アダムは大抵、1人で居た。
それが苦ではないし、寧ろ望んでいた。煩わしい質問攻めに合う事もない。誰かの顔色を伺う事もない。自分の身分を明かしてはならないし、露見を心配する必要もない。

だから彼は、大抵、1人で居た。
隣の夕日色が、彼と居る時以外は。


夕日色の名は、オズワルドと言った。周囲に3代目、と呼ばれる彼が、風影ホークの息子だと、アダムは初日のうちに、知った。帰ろうとしたアダムを迎えに来た、黒髪の青年に、教えて貰った。
住まいは同じでも、一緒に帰る事は出来ないだろうと思っていたアダムは、さも当然のように並んで歩くオズワルドと青年に、ぎょっとし、またヒヤヒヤしたが、遠巻きに何かを囁く子ども達は、明くる日には、別段気にした様子もなかった。
どうやら何か、適当な言い訳がなされたらしい。適当な言い訳がどんなものか、幼いアダムには見当もつかなかったが、オズワルドと居ても怪しまれないようにしたのだろうなという事だけは、何となく解った。

自分を女だと思っていたらしい王の息子は、男だと知るや否や、妙に馴れ馴れしくなった。そうアダムが感じる程、オズワルドは彼によく構った。
アダムが黙って俯いていようと、隣のオズワルドは勝手に喋っていたし、休み時間になっても席から動こうとしないアダムを、休み時間が訪れる度に、外へと誘った。アダムはその都度、首を横に振り、じっと席で次の授業開始を待った。

正直、アダムには解らない。オズワルドが何故、自分を執拗に構うのか。どう見ても、どう考えても、自分は友好的ではない。
それでも、彼は授業が終わる鐘の音が鳴ると、隣の自分を振り返り言うのだ。
外あそび行こーぜ! と。

それがもう1週間以上続いている、ある日。

いつものように、いつもの笑顔で、いつもの台詞を口にしたオズワルド、に。


「……………なんで、なの」


アダムは小さく、口にした。なんで。どうして。それは母が死んでから、口にするのも、持つことさえ許されなかった言葉だった。
父上、どうして行ってしまうの。父上、どうして僕の顔を見てくれないの。父上、どうして――


「なんで………」


僕に会いに来てくれないの?


「なんでって?」


きょとんとする、オズワルドを、アダムはハッとしたように、見た。そして慌てて、俯いた。
何を言っているんだろう、僕は。


「………………………」

「? 行かねーの?」


小さな頭が小さく振られる。銀の糸がさらりと揺れた。
やがて隣の気配は、無くなった。
アダムはゆるゆると目を瞑る。諦めたような、溜め息が漏れた。
真っ暗な視界は、アダムの中の様々な闇を、浮かび上がらせる。顔を赤くして泣き喚く弟。決して振り返らない遠く離れた父の背中。笑いながら銀の刃を振り翳す男の顔。自分に伸ばされた、赤い、手、と、

――カタン


「っ!?」

「うおっ、な、なんだよ」


それは休憩中の学室の中で、目立たぬ程度だったが、すぐ隣から上がった物音に、アダムの肩は大袈裟に跳ねた。目を見開いて隣を見やったアダムに、今度は、そこに立ち、椅子を引いたオズワルドが、肩を揺らせた。


「え………」


酷くポカンと自分を見つめてくるアダムに、オズワルドは訝しむ視線を送りながら、引いた椅子にどかりと座った。手には、何処から持ってきたのか、小さな木の実が握られている。
アダムは狼狽えた。1度居なくなった筈の彼が、何故こうして隣に座っているのか、解らない。


「ん」

「…………………」


解らなくて、それが怖い。相手が何を考えているのか、形さえ解らないそれが、怖い。
オズワルドの手から、自分と彼の間にコロリと転がった黄色い実と、オズワルドの顔を交互に見つめるアダムは、戸惑い、怯える。


「シキーアスって言うんだ」


伺い見てくるアダムが気にならないのか、オズワルドは4つあった実を1つ摘まんで、自身の口に放り入れた。
何のことだろう、そう思い黄色い小さな実へ視線を落とし、ふと名前か、と行き当たる。だからといって、やはりアダムにはオズワルドの行動の意味を、知ることにはならなかった。

そしてアダムは、自分にじっと定まる視線を感じた。オズワルドが、アダムを見つめている。目を合わせる事が出来なかったアダムが、視線を泳がせながら、そろりと顔を向ける。


「…………な、に?」


アダムの声は、掠れ弱々しい。


「え? いや、食べねーの?」


オズワルドの調子は、いつもと変わりない。

食べる? 今、食べないのかと、尋ねたか?
アダムの中が、不意に空っぽになった。頭が白くなるのと似ているそれに、既視感も覚えた。


「んまいんだぜー?」


また1つ、オズワルドがシキーアスを口に放る。
アダムはそれをポカンと見つめた後、力が抜けたようにへなへなと、椅子の背にもたれた。
あ、これまだちょっとすっぽい、と顔を顰めぼやくオズワルドに、すっぽいって何だよすっぱいだろ、と心の中で訂正して、アダムはそっと息を吐いた。
食べ終わったオズワルドが、シキーアスとアダムを、チラチラ見て来れば、耐えられなくなって、とうとうアダムは吹き出した。


「な、何笑ってんだよ」

「ふふっ、ふくくっ、あはは!」


食べていーよ、なんて言ってやんないよ僕は。
そう思いながら、アダムは一頻り、笑った。
学室に残る子ども達が、ぎょっとしたように自分を見ていても、隣でムスッとしたオズワルドの顔は、どうにも可笑しくて。

