シオンが、怪我をして帰って来た。


私は丁度宮に居なくて、後からオズに聞いた時は真っ青になって、治療中だというキビトさんの部屋へ一目散に駆けた。
これが動揺しない筈がない。
乱暴に開け放った扉の向こうに、腕と手に包帯を巻いて貰っているシオンの姿を認めた時は、泣きそうになったものだ。
キビトさんと2人して立ち尽くす私を見ていた。

結局大した事は無いらしいけど、丸まった布が赤く染まって床に散らばっていたのが目に焼き付いている。
何があったのか聞けば、お茶を濁された。
気になるけど、何故か怒り出したシオンにボロクソ言われたので、聞けずじまい。

キビトさんは、何故か笑いを堪えていた。














利き手を怪我したせいで、シオンの生活はハタから見ても大変そうだった。
特に食事なんかが苦戦を強いられていて、中々口に入らないそれにハラハラして見守ったり。
ポロッと落ちるおかずが皿に舞い戻る度、段々と苛々していく様子が手に取るように解り、このままじゃぶちキレて象の体重程もあろうかというテーブルを、昭和の亭主関白親父よろしくひっくり返すのではないかと慌てて手助けを買って出たのが、初日の晩御飯。
ちゃぶ台返しならぬ、高級テーブル返しを免れたその時から、私の運命は決まったのかもしれない。

その日のうちに着替えが上手くいかなかったシオンが、自分の部屋と、隣の部屋の境を無くしてくれた。
わぁ、お部屋広くなったねー……と目から海水が流れ出た私が、恥を忍んで着替えを手伝った。
明日、もう今日か、朝の支度を手伝う約束を不承不承、承諾した。
だって、そうしなければ、宮のあちらこちらが、瓦礫と化してしまう恐れがあったからだ。
いやいや、それは避けたいでしょう。何としてもおうち崩壊は避けたい事態でしょう。

そしてそれが、手助けと言う名のただの下僕だったと、誰か当時の私に教えてやってくれ。


「と言うか、サラが好意で侍女さんを派遣してくれてるんだから、私がやる必要ないと思うんですが、どうでしょう」

「刺す」

「問答無用!?」


なんて物騒なのこの子は!
駄目だ、侍女さんを身代わりには出来ない! そんな酷な事私には出来ない……!

過酷とも言えるシオンの世話は、罵倒に耐え、何かと痛い思いを耐え、堪え忍ばなければならない。
多分泣く。いやかなりの高確立で泣く。
そして泣かした本人である筈のシオンの不機嫌指数が上がって、ドーン!
考えただけで胃が痛い。
ところでドーンって何。


「はい、終わったよ」


朝の着替え。
腕を上げられないシオンの為に前開きのシャツを着せて、前のボタンを閉め終えたところでふぅ、と一息吐く。
目のやりどころがなかった………緊張で疲れ果てたよ。
こんな形で男の人に服を脱がせたり着せたりするとは………経験したくなかったよ。うう………。
乙女からまた1歩遠ざかった自分が切な過ぎる。


「…………………」

「え」


大変です。
ベッドに座り、無言で足を差し出した傲慢男に血管が浮き出そうです隊長。
靴を、靴を履かせろと、そういう意味だろう、けど、だがしかーし!
偉そうにおま、私を何だと思ってんだ!


「……………くっ」


堪えて足元に跪く自分に拍手を送りたい。


「屈辱的……なんか凄く屈辱的………!」

「さっさとしろ、のろまが」

「何このシンデレラ!? しかもシンデレラストーリーを鼻で笑う不幸な前半部分しかないだと! そんな馬鹿な! 魔法使いはどこだコノヤロォオオオ!」


丈夫な皮のブーツをブン投げる。
開け放ってあった窓の外に、吸い込まれるように消えた。

…………………………。

や っ ち ま っ た 。


「…………………」


ひぃいいい視線が痛い!
頬っぺたに穴あく!
痛い、ちょ、痛いよ? え、マジで……ほんとに、何か尖った物がこう、チクチクして、まるで針で刺されているよう、な………。


ぎゃぁあああああ! 刺さってるぅうううう!?


