孤児。
それが然程珍しくないくらいには、世界は荒れていた。

俺は親の顔を知らない。生まれた日も、生まれた場所も知らない。名前だけは辛うじて、残っていた。姓は生みの親どちらのものでもないけれど。
俺に、姓と、生まれた日を与えたのは、海賊だった。
















硝子の向こう


















ユラリ、ユラリ、揺れる船の上。
ギシリ、ギシリ、軋む船の上。
足元の安定を、彼はここ暫く預かっていない。彼はこの船に乗って以来、1度も下船した事がなかった。
時々、船は物資の調達の為に、停泊する事もあったが、彼は降りようともしなかったし、降りたいとも思わなかった。

彼の乗る船は、必要最低限の少数しか、港に停まる事はない。ほとんどを海上で過ごす。
船は、海賊船だった。

時代は荒波に突入し、海賊の数も増えた。戦に巻き込まれた者、戦最中に命を惜しんで逃げ出した者、孤児や盗人。共通するのは、誰も彼もが、最初は望んでした訳ではないという事。
海賊とならなくとも、それらは形を変え、山賊や犯罪集団に、海に山に街に、余るほど溢れていた。

被害者だった者が、加害者に。それは終わる事がない連鎖となり、また世界を荒廃させた。

彼も、その連鎖の中にいる。
綺麗な黄金だった筈の髪は、乱れ、傷み、見る影もない。
薄汚れた服や靴と同じように、見える肌も黒ずみ、彼の顔立ちの良ささえも、ボサボサに傷んだ髪は覆ってしまった。
まるで乞食のような姿でも、似たような者しか居ないそこでは、1つの景色として馴染んでいた。逆に小綺麗な者が此処に立っている方が不自然。
小柄な彼の腰に、床板に付きそうな大振りの剣が下げられていても、特に目立つ事はなかった。


「ディー! ディーノ!」


ぼんやりと、海の向こうを見ていた彼に、荒々しい足音が近付く。
振り返っても、傷んだ髪は、揺れもしなかった。


「なに」


古くなった綱の強度を補う為に、綱同士をグルグルと編む船員達の間から、くすんだ水色のターバンを巻いた男が、彼に向かって歩いて来ていた。


「頭が呼んでる!」


男は少し離れた場所で止まり、皺がれた声で叫ぶ。


「あっそ」


用件を聞いた筈の彼、ディーノは、興味がなさそうに、フイとまた海に視線を戻した。ターバンの男が、顔を顰める。


「おい! ディーノ!」

「うるさいな………解ったよ」


しぶしぶ、といったように、彼は船縁から離れた。ターバンの男は、すれ違い様に、調子に乗んなよガキが、とディーノに凄んでみせたが、彼は男に見向きもせず、船内へと消えた。

チラチラと炎の精霊石の灯かりが蠢く廊下を、ディーノはゆっくり進んで行く。開いたままの船室の扉が、揺れに合わせキイキイと鳴いていた。
やがて鉄で補強された扉の前で、足を止め、雑に2度、叩いた。


「………入れ」


扉は内側から開かれ、開き招き入れた若い男の前を、ディーノは無言で通り過ぎた。
この船でいっとう立派な、いっとう広い部屋の中を進み、正面の机に偉そうにふんぞり返る、大柄な男の前で、止まる。


「………なに。何か用」


ディーノがまだ11になったばかりなのと、男が大き過ぎるのとで、彼らの視線は同じ高さになっている。
ぶっきらぼうなディーノに、大柄な男は、大口を開けて笑った。


「がっはは! そう毛嫌いすんなよ!」


ディーノの紅い瞳は、笑う男を冷ややかに見詰めるのみ。それでも男は、調子を崩すことなく、いつものようにデカい声で話し出す。


「報告があってよ! これから出発だ!」

「ふうん」


興味の全くなさそうなディーノの相づちも、男は意に返さない。


「おめーはちと、無謀なとこがあっからよ! 今回は守りに回って貰おうと思ってなあ!」


ピクリ、ディーノの指先が動いた。だが、それだけ。彼の表情も、紅い瞳も、声も、全て。何の変化も見せはしなかった。


「あっそ。それだけ?」

「それだけってこたぁない! 守備は大事な仕事だぞ!」


うんざりとしたように、ディーノが視線を背けた。


「自分の仕事はきちんとするよ」


もういいでしょ、と続けて、ディーノはさっさと部屋を出て行ってしまった。
扉が閉まると、大柄な男は溜め息を吐き、それを見た若い男――扉を開けた男だ――が、苦笑を漏らした。彼は中々、端正な顔立ちをしている。