可笑しい。可笑しい。
僕は、今まで、何を怖がっていたのかな。夕日色は、可笑しくて、こんなにも、簡単だ。もしかしたら、僕の目に見える、みんな、もっともっと、簡単なのかもしれない。夕日が、橙色なのと同じように。毎日変わらず、橙色なように。


「あははは!」

「変なやつー」

「ははっ、食べたいの?」

「え………う、うん、食べ」


アダムの口に、黄色い実が消える。残った2つ、いっぺんに。


「ああっ!」

「ぶっ、くくっ、あははは!」

「何だよてめー! このっ、指差すな!」


次の休み時間、一緒に行ってやろう、とアダムは思った。

甘酸っぱい味の実を口に含んだまま盛大に笑った為に、リンパ腺の辺りがシクリと痛む。それでも。

一緒に行って、自分が今食べた、黄色い実を、倍にして返してやろう。
そう思い笑うアダムは、笑うのを止めようとさえ、思わなかった。













時に癒し時に運ぶ















緩く頭の上にまとめられた栗色の髪に、銀の髪飾りを挿して、から、彼女は溜め息を吐いた。


「う、っ、うぐ………!」

「あ、泣くの? 泣いちゃうの? うわー泣くんだー」

「なっ、なかな………!」

「あー、泣いちゃうよー。オズワルドくんは泣いちゃうよー」

「やめなさいよもう」


朝から自室で、支度もせずに息子をからかう――いや本人は愛でているつもりなのだが――夫に、スワフィリアは呆れた眼差しを送った。
今にも泣き出しそうな息子は、スワフィリアの制止を聞かなかったホークの手によって、襟首を摘ままれ宙吊りになっている。四肢をばたつかせても、どうにもならず、悔しそうに唇をへの字に歪めていた。


「やめなさいって。大人気ない」


鏡台に居たスワフィリアが立ち上がり、諭すが、ホークは息子を離さない。顔が完全に楽しんでいる。


「っ、うっ、」

「お? 泣くぞ、泣くぞ」

「なかな、っ、ひっ、う、ひいいいー………」


遂にボロボロと零れ出した涙。何が楽しいのかホークは大声で笑い出す。


「うははは! 泣いた! やーい泣き虫ー」

「ないでないいいい……!」


スワフィリアの溜め息が落ちる。


「残念でしたーどう見ても泣いてますー」


実に大人気ない大人。それがホークだ。これで可愛がっているつもりだから余計に厄介。
現にホークの顔は、びーびーと盛大に泣き出した息子に、緩みっぱなしだ。実に幸せそうだ。でれでれだ。


「もう、その内本当に嫌われても知らないわよ」

「えっ…………………」

「はなっ、はなぜぇえええ!」


じたばた暴れる小さい手足。鼻水垂らして必死で泣く我が子。可愛い。超可愛い。目に入れても痛くない。絶対。今入れてみせてもいい。痛くない。絶対。
ホークの頭に、父ちゃんなんか嫌い! と叫ぶ息子が浮かんだ。


「いっ、いやだぁあああ!」

「ふぐっ!?」

「オズっ! オズワルド! 父ちゃんそんなの耐えられねぇえええ!」

「むぐぐぐ!? むー! むー!」

「あんたまで泣いてどうすんのよ………」


デカい図体で、小さな息子、オズワルドを胸に抱き締めたホークに、スワフィリアは「あんたデカいんだから潰れちゃうでしょ」と呆れつつも、彼らに歩み寄る。


「ほらオズ、学舎に行く準備しなさい。あんたも」

「オズー! 父ちゃんを嫌いになんかならないよな!? なっ!?」

「むー!」

「そうだよな! 俺も愛してるよオズワルド!」

「離せっつの」


アダッ! とホークが声を上げると同時に、腕が緩む。彼の足を尖ったヒールで踏んづけたスワフィリアが、すかさず、落ちて来たオズワルドを抱き止めた。


「うえっ、ひっ、かあちゃぁあー……」


胸に顔を埋めるオズワルドを、よしよしとあやして、スワフィリアは耳元に唇を寄せる。


「泣かないでオズ。男の子でしょう? そんなんじゃ女の子を守ってあげられないわよ?」

「ううっ、んくっ、ん、」


懸命に涙を止めようとする様子が、微笑ましくて、スワフィリアは優しく目を細めると、オズワルドを床に降ろした。
ぐじぐじと鼻をすすり、服の袖で涙を拭う、この小さな愛しい子の頭を、ゆっくり撫でて。


「いつか、父ちゃんを負かすんでしょう?」

「ん」


コクリと頷いたオズワルドに、ホークが可愛いいいい! と再び抱き付いた。


「あんたは支度でしょうが」

「いだだだだ! ちょっ、母ちゃんいてぇ!」


が、耳を引っ張られ、直ぐ様引き剥がされた。


「あたくし、あなたのお母様じゃなくてよ」

「いっ、ちょっ、ごめ、スワ、スワちゃん! するする! 今すぐするから!」

「あ、オズワルド」


耳で引き連れられる父を見ながら、泣き止んだオズワルドが首を傾げる。


「今日でアダムくん、最後でしょう? 今夜は、皆で食事しましょうね」


優しく笑う母に、オズワルドは元気よく返事を返して、部屋を飛び出すように出て行った。


「……………最後、か」

「ん………ねぇホーク」


私達、あの子に、何かしてあげられたのかしら。

そう言って悲しそうに、開いたままの扉を見つめるスワフィリアを、ホークは後ろから抱き締めた。
















(解らない)
(解らないけれど)
(来た時よりもあの子は)
(随分と明るくなった)
(俺の顔を見た)
(だから、信じよう)

(たとえこれから)
(あの子に無情な現実が)
(突き付けられようと)

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