さささ刺さっとる! 刺さっとるがな!
視線とかじゃなくモノホンが! 本物の針がっ!


「刺したからな」

「一目瞭然んんんん! 見れば解る! そりゃ見れば解りますよーっ! 何も本当に刺す事ないじゃない!」


ズザザザ、と後退って、壁ぎわでガタガタ震える。
くくく靴ごときで流血事態にまでなろうとしている………!


「別に穴が開いたわけじゃなし……貴様が己れの靴を投げるのが悪い」


頬に恐る恐る触れてみる。
確かに外傷は無いようだ。
そういう問題ではない気がするが、私が悪いと言われればそれまで。
謝って、靴を取りに部屋を出た。

それから朝食も食べにくい物は食べさせたりしたし(皆の視線が痛かった)、と言うか食事の度にそうしたし、喉が渇いたと言われれば水を運んだり、身体を動かせないから読書すると言ったシオンに、ページ捲りだけの為に呼ばれたり、身体動かせないって言った癖に鈍るとか何とか言って走り込みに付き合わされたり(最早私居る意味ねぇ!)、水を運んだり、それで汚れた靴を磨かされたり、水を運んだり………よくキレなかったもんだ。
あと何回水運ばせんだ。

と、まあ。
手伝いと称して、体の良い下僕を手に入れたシオンに、振り回される事1日。
夕飯を終え、東へ西へ奔走した私はぐったりと部屋のベッドで寝そべっていた。
つ、疲れた………。
もう駄目、動けない。


「指1本動かしたくない………」


今日は早く寝よう、つかもうこのまま寝ちゃおうかな……、等と着替えもしていない状態で行儀悪くも目を瞑った。

その時だ。
ノックも無しに部屋の扉が開かれたのは。
別に驚きはしなかった。
疲れ果てている私はリアクションを取る事さえ面倒くさく、それにこれは今日1日で何回も繰り返された行為だったから、今更驚きはしない。

声を出すのも億劫な身体に鞭打ち、瞼を開けて女の子の部屋に無断侵入した輩を見る。


「……今度は何、シオン」

「人に物を尋ねるなら、まず、起きろ」

「…………………」


普段なら抵抗する言い様に反論する気力さえない。
のそりと身体を起こし、もう1度同じ質問をする。

そして彼は言った。


「風呂」


…………………うん?


「風呂?」


風呂がどうした。


「風呂に入る」

「あ、うん。はい。行ってらっしゃい?」

「阿呆」


な、なんで貶された………。
いやいや、風呂入るんなら入ればいいじゃん。何でわざわざ私に言いに来る。

説明不足過ぎて意味が解らない私に、さも馬鹿にしたようにシオンがため息を吐く。
そ、それ傷つくんだぞ……!


「頭の悪い奴だな……この腕では洗いにくい。1人では限界がある」


頭悪いは余計だよ………。


「そうか……確かに不自由だね」


大変だねぇ、などと他人事のように漏らしていると、シオンが顔を顰める。
お、おっと、何かが気に障ったみたいだぞ………。


「何を呑気にしている。行くぞ」

「は? 何処に?」


左手で腕を取られる。
質問に直ぐには答えずに、シオンは部屋を出て歩きながら、前を向いたままナチュラルに言った。


「風呂に行くに決まっているだろう」


あ、お風呂ね。
………ん? お風呂?
わざわざ私を伴って? お風呂に行くの?
それからやっと事の大きさに気が付く。


「ふっ!? っ!? !?」


シオンはこれからお風呂に入るようです。
そしてシオンは手が不自由。
説明された時に他人事だったのは誰かに手伝って貰うんだろうと思ったからだ。
キビトさんあたりがしてくれるんじゃないかと。
宮には幸い男手が沢山あるのだから。

それがまさか、


「い、いっ、いやいやいや!」


嘘でしょ、まさかそんな訳ないよね? ないよね!?