「笑いごとかよ。まったく、あいつはちっとも解っちゃいねぇ」

「放っておくと、1人でも突っ込んで行きますからね、あの子は」


この船の中では、身綺麗にした方な若い男は、それでも黄ばんでしまった白いシャツの腕を捲った。


「命が、惜しくないんでしょう」


剥き出しとなった肌に、痛々しい大きな傷跡があった。それを眺めながら、若い男は悲しそうに微笑む。


「まるで、昔のおめーみてぇだって?」


大柄な男が、不敵な笑みを浮かべた。釣られるようにして、若い男も息を漏らし小さく笑った。


「惜しまねぇのが悪いんじゃねーよ。投げ出す命に、それと同等、いやそれ以上が存在すればよ。惜しくなくなったって構わねぇ」

「まるで今の、私のように、ですか?」


言って返した若い男の、したり顔に、大柄な男はきょとんとした後、盛大に笑った。
ちげーねぇ、と大声で笑った。


「心配しなくとも、そのうちあの子も気付きますよ。何と言っても、此処には頭が居りますからね」

「はっは! あいつに聞かせてやりてぇな!」

「聞いても、きっと解りませんよ。実際に、自分で見つけなければ、解らないものです」


船の揺れが大きくなる。
ぐらり、傾いた船室で、大柄な男は天井を見上げた。


「いつか、見付かるといいけどな。あいつにも」

「そうですね」


ディーノが海賊船に乗る事になってから、1年。
ディーノを拾ったのは、他でもないこの頭と呼ばれた大柄な男で、彼こそがこの海賊船を率いている船長。名を、海賊レーン。
レーンは出会った頃のディーノを思い出して、鷹のように鋭い瞳を、細めた。

当時のディーノは、今よりも、酷かった。酷かったとは見た目であり、中身は今と然程変わりない。
能面のように、常に無表情。瞳に生気は全く感じられない。自分の親である筈の男が目の前で殺されても、だ。
大きくなっていく血だまりを、ただ冷たい緋色で眺めていた。その男が、本当の親でないと、レーンは後から知った。

あまりの異臭に、船に戻る前に川へ放り込み、着ていた服を剥いで捨て、レーンは絶句する。

ディーノは全身、傷だらけだった。新しい傷から、古い傷まで。切り傷のようなものもあれば、紫色に変色した拳大の痣も。
がりがりに痩せた身体の、いたるところに、無数の傷跡が、あった。

レーンは、血だまりの中、突っ立ったままのディーノに、一言、付いて来るか、と訊いた。無理矢理連れて来た訳ではない。
彼がコクリと頷いて、付いて来た。それだけだ。

だがレーンは、あの頷きが、今もディーノ自らの意思とは、思っていなかった。
訊ねられた事には、頷く。
ただの反射。そう躾られてきた。


「まあ、ちったあ、マシになったか」


ふてぶてしくなったのが良い、と思える理由が、そこにある。


「私も、上に参ります」

「おう」


だが未だに、ディーノの瞳には生気がない。精霊の力と、刃が飛び交う戦場に、彼は嬉々として突っ込んで行く。まるで死にたいと言っているように。

部屋を出ていく若い男を見送って、レーンはまた天井を見上げた。

変化はあった。小さいが、兆しと言っていい。


「さて、今日はどっちに跳ねる」


おめーは今日から、俺の息子だ、ディーノ!

貪るように食事する少年。その日から、彼はレーンの息子となった。
























(ディーノ)
(跳ねる波飛沫)

(時に岩を砕き)
(時に子守唄を奏でる)

(願いが込められたのやも)
(しれない)


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