難しい話ばかりの会議中。大人達が並べる難解な言葉は、俺とっては不思議な呪文と同じで、たとえ聞いていたとしても、たかが5歳児に解りようもなかった。
そこで暇をもて余す筈だった俺はしかし、母の隣に座り、重厚なテーブルに両肘を付いて、落ち着きなくそわそわと視線を上げ下げしていた。
チラリチラリ、と目線を動かしては、真正面に座った人物を、盗み見る。盗み見ては、胸を高鳴らせていた。

アマテ様の隣に座るその子は、俯いて、テーブルから視線を上げない。
切り揃えられた前髪から覗く、伏せた瞳を、会議の間中、ずっと。

可愛いかったんだ、本当に。

そのまま会話もせずに、別れて。

次の定例会が待ち遠しくて。待ち遠しくて。

けど、思ったより早く、再会する事になる。

涙に濡れる、雷の国で。












遺せる物は














近年、聞かなくなって久しい、雷の音を、響かせた空。
珍しく雷雨となったこの日。世界神と雷を奉る教会は、沢山の悲しみで溢れていた。
また教会の外も。
位の高い者以外、教会は完全出入り禁止とされていたが、国民は、誰ともなく教会の前に集まった。
傘の花が咲き乱れる教会前は、鉛色の空と同じく、重く沈んだ空気が、垂れ込めている。

勿論、教会の中も、故人を偲ぶ者達でいっぱいだった。小さな赤ん坊の鳴き声が響いているのが、より、悲しみを誘う。
その泣き止まぬ赤ん坊を抱えあやす侍女と、白い花に埋もれた亡骸の間に立つのは、5・6歳位の幼子。
口元を引き結び、仕立ての良い黒服のズボンの裾を、握り締めていた。
故人、アマテは、この2人の幼子の、母であった。
伴侶である筈の国王、雷影は、最初に挨拶をしたきり、物々しく教会を後にし、以降戻る様子はない。

正義感が強い事で知られるストックライト国王は、故人を悲しむより、彼女の仇を討つ事に、全力を注いだ。
普通1日置いてなされる葬儀が、死後3日も経ってからになったのは、雷影が、戦争の準備を優先させたからである。
復讐に囚われた彼は、無論、我が子と接する事も、なかった。

黒いベールを頭から被り、幼子、アダムは、じっと床の絨毯を見つめていた。
その瞳は、片側だけで、左目は顔半分ごと、白い包帯で隠されていた。

誰もが悲しみ、誰もが憂い、誰もが、残された赤ん坊とアダムを、憐れんだ。
声を掛けて過ぎて行く、誰にも、アダムは一切口を開く事はなく、ただ静かに、絨毯を見つめ続けた。

遠くで、じっと自分を見つめる瞳に、気付く事もなく。

惜しむ声に見送られ、母の姿が土に埋まり、1人、2人、と人が消え。
自身も馬車に乗り込み、墓を後にするまで。

離れた所から見つめる澄んだ瞳に、最後まで、アダムが気付く事はなかった。


「なぁ、クロー」

「はい」

「せんそー、に、なるのか?」

「そうですね、恐らくは」

「………なったら、」



――あの子はどうなるんだ?


澄んだ瞳は真っ直ぐに、雨の中に消えて行く馬車を、見つめていた。













―――………






アマテの葬儀から、8日後。いよいよ帝国との争いが始まった今。
王のはからいで、アダムとカインは身分を隠し、暫くの間、隣の同盟国、ウッシュバードへと身を寄せていた。

謀らずも。他国に比べ、身分格差にあまり開きがないウッシュバードは、アダム達の血筋を隠すのに、丁度良かった。
深夜、風影の城の、1番目立たぬ端の入り口に、ひっそりと。1台の馬車と1人の従者だけを共に、隣国の客人はやって来た。
挨拶もそこそこに、アダムはカインを伴い、宛がわれた部屋へと早々に引っ込み、また、部屋から出ようとしなかった。

――自分を、1度も見なかった。

垂れた頭を上げても、床を見つめ伏せていた瞳を、思い出し、風の国の長は重い溜め息を吐いた。
対局に座る、彼の年老いた父が、正方形の小さな盤面から、視線を上げ、朝焼け色の髪を、見た。


「………なんじゃ、もう詰みか?」

「いや、そうじゃない」


胡座に肘を付いた風影は、杖代わりにしたそれの上に顎を乗せ、盤面を見つめている。
父の声に否定を返し、空いていた手で1つ、虎の形をした白い石膏の置物を、摘まんだ。それは駒。
職人の手で精巧に創り上げられた駒を、黒と白の賽の目が並ぶような盤面上から僅かに浮かせる。

コトリ、と。


「――……むぅ」


元あった場所から3マス先へ、移した。白い髭を撫で付け、彼の父、ミドウラが唸る。


「………勝てると、思われるか」


虎によって窮地に追い込まれていたミドウラは、風影の問いを、ふん、と鼻で一蹴し、「侮るでない」と腕を組み盤面を睨み付ける。
その返答に、風影が盤面から顔を上げた。今、恐らく、頭の中で盤上の戦いを幾つも繰り広げているであろう、父の、難しい顔を見てやっと、ああ、と声を上げる。


「違う違う。勇ましい、隣国の王の話」

「む」


ミドウラは視線だけを上げて、それからまた唸った。
代を譲られた今も、自分の実力は、父に遥か遠く、及ばない。勝っているのは山のように育った身体だけだ。統率力も、治世も、先を見通す力も、父に比べまだまだ未熟だと、風影は自覚していた。
こんな風に意見を求める事が、何よりの証拠。だが、父の意見は、やはり何者よりも得難いものだった。


「あの子は、オズと1つしか変わらない。それなのに、アマテを失ったばかりというのに、今ウェルズを失ったら、あの子は――」


苦し気な顔をしている風影の言葉を、ミドウラは彼の名を呼ぶ事で遮った。
ホーク、と放たれた声は、低く、厳しさを含んで。風の長、ホークは、はっとしたように口を嗣ぐんだ。


「………解っている。この国を、危険に晒すつもりはない」


王として優秀な言葉の割りに、ホークは、その精悍な顔付きに乗せた苦渋を、消せてはいない。ミドウラは視線を反らした己の息子を見ながら、やれやれと息を吐いた。


「勝てるか勝てないか、で言えば……………勝てん、じゃろうな」


無骨な横顔が、益々歪んだ。しっかり眉間に皺を刻んだまま、ホークは苦しさに耐えられないとばかりに、瞳を閉じた。


「かと言うて、誰もあれを止められんじゃろ。あれを抑える事が出来る者は――ただ1人のその者は、今はおらんのだから」


ミドウラもホークも、ホークの妻も、あれ、つまりストックライトの王でありアダムの父親ウェルズに、考え直せと何度も説得した。
だが、彼の心が変わる事はなかった。正義漢で短気で頑固な彼がしたのは、誰かの意見で覆せるほど、生半可な覚悟では、なかった。自分が死のうとも、国が滅びようとも、我が子が路頭に迷おうとも。
――必ず、無念を晴らす。
それほどに、彼はアマテを愛していた。

くそ、とホークが小さく呟いた。


「あの子は、何と言ったかの、ええー……」

「アダム」

「そうじゃそうじゃ、アダムじゃった」


自分にどうにも出来ない事で、その無力に憤りを感じるホークに、ミドウラは努めて、いつもと同じような態度を崩さずいた。飄々とした態度のまま、黒い竜の落とし子の駒を、白い虎の前に置いた。

どんな時でも、人の上に立つ以上、不安を見せてはいけない。それを心根優しい息子へ、暗に伝えたかった。


「部屋から出んのじゃて?」

「ああ。もう、5日になる」


盤面に視線を移したホークに、それはいかんのう、とのんびり、ミドウラは髭を一撫でして、首を振った。


「あの子はこれから、重きを背負う。本人が望まなくても」


ホークは盤面を見つめたまま。


「なら尚更、いかん」


腕を組んだミドウラは、うむ、と確かめるように頷き、穏やかな微笑を乗せた。


「見聞を広げる事は後に、あの子の力となるじゃろう。折角此処に居るのじゃ。何事も、手に触れて、こそ」


これにホークがやっと、顔を上げた。
自分で言って、自分でうむうむと頷くミドウラを、ホークは見つめ、暫し何やら考えていたようだが、やがてぽつり、と。


「何事も、触れてこそ、か」


彼もまた、大きく1つ、頷いた。


「我らが、子にしてやれる事は、少ないなぁ、じい様」

「はっはっ、してやれるだけ、幸せよ」


そうか? ………そうかも、なぁ、と精悍な大男に似合わない、柔らかい笑みを浮かべて、ホークは丸い不思議な生き物の駒を手に取った。
羽の付いたまあるい駒。1度それを手の中で弄ぶ。


「風の国を、見せてやらんとな」


指で摘まみ、駒の形を確かめるようゆっくり回しながら、翡翠の双眼を細める。不敵とも言える笑顔だった。


「ほんにオズは、お主に似たの」


やんちゃな孫を思い出し、悪戯っ子のような笑みを浮かべる息子に、似んでいいところばかり似るもんだと、ミドウラは苦笑した。髪の色や瞳の色、そういった見た目もホークの息子は綺麗に受け継いだが、それだけではない。
言われたホークは、まんざらでもない、と言うか物凄く嬉しそうに頬を緩ませた。まあなー、いい男になるぜあいつは、とでれでれと笑いながら、無造作に駒を盤上に置く。
と、馬鹿だなあと呆れた目線のミドウラに気付く事なく、膝を叩くと立ち上がった。


「うし! やるならセイレーンの尾が乾かぬうちにってな!」


どかどかと巨体を揺らし、忙しなく部屋の扉へ向かうホークに、落ち着きないのう、とミドウラはひとりごちる。
が、扉を潜るホークが振り返り、言って放った言葉に、固まる。


「あ、じい様、それ王手ね」


バタン、と扉が閉まる。
目を見開いたミドウラが、なにぃっ! と盤面に目を落とすと、そこには決定的な自身の敗北が、あった。


「…………むむ、こりゃ追い抜かれる日も、近いか」


腕を組み、むーん、と盤面を睨み付けるミドウラは、その表情とは裏腹に、密かに心を綻ばせていた。子の成長を喜ばぬ親は居ない。

――次は気を引き締めんとな。

親としてまだまだ負けられぬ意地があるものの、次の対局が楽しみだと、彼はほんの少し、口元を緩ませた。

しかしそのミドウラの思いは、叶わず終わる。が、それは、また別のお話。

城と町の境さえも曖昧な風の国は、余程の事――罪人であったり――がない限り、庶民も貴族も、机を並べ、同じだけの教育を受けられる。が、これは任意であり、貴族の中にはより高度で濃密、つまり質の高い教育を、個人で雇い受けさせる者もある。

しかしながら、ウッシュバード国王風影は、たった1人の愛息子には、一般庶民と肩を並べる、町の学舎の方を、選んだ。
また預かったストックライトの大事な客人も、身分を隠したまま、学舎へと通う事とした。カモフラージュも兼ねているが、子息を通わせるのと同じ理由、寧ろそちらが本命とで、風影は書類に判を押した。


国とは人。
人を知らねば国は知れぬ。

まだ言葉も解らぬうちから、ホークは息子、オズワルドに何度も、この言葉を送った。




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