「ちょっ! まっ、わぁ!?」


私が混乱、と言うか最早錯乱状態のうちに、お風呂場に到着してしまい、中に放り込まれた。
よろけつつ呆然とする。

これ何の冗談なのかな………!


「ハッ! ボゥっとしてる場合じゃない! ちょっと! シオ、ぼほぉおおお!」


振り向いて、風呂の世話まで出来ないと言おうとして、直ぐ様またシオンに背中を向けた。
だって、だって………!


「なななな何脱いでんの!?」


そう、シオンは既に上半身裸だった。いやそれどころかベルトに手を掛けていた。
朝の着替えとは全然違う。何の心の準備も無しに、上半身だけとは言え、男性の裸体立ち向かえる程、私に経験値は無いのだ。
うう、心臓が………!


「脱がなければ入れんだろうが」

「そこは聞いてない………!」


脱ぐ理由はどうでもいいわ!
私は! 何故! 私の前で! 脱ぐのかを! 聞いています!

そう私がどぎまぎしている間も、衣擦れの音が続き、余計な想像を掻き立てる。
ぐぉおお! 私の変態!
いや私は変態じゃない!
断じて違う!


「………貴様は何を1人でぶつぶつと言っているんだ」


すぐ傍で聞こえた声に肩が跳ねた。すっとんきょうな声を上げて、反射的に隣を見ると、腰にタオルを巻いたシオンが立っていた。
慌てて顔を背ける。


「わっ、私入るなんて一言も言ってない!」

「……………ほう」


刺のある声にギクリとする。
な、なんか隣から冷気が………!


「己れの頼みが聞けない、と」

「っ!」


頼まれた覚え無いんですけど!
そう喉まで出掛かった言葉を飲み込む。
今逆らったら針で突かれるだけじゃ済まない気がする………!


「………むむむ無理です! 私のレベルではとても太刀打ち出来ない戦いです!」


私レベル3くらいだから!
いきなりラスボスは1ターンも保たないで死亡だから!
1撃! 1撃だから!


「………頭と背中」

「ひ、ごめっ……………へ?」


低くボソリと呟かれたそれに一瞬身構えるも、思わぬ単語にシオンを見上げた。
頭と、背中?


「それと、左腕もだな。それだけ手伝ってくれればいい。貴様も脱ぐ必要は無い」

「…………あ、え?」

「早くしろ」


そしてシオンは平然と浴場に入って行ってしまった。
脱衣場に残された私はポカンと立ち尽くす。


「洗えない背中とかを、流せばいいって事、だよね? え? やっぱ私やるとは言ってなくね?」


頼み、とは名ばかりで、結局強制なのか………。
熱くなった顔をパタパタ扇ぎ、ゆっくり息を吐く。
仕方ない、と諦めに似た覚悟を決めて、裸足になった。


「見なきゃいいのよ、見なきゃ」


アレは猫よ。私は猫を洗うのよ。
深呼吸をして、浴場に踏み込む。
大理石のようなマーブル模様の壁や床と同じ物で作られた小さな椅子に、シオンは座っていた。


「遅い」


背中を向けていて、近づくと俯く彼の黒髪から、ポタポタと雫が滴れているのが解った。
偉そうなシオンにムッとして、1人ドキドキしている自分が凄く馬鹿らしく思えてくる。

乱暴に石鹸を引っ掴み、銀の洗面器に投げ入れる。
勿論自己暗示は続行中。

これは猫! 猫猫猫猫! にゃんこだにゃんこ!
ワシャワシャと洗面器の中を掻き混ぜ、十分に泡立った頃、艶やかな黒髪にぶちまける。
自棄くそである。


「っ!? き、貴様!」

「猫は貴様なんて言わないんじゃ馬鹿ヤロウ!」

「は!? うあ!?」


猫は猫らしくにゃーと言えコンニャロゥウウウウ!!
暴れる黒猫と洗髪する私。
無我夢中で洗髪。兎に角洗髪。




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