キビトさんの薬が、厳密に言うとキビトさんがオリジナルで開発した薬が、とてもデンジャラスだと知ったのは、彼が水の国に来て少し経った頃だ。

背中の傷がちょうど塞がったぐらいだったと思う。
落ちてしまった体力を早く元に戻そうと、滋養強壮的なドリンクを作ってくれた。
強面だけど、笑うと優しい彼の微笑みと共に差し出されたそれに、感激した私が、今は憐れに思えて仕方ない。











SheetX









キキキキビトさあああん!
と尋常ではない慌てぶりで叫び、部屋を飛び出した恵は、咄嗟に掴んだであろう、浅葱色のシャツを頭から被っていた。
首元にまとめたシャツを両手でつかみ、バタバタと階段を駆け上る。


「あれ、メグミちゃん?」

「っひぎゃー! 会いたくない時に誰かに会う不思議!」


ちょうど部屋から出て来たDは、はあ? と顔を顰める。
幸い、恵はキビトの部屋の前に辿り着いていた。まだ距離があるDが、自分の異変に気付く前に、と彼女はノックもせずに部屋に飛び込んだ。


「え、ちょっ…………と」


バタン! と閉められた扉に、Dは首を傾けた。


「はあ、はあ、っ、キビトさん、キビトさん!?」


一方恵は扉を背に、息を弾ませながらも、部屋の主を急いで探す。
キビトの部屋は入ってまず、医者の彼らしく診療室となっている。恵が血走った目で見回したそこに、彼の姿はなかった。


「メグミかー?」

「っ! そこか!」


診療室の右奥、カーテンで仕切られたそこから呑気な彼の声を聞き付け、恵はカーテンに素早く近づくと、両手で左右に開け放った。


「キビトさん!」

「お、なんだ怖い顔して……」


普段愛想の良い恵の険しい表情に、椅子から振り返ったキビトはきょとんとするが、彼女は彼に答えず、無言でゆっくりと頭のシャツを剥いだ。


「………………………」

「………………………」

「………………お、おお……」

自分でやっといて絶句か


いつもは、鴉のような彼女の黒髪が、眩しい金に輝いている。


「き、気分転換か?」

何をおっしゃっているんですかねこのメッシュ野郎は


ひくり、と顔を引きつらせたキビトに、冷ややかな視線を浴びせた後、恵はシャツを床に叩きつけた。キビトがびくりと揺れる。


「貴方が! くれた! 薬を飲んだら!」


自分の金の髪を指差し。


「こうなったんですけど!」


興奮した様子の恵に、キビトは暫し沈黙し、神妙な顔つきで、そうか、とだけ呟いた。
それが緊張感を帯びていて、恵は僅かに顎を引いた。まさか、これ以上何かまずい事を告げられるのだろうかと、彼女まで神妙な顔をして、彼の言葉を待つ。

そして静かな沈黙の後。


「……………………………………………………………………………





分量間違えたみてぇだ

散々ためてそれ!?


決して分量うんぬんじゃないでしょ!? 何かケミカル的な事象が起きてるでしょ!?

