あの頃、もし君に会っていたら、俺は、君の美しさを知る事なく、殺していただろうなと思う。
寄る者全てを、片っ端から、斬って捨てていたのだから。相手がどんな人間かなんて、知ろうとも思わなかったのだから。

それでも、もし、を捨てきれないのは。
















海賊船船長

















帆を張る作業を見るのが、好きだ。
私の腕より太いロープを、屈強な海の男達が、掛け声を上げて一斉に引く。海風にはためきながら、大きな白い帆が、空に広がるのを見ると、爽快な気分になる。


「メグミ、口開けっ放しになってるよ」


広がる帆を見上げていた私は、バケツを片手に近付いてきたシカに笑われて、慌てて両手で頬を回すようにこねた。吐息を漏らす、ふふ、という笑い声で、また笑われてしまったと知る。


「いやさ、つい、ぼうっと見ちゃうんだよ……」


頬を押さえたまま、横目にチラリと見上げる。


「毎回、よく飽きないねぇ」


私から、帆に視線を移しながら、シカは微笑む。


「うん、まあ………」

「俺はもう見飽きちゃった」


曖昧な返事で返す私に、シカはにこっと笑顔を向けた。


「シカー! 穴あるってよー!」


そこに遠くから、誰かの声がかかり、シカは慌てて顔を上げた。私も顔を向ける。
遠く、マストの上の方、網目の綱にぶら下がる誰かが、手を振っていた。


「張り替えだ!」

「りょーかいでーす!」


声を張り上げ返して、シカは私の肩を叩くと、慌ただしく駆けて行った。
シカの背中が向かうのは、今張られたばかりの帆を支えるメインマスト。網目の綱には、何人かが足をかけ、下で見上げる人達と何かを叫び合っている。あ、オズが居る。


「あな………?」


首をゆっくり傾け、呟く。
フォークとナイフがクロスする、骸骨のマークが入った帆をよくよく、目を凝らし見れば。骸骨の右下に、切れ目を発見した。小さく、空の青がそこから覗いている。


「ほんとだー、穴だー」


私の脇を、バタバタと船員が駆け抜けて行く。更に追い抜きざまに、ポン、ポン、ガシガシ、と頭を撫でていく。
皆さまいわく、触りやすい位置にあるのだそう。何だかなぁ。


「メグミちゃんっ、あぶねえから端っこ行ってな!」

ポン。

「帆に潰されちまうぞ!」

ポン。


小さな衝撃が、頭を掠めていく度に、擽ったくなる。
張られたばかりの帆が、ゆっくり閉じていくのを見ながら、船体脇に寄った。
いつでも賑やかなモップデリス。わあわあ言いながら作業する皆を眺めて、風に舞う髪を押さえた。

その時だった。のんびり談笑する声が聞こえてきたのは。

最初は、特に気にする程でもない、他愛ない会話だった。
前に帆を取り替えたのはいつだったかとか、新しい帆を調達しないとだとか。船縁に寄りかかって、何となく耳に入って来た程度で。


「モップデリスも、もう大分古いしなぁ」

「譲り受けたんでしたっけ?」

「ああお前、後から乗って来たから知らねぇのか。モップデリスは、形見なんだ」


形見。
聞こえてきた単語は、一気に私の気を引いた。船が、形見?
そっと隣に顔を向ける。もう大分歳を重ねた男性と、まだ20代前半くらいの……確か、ユウマだ。シカのような雑用の上、彼らをまとめる役をしている。


「あれ、でも俺、お頭の前乗ってた船は、沈んだって聞きましたけど」


えっ、と上げそうになった声を、寸での所で押し留めた。慌てて顔を戻す。俯く。視線が泳ぐ。指で唇を押さえた。


「その沈んだ船の持ち主は、幾つも船を持っててな。まあ、そん時にみんな沈んじまったんだが……」


聞き耳を立ててしまう。指を噛んだ。動揺している。
駄目だ、此処に居ちゃ、駄目だ。


「一隻だけ、ある孤島に残してあった。その船の持ち主の思い出の船らしくてな。だから元々、モップデリスは古い船なんだよ」


背中を、船縁から離す。
これは、今、私が、聞いていい話じゃない。
Dは、昔の話をしない。いつものように飄々と、上手い具合に避けて、核心には絶対触れない。
尋ねられたくないのだと、訊かれたくないのだと、それくらい、私にだって解った。
私は、それを、良しとした。言いたくない事を、無理矢理言わなくても、別にいいと。
良しと、したのだから。


「何か手伝う事ありますかー?」


聞いてしまった事は、なかった事にはならないけれど、あの人が、言わないのなら、それを掘ってはいけない。
わいわいと、甲板に帆を広げる彼らの輪に混ざる。一緒になって屈み、布端を引っ張る。
大分汚れ、傷んだ布を、屈んだままそっと撫でた。
チラリ、上げた目線はマストの向こう、そこにあるだろう舵に向かう。
見えはしない。見えはしないけれど、貴方はそこに居て、指示を飛ばしているのだろう。

今でも、時々、カタログの中の笑顔をする。前と違うのは、私がその笑顔を一々、気にしなくなったって事だ。
前と違うのは、私が何かを言う事で、あの人が傷付くようになったって事だ。

私は愚直だから、すぐ顔に出る。それを見たあの人が、一瞬、ギクリとするのが、解る。
綺麗なカタログの笑顔が、一瞬、凍り付く。本当に一瞬。直ぐに朗らかな笑顔で、冗談を言ったり、話題を逸らしたり。
誤魔化して、誤魔化させたのは、私で。苦しくなる。
そんな風な、重圧を、与えたかったわけじゃないのに。だからもう、私は一々、気にしない。そう決めた。


「印、どーすんだろーな」


広げた帆の上に立つ、何人かの声に、私はまた顔を前に戻した。

そんな互いに悲しくなるような事になるより、あの人の、本物の笑顔を見た瞬間を、大事にしたい。
子どもみたいに笑うんだ。
純粋が溢れたような笑顔なんだ。


「印も、そのまんまでいいじゃないですか」


立ち上がり、眩しい陽射しに、目を細めた。

1つ、2つ、あの人の笑顔を見つける数を、数えた方がきっと。


「今まで通りでいいじゃないですか。いつかどくろが、世界を救う印になるかもしれませんよ!」


あのお日様みたいな笑顔が、増えると思うから。


















(Dは、昔の話をしない)
(それでも1つだけ、)
(親は知らない)
(そう言った)
(あの時手を、)
(握られたその手を、)
(そっと握り返したけれど)
(良かったのか、は解らない)


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