それは、不意に聞こえてきた。

水の城中、至る所に流れる水路。
それが引かれ、石を組んで四角く形作られた浅い溜め池のような場所がある。
屋根付きで、涼むのにもってこいの憩いの場だ。
ただ難点が、此処が皇族や貴族の為の場所だという事。
今日は利用者が居ないと聞いて、初めて此処にやって来た。

午後の日差しが一際強く、足湯みたいに冷たい水に足をつけて、うだる暑さから待避している。
白いテーブルと椅子には、優雅に紅茶を飲むサラ。
その後ろで控えているスイちゃん。
私の隣には、足で水を掬い上げて笑うアイリス。

その楽しそうな笑い声が、途切れた時。

不意に私の耳を掠めた。


「?」


アイリスの水を蹴る音で、直ぐに聞こえなくなる程微かだったが、慎重に耳を澄ませば確かに聞こえる。
はしゃぐアイリスの邪魔をする気にもなれず、私は水から足を上げた。


「…………………」


サンダルの紐を結うのが億劫で、拾い上げて裸足のままペタペタと歩く。

風に乗って、小さく、途切れ途切れに。
だけど、うん。
やっぱり聞こえる。


「ん……メグミ、戻るのか?」

「んーんー、ちょっと散歩ー」

「そうか」


注意深く意識を四方に張り巡らさなければ、気付く事は無いんだろう。
現にサラは気が付いていない。スイちゃんもアイリスもまた同じ。

地面に降りると、足の裏がちょっと熱かった。
それでも構わずに、歩き続ける。

ふらふらと、耳だけを頼りに何となく何となくで歩いていたが、近付くとそれは、歌だと解った。
何の歌かは、解らないけれど、綺麗な旋律。
そのメロディは私を誘っているようで、何とも不思議な感覚だった。


「……………ぁ」


漸く何と歌っているか解るかと思ったくらい近付いた、その瞬間に、ふっと消えるように音が無くなってしまった。
もっと聴きたかったのに。
姿の無い相手に向かって勝手な不満を漏らし、なんとなしに、上を向いた。


「……………アレク?」


そこにはバルコニーの手すりに腰掛け、景色を見ているアレクの姿があった。
暑さからか、赤髪をお団子のようにまとめ上げている。
なんでこんな所にいるんだろ?
そう思って直ぐにああそうか、と思い直す。

3階のあの部屋は、人が余り寄り付かない。
城の奥まった場所にあり、滅多に使わず、北側で日当たりも良くない。噂じゃ昔流行り病に掛かった王子様がそこで一生を終えたとかなんとか。
まあ王子様は置いとくとしても、余る程部屋がある中で、使いづらい部屋をわざわざ使う必要は無いのだから、掃除もまともにしないその部屋を利用する人は居ない。
但し今は、たった1人を除いて、だが。


「何かあったかな………」


アレクがあの部屋を見付けたのは偶然だ。
私でさえ、その存在を知らなかった。
あんなに城中散策しまくっているのに、だ。
例の如く、侍女さんの猛アプローチに悲鳴を上げたアレクが、逃げた果てに辿り着いたのが、あの北側の部屋だった。

それからというもの、アレクは1人になりたい時にあそこへ行く。なんて、これはリディアさんに聞いたのだけど。
でも私は1度だけ、アレク本人に連れて行って貰った事がある。
何の事は無い、只の部屋だった。少し埃っぽくて、壁紙なんかが色褪せていて。

決して楽しくなるような場所ではない。


「侍女さんの方だったら、いいな」


それでもアレクはあの部屋に行く。
侍女さんから逃げたのだったらいい。
この距離からは伺えない、その琥珀にどんな色を宿しているのか。


「アレク……………」


遠くを見ている。
景色だけをずっと。

私は何となく、此処に居てはいけない気がして、ゆっくり踵を返した。

途端、


「……………あ」


美しい音色に、誘われるがままにさ迷い歩いて。


「…………………」


そうして辿り着いた、果て。


(すごい………)


綺麗な声だ。
上手い上手くないの次元はとうに越え、美しさの結晶のよう。
すごい、感嘆の息しか出ない。

アレクの低すぎない声が、伸びやかに、何処までも広がって行く。
高音なんか、透き通るようだ。


(鳥肌…………)


世界がキラキラして見える。
此処は日陰である筈なのに。
声が光を放つみたいに、キラキラと。

今度は歌詞まで、届いた。


「……アレクだったのかぁ」


スローテンポで、でも悲しいとか、切ないとかそんな歌じゃない。

今日みたいに抜けるような青空を思い起こさせる。
今日みたいに明日も晴れる気を起こさせる。

暫く動くのも忘れて聴き入ってしまった。
だって本当に綺麗なんだもの。
ああ、こういう時自分のボキャブラリーの少なさが恨めしい。
この美しさを表現出来ないのが歯痒い。


「良かった」


悲しい歌じゃなくて。
切ない歌じゃなくて。
雨の日の歌じゃなくて。


晴れ渡る青空。
そこに羽ばたく鳥を思わせる。
翼を広げて何処までも。

気付けば私は瞳を閉じ、その旋律が奏でる心地よさに身を委ねていた。


「………………………」


そうして魅せられ切っていた私も、ふと我に帰る。
目を開けて、少しだけ、振り返った。

こっそり聴いていたと知ったら怒るだろうか。
自分だけに開かれたのリサイタルのようで、特別感を得たなんて、叱られるだろうか。

途端に罪悪感が擡げたが、それ以上に、彼の邪魔をしてはいけない、と思った。
まだ聴いていたいと正直な動かない足を、無理に地面から離す。

君の歌声がこんなに素敵だったとは。
鳥肌立つくらいの感動を、叫び出したい興奮を、堪えて私は今度こそ、道を引き返した。


君にいつか、

本当に聴かせて貰えるまで、

今日のこの時間は、

私の、

秘密の宝物にする。















(それは、)
(不意に聞こえてきた)

(明日の希望を歌う歌)

<< >>
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -