海賊と海賊。
同じ家業でも、相容れない。争う事もある。

だが彼らには彼らの、ルールがあった。無法に見えて、所謂、暗黙の了解が存在する。
海賊が停泊出来る港には限りがあるが、停泊中の船は決して襲ってはいけない、だとか。開戦するか否かは、船長同士が顔を合わせて決める。それより前に手を出してはいけない、だとか。
それらを怠る者は、海から追い出され、本当の無法者となるしかない。
レーンの船は、海賊相手をする事は滅多にないが、彼の財を狙う者も居る。勿論、小者はレーンの船に挑むなんて無謀な事はしないし、争いになるのは大抵そこそこに腕に覚えがある者達で、それはそこそこにレーンの船に被害を出した。

あくまで、そこそこ。レーンは負け知らず。
だがレーンに敵う者が居ないか、と言ったらそうではない。彼の船と同等に名を馳せる海賊団もある。
水の国で最も懸賞金が高いのは、レーンではない。雷の国ではレーンと同額に指定された海賊が他に5名いる。氷の国に至っては、レーンはそれほど問題視されていない。

懸賞金で相手を測る事は、愚か者がする事だ。出会えば、相手の実力は解るとレーンは知っている。


「おーおー、元気そうだなアウロス!」

「お前もなぁ、レーン!」


巨船同士が並ぶ様は、穏やかな海に異質を生み出している。
肩に掛けたえんじのコートを風にはためかせ、腕を組んだレーンの目の前で、船縁に立つ男が、にやりと笑った。
よっ、と軽快に甲板に降り立った男を見下ろすレーンの横には、いつものように、若い男が控えている。その後ろには当然、ならず者達がズラリと並ぶ。


「また派手にやったらしいじゃねぇか」

「がはは! 殺し合いに派手も地味もあるか!」


自分を睨み付ける多数の視線も気にせず、レーンに比べ細身な、アウロスと呼ばれた男は、肩を竦めてみせた。それから豪快に笑うレーンの隣に目を向けて、口端を少し上げる。


「暫くあの海域に近付けねぇな。ちったぁ俺らの生活も考えてくれるよう、言ってくれよ剣士さん」


黒い髪、黒い瞳の彼は、レーンの右腕で、この船の剣士といったら、彼の事を指す。
本気とも冗談とも取れるアウロスに、若い男は小さく笑うと、レーンですから、とだけ返した。


「此処に居たら、命がいくつあっても足りねぇだろ。どうだ、そろそろ乗り替えねぇか?」


にやり、悪どい笑顔のアウロスに、今度はレーンが眉を下げた。


「おいおい、堂々と船長の前で引き抜きかぁ? うちの剣士はやんねーぞ!」


な、トキ。と快活な笑顔を向けられて、若い男、トキは眩しそうに目を細めた。


「――……はい、私の家は此処です」


親父も、1人だけです。
トキの答えに満足したのか、レーンは彼の頭をグシャグシャと撫でる。アウロスがウエ、と口を曲げた。


「こんな野蛮の何処がいいのかねー……あ、ならアイツくれよアイツ」

「あいつぅ?」


片眉を上げたレーンに、アウロスは立てた指で宙を掻きながら、思案顔を浮かべる。


「あー、ほら、最近噂のー……」

「噂だぁ? 何の噂だよ」

「やたら活きの良いのがいるって、あ、ほら、なんか猿みてぇに身軽って聞いたんだよ」


ピンとこないのか、首を傾げるレーンの隣で、トキはクスリと小さく笑った。


「ディーノですよ、頭」

「ディーノ? 何、あいつ噂になってんの?」

「ディーノっつーのか!」


パッと顔を明るくさせたアウロスと逆に、レーンの顔色は優れない。彼の思いを汲み取って、トキがまた口を開いた。


「手配書が上がるのも、時間の問題かと」


むぅ、とレーンが唸る。彼は海賊頭なんてやっているが、自分の息子達にはそれを勧めたいとは思っていなかった。
海賊なんて家業、無縁な方が良いのだ。その世界を知らずにいられるなら、その方がいい。
レーンは海賊が如何に最悪かを知っていた。但し最悪だからといって、恥だとは思っていないが。
生きにくい世の中で、自分らしく生きた結果が、海賊だっただけ。恥ずべき事は何もない。


「あいつ中々降りねぇしなぁ」

「直ぐに音を上げると思ってました?」

「いやそういうこったねぇ……」


唇を曲げて、弱ったように頭を掻くレーンを見上げ、トキが小さく首を傾げた。だが彼が敬愛して止まない義理父が何かを言う前に。


「ディーノってのはどいつだ!」


アウロスが楽しそうに声を張り上げた。
ガラの悪い男達が、ざわりとし、顔を見合わせ、やがて、皆後ろを振り返った。レーンが慌てて「いや待てアウロス」と彼を制そうと手を伸ばしたが、その手をすり抜け、アウロスは海賊達の前に立つ。
ゆっくり、開かれる人の波。海賊アウロスの名は、レーンと同じくらい、重い。