と自分の頭を尚も指差し、キビトに詰め寄る恵は涙目だ。


「んー……いや何だろうなあ、理論的には間違ってない筈なんだが………うーん」

「何のんびり構えてんですか!? どうしたらいいんですかこれ!」

「い、いや、ちょ、い、いて、いてぇよ!」


他人事のようなキビトに、恵は遂に彼の頭に自分の頭をグリグリと押し付けた。
様変わりした彼女の頭が、無骨な手でがしりと掴まれる。


「まあ落ち着けって、髪ぐれぇ、死ぬ訳じゃないだろ」

「まぁ……そう、ですけど」


口を尖らせた恵に小さく笑って、キビトは綺麗に抜けた髪に、そっと指を通す。


「ちょっと気分を変えてみたと思えばいいじゃねぇか。大丈夫、生えて来るのは元の黒髪だ」

「ほ、本当ですか……?」


上目に伺う恵にもう一度笑って、頷いてみせる。
すると見るからにほっとした彼女が、どうして、と呟いた。


「どうして、解るんです?」

「元は栄養補給が目的だからな。必要な要素は身体に取り込まれて、回復を促す」


うん? と首を傾ける恵に、つまり、とキビトが続ける。


「元気なるだけ、ってこった。何らかの組み合わせで髪の色が変わったが、元は身体に悪い成分は入ってねぇ」

「………その何らかの組み合わせが非常に気になるんですが」

「ああ、オレもだ」


じっと自分の髪を見つめるキビトは、興味深気な顔をしていて、恵は内心で、ああなるほど、と頷いた。
研究者の顔をしている。何かを探求する者は、未知に惹かれる。

すなわち、自分はあれだ、実験台にされたのだ。


「キビトさん」

「んー?」

暫くお父さんって呼びます

「なんで!?」


慌て恵に視線を移したキビトだが、むすっとした彼女に気付き、閉口する。


「何にも言わないなんて、男らしくないですよ!」


男らしく恵に言われて、苦笑いが漏れた。


「一言言ってくれれば……」

「恵…………」


拗ねてしまった恵は、キビトと視線を合わそうとしない。
掴んだままの髪の一房をゆっくり持ち上げて、キビトは悲しそうな顔をした。


「明るい色も似合うけどな」

「………………………」


ちらり、と恵が視線を動かした。
そこには寂しそうな彼の姿。うっ、と声を詰まらせて、目を泳がせた恵に、更にだめ押しが加えられる。


「でもやっぱ、いつもの黒髪の方が瞳と合うもんなあ………悪かった」


ぎりぎりで保っていた意地は、深い溜め息と共に陥落した。


「すぐ元に戻せません?」

「やってみる」


せっかく持ち直した機嫌を損ねまいと、キビトは即答してみせた。
ちょっと見せて貰う、と断ってから、根元や毛先をあれこれ見て回る。頭を差し出す恵が、擽ったそうに首を竦めた。


「抜いていいか?」

「い、痛くしないでくださいね」

「………お前な」


怯えをみせた恵に、そういう顔でそういう事を言うな、とキビトは鼻の頭を押し潰す。


「せっかく優しくしてやってんのに。虐められたいのか?」

「ほんなほとひとほともひって、むああっ!」


鼻を押さえられたせいでおかしくなった滑舌を、ぷるぷると頭を振って払うと、言ってません! と言い直した。
そんな恵をキビトは楽しそうに笑って見上げる。


「そうか? それは残念だな」

「何が残念………」


日頃サディストの発言を嫌と言う程聞いている恵は、げっそりと表情を曇らせたが、次の瞬間にはぎょっとして顎を引いた。

キビトとの距離が近い。
更にどんどん縮まる。


「え、ちょ………」


一歩、後方に退った、ところで手首をガシリ、と掴まれる。キビトが腰を浮かせた事により、ぎ、と椅子が鳴いた。


「確かにこの髪は、お前にはちょっと明るすぎるかもしれないが」


身体を強ばらせた恵を見下ろしながら、これ以上退がれないよう、太い腕が腰を抱く。おかげで彼女は仰け反った。
しかし例え仰け反ろうと、首を傾けたキビトとの距離は、近付くばかり。紫の瞳に吸い込まれそうになりながら、恵はそっと息を詰めた。
手首からキビトの手が離れ、梳くように髪に触れる。


「例えどんなナリをしてようと、オレがお前を見る目は、変わらねぇ」


まるで愛しい物を見るように細められた瞳。
鼻孔を擽る、煙草の香り。
くらくらするような、のぼせてしまいそうな、大人の色香。
今恵が当てられているのは、正にそれと言えた。僅かに開いた唇は、細く空気を震わせるだけで何の言葉も、声さえ出て来なかった。

が、


「いっつ!?」


ぷちん、と空気に相応しくない間抜けな音が鳴れば、彼女は途端に現実へと引き戻された。
小さな痛みを感じた場所を咄嗟に押さえる。


「な、なに、え、なに?」

「取り敢えずこっからだな」


指に摘んだ一本の髪の毛を眺めるキビトを見上げ、恵が唖然となる。
にっ、と口角を上げた彼の横目と視線が合わされば、恵の頬は火が点いたように赤く染まった。


「キッ、キビトさん!」

「お、なんだ呼ばねぇんじゃなかったか?」


意地の悪い笑みに、口をパクパクさせる彼女は、結局彼には勝てないと思い知った。

















(1枚や2枚どころか)
(厚紙何枚も重ねたぐらい)
(上手な貴方に適わない)

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