだ。

草迷宮を出た後も、オズの家へ向かって、今は両脇を森林に挟まれたならされた土の上――多分道だろう――彼の後を付いて行く。寒くはないけれど、風はやはり強く、幹の白い白樺のような樹の細い枝葉を揺らしている。陽射しは暖かく、黄土色の道と白い樹は眩しく輝いているように見えたが、それを楽しむ余裕はなく、ここで私は、やっと危うく置いて行かれそうになった訳を知る。
オズはリーチの長さを考慮していない。私より遥かに高い位置にある腰の下で、私より遥かに長い脚が、ずんずんと剥き出しの土の上を歩く。見ていると嫉妬を覚えそうなスタイルの良さは、嫉妬を覚える事なく、殺意を抱きそうだ。
何故なら、私は、走っている。

もう1度言う。
私は走っている。

全力とまでいかなくとも、少しでも自分のペースに戻ろうものなら、途端にオズの背中が遠ざかる。
疾走より遅く。競歩より速く。そしてそれが、ずっと続いている。まるでマラソン。1人マラソン大会。何故に。

と言うか。

もう、苦しい、限界……です!


「オ、ズ……! 早い!」


携帯もなければ腕時計もない。一体どれくらいそうしていたかは解らないが、足が重くて歩くのもきつくなるくらいには、経っていた。


「あ? おぉ、悪りぃ悪りぃ。はは、あんたちっさいもんなぁ」


息も絶え絶えに訴えた私に、オズは振り返ってきょとんとしてから、悪気なさそうな笑顔を見せた。
すいません、あの、ちょっとムカつきました。


「ハァ、ハァ、貴方が大きいんです! ハァ、ハァ、……ふぅ」


膝に両手を付いて、息を整えている私の前で、何が可笑しいのか、はははと快活な笑い声が上がっていた。


「もうちょっとだからよ」


彼はそれからがくんとスピードを落としてくれた。もっと早く伝えたら良かった。そう後悔するも、慌てて首を振った。
何回目だ、今日何回思った。悔いてばかりいる気がする。それは駄目だ。頭をプラスに持っていかなくちゃ。良かったと思えた事は何だ。

チラリ、と少しだけ先を行く橙色を見上げる。適当に跳ねた毛先が、歩く度に揺れていた。


「あ、そうだ。オズ」

「あん?」


今なら話せるかも。そう思って口にする。


「私、この世界の人間じゃないんです」


悲観的にならないように、気楽に考えるのは割りと得意だ。
あんまり後ろは振り返りたくない性質(たち)だから、と言うかそういう風な環境で育ったから、過ぎた事には拘らない。
けれど流石に、今回はそうはいかない。まいっか、で流すには事がデカ過ぎる。


「へー………は?」


それでも、凹んでいたって仕方ないから、努めて何でもないような事のように言った。あんまりに出鱈目な事が起きたから、現実味もないのかもしれない。
大体、世界を越えたのだ私は。最早何でも出来るんじゃないかという気さえしてきた。
精霊とか普通に居るんだし、あ、じゃあ今から送ってってやるよ異世界、みたくなっても不思議じゃない。いや不思議だけど。言われても、はあ? みたいな顔するけどね私は。朗報だけど素直に喜べないこれはなんなのか。
とか何とか考えながら、言葉を紡いでいたら。


「もー、ちゃんと聞いて下さいよ。私、違う世界から来たんですってば。だから、家に帰る方法が解らないんですよー……あれ?」


オズを追い越してしまった。

振り返ってみれば、棒立ちで固まったまま、険しい顔で私を見ている彼の姿。
この時、物凄い後悔に襲われた。言わなきゃ良かった。知らなきゃ良かった。

浅はかだった。


片側だけ、口端を釣り上げて、笑顔とも言えない顔をしたオズを見て。


何でも【あり】だと思った、
このファンタジー世界に、

トリップは【なし】に分類された。

それを悟った。


「じ、冗談……、だよな?」




あぁ、


私、やっぱり、
帰れない?






笑う、ということ











「お、い、おい。嘘だろ?」


あ、やばい。
鼻の奥がつん、とする。


「待て、待て待て。泣くな!」

「泣いてません」


直ぐ様答えて、足元の地面を睨み付ける。唇が震えている。呑まれまいと拳を握る。
泣かない。
泣かないぞちくしょう。


「泣いてない。うん、泣いてないぞー。俺が悪かった。な? ほら、し、深呼吸! 深呼吸しろ。吸ってー、はい、吐くー」


オズは言いながら、手を上げ下げし、自分も吸って吐く。
吸ってースゥー、吐くーハァー、と繰り返される。


「……………ふ、」


ぐっと引き結んだ口元と、寄せた眉は、端から見ても、泣く寸前に写ったに違いない。だから涙を出していようがいまいが、強がっていようが、正直隠せないくらい、泣きそうだった、けれど。


「ふ、ふふ……っふはは!」


余りにもオズが真剣で、必死になるから、笑ってしまった。馬鹿みたいな事を、馬鹿みたいに真剣に。

けたけたと声を上げて笑い出した私に、目を丸くして、怯んでいるような、困っているような、どうしたらいいか解らないって顔で、立ち尽くしている。

嗚呼、この人で、良かった。
貴方があそこに居てくれて良かった。貴方があそこに居てくれて。私と話をしてくれて。私に出会ってくれて、


「……ありがとう。オズ」

「っ!」


思えば。
この世界に来て初めて笑った。

人間、笑顔が出れば心に余裕が出来るらしい。


「ありがとう」


全く関係のないこの人は、見ず知らずの私の為に、馬鹿みたいな真似を、馬鹿みたいに真剣にした。関係ないのに。放っておいても構わないのに。その方が、ずっとずっと、楽なのに。


「大丈夫です。泣きませんよ」


私は冬の、寒空の下にいる。片方の手袋で、剥き出しの片手を包み擦る。何にも持っていなくて、凍えそうな冷風を一身に浴びて。
手袋は、立ち上がる勇気をくれた。目の前には真っ直ぐ、道が伸びている。


やれるだけの事をやろう。
帰る道を見付られるまで。
この道が繋がっていると信じて。

何にも持っていないけれど。
手袋をした片方の手が、片方の手を包んで、そこに息を吹き掛ければ、ほら、少しはあったかい。

何にも持っていないなら、身にある全てを使えばいい。足がある。歩ける足が。歩けるのなら、進もう。

進んで、進んで。
頑張って、頑張って。頑張って頑張って頑張って。
信じて、頑張って、進んで。



「大丈夫、です」



大丈夫、


私はまだ、笑える。




冬の道はいつか。






そうして、決意していた私は気付かなかったんだよ。

オズが、その時どんな顔をしていたかなんて。










(こいつの泣き顔はいやで)
(またあんな風に泣かれたらと)
(口元をひしゃげて泣く、)
(痛々しい泣き顔がいやで)
(慌ててしまって)
(けどこいつは笑って)
(予想を裏切ったからか)
(初めて見たからか)
(心臓がドキリと鳴ったのを)
(聞かれたのではないかと)
(変な心配をした)



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