「アウロス、待てって」

「ああ? なんだ………」


開かれた道の先、レーン達が居る反対側の船縁に、ディーノは腰掛けていた。
真っ正面で自分を見つめるアウロスを、ディーノは鋭く睨み付ける。


「ガキじゃねぇか」

「ばっ、おま、アウロス!」


レーンの焦った声。と同時。
ディーノの右手が風を裂いた。放たれた銀色が空を裂いた。


「!」


驚き目を見開いたアウロスの鼓膜に、甲高い金属音が響く。
ディーノが放った銀のナイフは、真っ直ぐアウロスに向かい、そして届く前に、別の銀に弾かれた。
クルクルと回転し弧を描くナイフは、離れた甲板に、軽い音を立て突き刺さる。


「ディーノ!」

「…………………………」


真剣さを帯びたレーンの怒鳴り声は、ビリ、と空気を震わせたが、気圧されるのは周りのみで、ディーノ本人はフイと顔を背けただけだ。


「おー……噂に違わず、やんちゃみてぇだな」

「アウロス」

「いーや駄目だレーン」


ディーノを見つめたままのアウロスの背中を、レーンが見下ろす。細身の剣を鞘にしまうトキが、眉を寄せた。
レーンからは見えない。ディーノが放ったナイフを弾いたトキからは、見える。
アウロスがゆっくり、口角を釣り上げるのが。


「アウロス、あれは俺の息子なんだ」

「知ったこっちゃねぇな」

「頼む、アウロス」


トキは動けなかった。何もしていない、されていないのに、こめかみを流れる汗が、止まらない。知らず、呼吸が乱れ、指先が冷えきっている。
それは何もトキだけではない。海賊達は誰もが同じ状況で、勿論ディーノも、彼にしては珍しく、眼球を見開いて固まっていた。


「だったらてめぇは、許せるのか。俺と同じなら、てめぇは見逃してやんのか?」

「…………………………」


今、此処で動けるのは、アウロスとレーンだけだった。
レーンはその表情を見なくとも、背中から吐き気をもよおす程、殺気が溢れているアウロスに、苦々しく心中だけで舌打ちした。


「………いや、首をはねる」


船長の言葉は、アウロスを除く、聞く者全てに戦慄を走らせた。トキが柄に手を掛けた。ディーノが愕然と口を開けた。アウロスが、益々唇を歪めた。

――悪魔のようだ。

ディーノは愕然とし、何かが壊れたような心中を抱え、そして頭はそんな事を考えた。
悪魔ってなんだったか。嗚呼そうだ、世界の底に沈んでいて、悪い事をするのはそいつらのせいだとか。
じゃあ、俺の人生は、悪魔によって壊されたのかもしれない。そして最期は、悪魔に殺される。なんて、醜悪。最低な場所にしか居られない、最低な俺は、最期さえも最低らしい。
だがこれで、最低も終わる。
今度の父親は、最後の父親になった。最後の最後に、俺にまた、人間の本質が、いかにくだらないかを見せ付けて。


「なら文句は言えねぇよなあ? レーン」


幾度も戦場に立った筈なのに、これまで感じた事のない殺気に、ディーノは瞳を閉じた。
そうだった。解っていた事じゃないか。これが現実だ。誰だって自分が、自分だけが可愛いんだ。一体何を期待していたんだか。諦めろ。何もかも。そうだ。


人間なんて、最低だ。


「仕方ねぇ」


ハ、と唇から笑いが漏れた。
そうだ、それでいい。俺に期待なんて、させないでくれ。下手な希望を、持たせないでくれ。あんたも所詮、人間なんだ。

目を瞑っていても、痛い程肌を刺す殺気が、一気に膨れ上がる。そして床板を踏み鳴らす、大きな音が1つ。


「っ、」


次に襲ってくるだろう痛みに備え、ぐ、と歯を食いしばった。視界は塞いだまま。
だからだろうか。耳だけが鋭くなったように、小さな音でも拾い上げ、ディーノにそれは届いた。
彼はその音を知っていた。最初、自分に起きた音だと思った。だが何の痛みもなく、何も感じず、けれどボタボタと、知った音は今も鳴り続ける。


「頭!」


悲鳴だ、と思った。呼ぶ声は悲鳴だった。
ディーノはゆっくり瞼を押し上げる。
潮風に混じる、鉄錆びの匂い。
白い陽射し。
自棄に鮮明な、滴る緋。
失くなった片腕は、緋の中に無造作に転がっている。
失くなった片腕に、見向きもせずに、レーンはディーノを真っ直ぐ見つめている。

は、笑って。


「おめぇも、これで文句はねぇだろ、アウロス」


そしてディーノは、絶望した。









海賊の誇り










(レーン、俺、今でも思うよ)
(あの時ほど、)
(死にたいと思った時はない)
(自分を殺したくなった時は)
(ない)


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