片腕を失くしたレーンに免じて、事態は収束した。
誰かが自分の身代わりとなるなんて、ディーノにとっては前代未聞であり、これから先一生あり得ないと思っていた事だった。
正直彼は戸惑い、どうすべきか、どうしたら良いのか、解らずにいた。


「………そんな目で見るなよ」

「…………………」

「仕方ねーだろ? ああするしかなかった」

「…………………」

「ダアッ! わぁったわぁった! 俺が悪かったよ!」

「……頭たる者が、否を認めてはいけません」


じとり、と細めた目に見つめられ続け、根を上げたレーンだが、そのじと目をした張本人は更に呆れて溜め息を吐いた。
波の音以外しない、月夜の静かな船長室。ぶら下がるランタンの灯りが揺れている。


「お前がそんな目で見るからだろうが! っあ、ててて………」

「それでも自分は間違っていないと、おっしゃってください」


張り上げた声のせいで痛んだ肩を下げ、身体を傾けたレーンに、彼の背後の窓に身を預けていたトキが近づいた。


「ああ? 俺ぁ、間違ったなんて言ってねーだろ?」

「そーですね」

「んだよその感情のこもってない返事! うっ、うー……てぇー………」

「………学習してくださいね」


今度はお腹を抱えるように身体を折り曲げたレーンの隣に立って、トキは腕を組んだ。


「さて、」


呆れた眼差しで義父を見下ろしてから、その双眼を真っ直ぐ、自分達の向かいに向けた。
テーブルを挟んで向こう側、ディーノが、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「………本当に謝罪すべきなのは誰でしょうね」


びくり、と華奢な肩が揺れた。


「まあ済んだこった。いーじゃねー……」
「よくありません!」
「……か」


珍しく声を荒げたトキに、レーンは僅かに目を見開いた後、諦めたように小さく息を吐いて、渋い顔で頭を掻いた。


「いつまで、そうしているつもりですか」

「っ、……………」


いつもの生意気さはすっかり影を潜め、俯き、唇を噛むディーノは、皮肉にも歳相応の少年に見えた。
しかしすっかり怯え、弱者に成り果てた少年に、トキが容赦する事はなかった。


「いつまで………そうして甘えているつもりですか!」


レーンは黙って、拳を握るディーノを見つめ続ける。


「お、れは………甘えて、なんか」
「後先考えず行動する、それの何処が甘えと違いますか」


絞り出したような声も、厳しい声に一蹴される。


「自覚がないんですか。自覚してないからいいとでも? それも甘えですね」


冷ややかにディーノを見下ろすトキは、彼を一切許す気などないように見えた。


「貴方がどう思おうと、どう捉えていようと、貴方はレーンの息子なんです」

「っれは………! おれは!」

「この船に居るのなら、自覚なさい。金輪際、頭を………義父(ちち)を傷付ける事があれば、私が許しません」

「おれは!」


吠えるような声と共に顔を上げた、今にも泣き出しそうな表情のディーノが、トキの瞳に映る。レーンはもう、ディーノを見ていない。ただ黙って、瞳を閉じていた。


「親なんて! 今回だってそいつが勝手に!」

「勝手に? ふざけないでください! 貴方の軽率な行為で! レーンは腕を失ったんですよ!」


ディーノの開き直った物言いにトキが苛立ち、一々正論を述べるトキにディーノが益々興奮する。


「誰も頼んでねぇ!」

「なっ、この!」

「やめねぇか!!」

「「っ!」」


売り言葉に買い言葉。最早ただの喧嘩になっていた2人を、空気を震わすレーンの声が遮った。
はっとしたような2人の視線を受けて、レーンがゆっくり、瞼を開く。


「俺ぁ、俺の筋を通しただけだ。ディーノは関係ねぇ。勝手と言われちゃ、その通りだろうよ。自由勝手に生きる道を選んだのは、この俺だ」


彼にしては珍しく、静かな声だった。


「頭…………」

「だから今更、俺の腕がどーのこーの言いやしねぇ。この船に乗ってるうちゃぁ、お前がなんと思おうと、お前は俺の息子だディーノ」


ディーノが苦々しく、唇を噛んだ。トキがフイと、窓へ視線を逸らした。


「ディーノお前………――」


鋭いレーンの双眼に、真っ直ぐ貫かれ、ディーノは自分でも気付かぬうちに息を詰めた。


「――……船を降りろ」

「!」


ディーノにとって、船を降ろされるのは、捨てられるのと同義語。
緋色の瞳を見開いて、見返す彼を、レーンは静かに見つめた。


「………っは、こんな厄介な奴は、面倒見きれないって?」

「そうじゃねぇ、そうじゃねぇんだディーノ」
「なら最初から!」


ディーノの瞳は揺れていて、その理由を知っているレーンは、苦し気な表情を見せ首を振ったが、もうディーノは彼が何を言おうと、聞く気はなかった。


「最初から息子だなんて、言うな! 船になんか乗せなきゃ良かったんだ! 俺なんか!」


怒りに燃える緋色。憎しみのこもった眼差し。


「死ねば良かったんだ!」

「ディーノ!」


そしてディーノは、部屋を飛び出した。
レーンは舌打ちと共に立ち上がると、開け放たれたままの扉へと自分も駆け出す。後にはきっちり、トキが従う。


「ディーノ! 待て!」


船内を駆けるディーノ達に、狭い廊下をすれ違う海賊達が、目を丸くする。レーンの思いと裏腹に、小さな背中は器用に人をすり抜けて、距離は離れるばかり。

遂に甲板へ上がる階段に差し掛かっても、やはりディーノを捕まえる事は出来なかった。開いていた扉を見上げ、レーンはもう一度舌打ちする。


「馬鹿な事考えんなよ………!」


甲板では、レーンの片腕がなくなった事を悲しむ海賊達が、ある儀式を行っていた。
その行為は、野蛮で下劣とされていた。そうするから野蛮で下劣なのか、野蛮で下劣な海賊だからこそなのか、そうするのは海賊だけだった。

死したものが樽に入れられ、海に流される。海に生きる者は、死しても尚、この蒼と共にいたいと言う。故郷の無い彼らが唯一還る場所、それがこの母なる海なのかもしれない。
例に習い、レーンのそれも海へと落とされる。まるで通夜のような沈んだ空気の甲板では、ぎりぎり一杯に食物を詰め込まれた樽が、男達に囲まれていた。

だからレーンが大声で彼を呼んだ時には、皆が一斉に振り返り、そしてレーンが見つめる先を再度、一斉に振り返った。


「ディーノ! 海に命を捨てんじゃねぇ!」


身投げは、彼らにとってとても愚劣な行為だ。
船首に立ったディーノへ、険しい顔のレーンがドカドカと無遠慮な足音を立て近付く。


「降りて来い、ディーノ」

レーンの船の船首は、翼を広げた鷹を模してある。鷹の背に立つディーノが、ゆっくり首だけで振り返った。
レーンの顔に僅かに安堵の色が浮かんだ。


「俺の腕を無駄にすんなよ。な、降りて来い」

「………して」


青白い月明かりに照らされたディーノの唇が、微かに動く。波間に消えてしまいそうなその声に、レーンは眉を潜ませ耳を澄ませた。


「どう、して……俺を助けたりしたんだよ」


トキが1歩、踏み出した。それをレーンが手で制す。


「要らないだろ………要らないだろ! 俺なんか!」


ディーノの悲しそうな顔は、この船の誰もが初めて見るものだった。


「俺なんか死ねば良かったんだ! なんで、どうして助けたりしたんだよ!」


――どうしたらいいのか、解らなかった。

縄で締め付けられるよりも苦しい息苦しさも、刃で刺されるより痛烈な胸の痛みも、何故そうなるのか、解らなかった。

だって彼は、その痛みを知らなかったのだから。


「捨てるなら、最初から拾うんじゃねぇよ!」


知ったのは、レーンに出会ってから。死にたくなるほど、自分を憐れに思ったのは、レーンに出会ってから。

解らなくて、分からなくて、判らなくて。
奥に奥にと押し込めていたディーノの思いが、堰を切って溢れ出す。


「どうせ俺みたいな最低な奴、要らないだろ!」

「黙らねぇかこのくそガキが!」


ディーノの痛々しい叫びに、誰もが口を閉ざす中、しかしレーンだけは違った。
ビリビリと、肌をも刺激する一喝に、気圧されぬ者は居ない。


「最低だぁ………?」


低く唸る、地を這う声。
誰かの、或いは複数、喉が鳴った。


「当たりめぇだ!」

「「「!」」」


そしてレーンの声は夜空に響いた。


「お前は此処を何処だと思ってんだぁ? 世界最悪最低の、レーン様の海賊船だ!」

「っ!」


揺れる緋色から、ひとつ、何かが落ちた。
ひとつ落ちれば、後は溢れるばかり。


「だからお前は此処に居た。最低最悪の寄せ集めに」

「ひでーなお頭!」

「はっは! ひでぇか、ひでぇな! 俺はひでぇ男だ!」


重く静かだった甲板が、わっと沸き立つ。


「我らがレーン船長は、最強最悪!」
「そうだ!」
「我らはレーン海賊団! 史上最低最悪だ!」
「お頭万歳!」


下品な笑い声を上げて、海賊達は肩を組み合う。
トキがくすりと笑いを漏らした。


「……なぁディーノ。此処には最低な奴しか居ねぇ。でもよ、俺ぁ、お前にはもっと可能性があると思う」


よっ、と巨体を重々しく船首に持ち上げ、しゃくり上げるディーノの前に立つ。


「世界を見ろ、ディーノ。お前には、お前を必要とする場所が、きっとある」


うー、と小さく唸る、小さな頭を、ポンポン、と撫でる。


「絶対、ある」














泣いた子鬼













ディーノは一旦は、言われた通り船を降りた。そこは小さな村が1つあるだけの、小さな島だった。

レーンが拾うのは、何も男だけではなく、行き場を無くした者を拾っては、此処に降ろした。最初は、集落があるだけだったこの島が、人口が増えるに連れ村にまで発展したのは、彼のおかげだろう。

また此処には、彼の家もあった。海賊が家なんて、と思うかもしれないが、彼が唯一愛した女性が、年に数度しかない彼の帰還を、此処で待っている。

ディーノが笑顔を見せるようになったのは、彼女の元に厄介になる事になってからだった。甲斐甲斐しく世話をする彼女に申し訳なく思って、自然と作り笑いを覚えた。

船の上の生活とは天と地ほども違う、穏やかな島の毎日。
それでも、未だ彼の心は雲に覆われていた。

ただ、今の彼には支えがあった。他でもない、レーンのあの言葉だ。

いつか、自分にも必要とされる日が来るだろうか。
いつか、汚れた自分にも、居場所が出来るだろうか。

その答えは、誰にも解らない。

しかし人生は、何が起こるか予測出来ないものでもある。

レーンの訃報を聞いて、もう一度彼が大海に出る日が来ようとは、誰も思わぬように。

彼の暗闇を照らす、誰かが現われぬとも、限らない。
















(夢を魅せたのは海賊)
(夢に馳せるはまだ見ぬ誰か)


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