褪せて、所々ペンキ剥がれてしまっているが元は白かったんだろう。丸いドアノブも僅かに金色だった面影はあるものの、褪せてくすんだ色をしていた。
 ノブの下には丸と長方形をくっ付けて1つにしたような、典型的な鍵穴があるにはあったが、それは機能していないようで、敬一がノブを回すとあっさり開いてみせた。

 立て付けの悪い音を響かせて開く扉を前に、恵は1つ、ゴクンと唾を飲み込んだ。
 さあ、鬼が出るか蛇が出るか。手を奥に向けて「どうぞ」と言った敬一の前を、恵は緊張で身を固くしながら通り過ぎる。その様子に敬一が小さく笑った。

「お、お邪魔します………」
 中は昼間だというのに、薄暗く、ひっそりとしていた。
 玄関から見て直ぐ右にドアが1つあり、左には廊下が続いているようだ。正面には、左に階段、右奥に窓が見える。しかし北側なのか採光性としては弱く、結果として屋内は薄暗いまま。
 そして、中も外観に見合う傷み具合だった。おおよその想像はつくとは言え、この予想は裏切ってくれても良かったのに、と恵はこっそり息を吐いた。

 その時だ。開いたままの扉からビュウ、と強い風が吹き込んだ。
 玄関に突っ立ったままの恵の髪を散らし、それは階段の先に吹き抜けて行った。
「わっ!」
 勿論、恵に風の動きが見えるわけはない。彼女は、その後に勢い良く閉まった扉の音の方にに驚いた。
 両手で持った鞄の取っ手を、ギュッと握り締めて恐る恐る肩越しに振り返る。

「春は風が強くて困るよ。うちが壊れてしまいそうでね」

 そこには「なんせ歴史ある建物だから、ははは」と苦笑しながら、玄関横に備え付けられた木製の郵便受けの蓋を開ける敬一の姿がある。
 恵は急に怖くなった自分を、そ、そうだよね、風だよね、と無理矢理に納得させた。

 それに、何も気にしていない様子の敬一を見れば、ただの杞憂だと思える。
「…………………」
 大体、この建物が、お化け屋敷みたいだからいけないのよ、と眉を寄せてグルリと見回して、恵は口には出さないものの、「げっ」と言う顔をした。 天井の隅に蜘蛛の巣を発見。よくよく見れば、床は埃だらけ、沢山の足跡が折り重なっている。暗くて分からなかったが、そう言えば埃が舞っている。おまけに何か臭う気までしてきた。
「こっちだよ………どうしたの?」
 険しい表情で辺りを見回す恵の横を過ぎ、右手のドアの前に立った敬一は、彼女の様子が変な事に漸く気が付いた。
「敬一叔父さん………」
「うん?」
 恵が嫌そうに顔を歪める。

「此処、いつ掃除しました?」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 にこにこと笑う敬一の正面で、恵は口元をヒクリと引き釣らせた。
「どうぞ! 遠慮しないで!」
 お願いだから遠慮させてくれ、そう言えたらどんなに楽だろうか。
 忌々しい物を見るように、恵は湯気の立つそれを睨み付けた。
「何年ぶりかなあ。本当に大きくなって………」
 感慨深く頷く敬一を横目に、そっと手を伸ばす。
 湯気を立てる、陶器の湯飲みへと。
「会えるのを楽しみにしていたんだよ! あっ、恵ちゃんはケーキ好きだったよね! ちょっと待ってて、恵ちゃんが来るからって買っておいたケーキがあるんだ」
「あ、お、お構い無く………」
「あはは、やだなあ、遠慮しないでってば」
「いや本当に……あの、うん。聞いてねぇ」
 恵が止めるのも聞かず、いそいそと台所へ向かった敬一に、恵はガクリと肩を落とした。

 持ったはいいがどうにも口に運ぶ勇気が出ず、所在なさげだった湯飲みに、もう1度視線を落とす。
「………………なんか浮いてんですけど」
 飲めねえ。これ飲める程勇者じゃないよ私。

 斯くして湯飲みはローテーブルの上へと戻された。

 敬一の部屋は、玄関右側のあのドアの先だった。部屋に入った瞬間、あまりの汚さに愕然とした。
 慌てて散らばった服などを部屋の隅に放って、恥ずかしそうに笑っていた敬一は、この時から恵に尊敬される資格を失ったと言っていい。
 チラシやら空になったコンビニの弁当箱やらが山盛りになったテーブルの上を、あろう事か床にザザー、と落とした時は、普段大らかな恵も眩暈を起こした。喉まで出掛かった「ブルドーザーかよ」という突っ込みを飲み込んだだけでも称賛ものだ。

「あっ、ケーキには紅茶の方がいいかな? ええと……確か、この辺に、うわっ!?」
 遠くで機嫌の良い敬一の声がしていたが、ドサドサドサ、と何かが落ちた音がして、恵は疲れたようにため息を吐いた。
 何事かと普通なら気にする筈だが、これは実は2度目だった。今しがた恵が置いた湯飲みが出てくるまでの経緯と全く同じ。
 だから恵はため息を吐く以上の反応はせず、代わりに床に置いたままだった足元の鞄に手を伸ばした。

 ボストンバック1つ。妙齢の女の子にしては少ない荷物だ。恵がその鞄からサイドポケットに入れてある携帯を取り出すと、丁度キッチンからまた騒音が響いてきた。
「アチッ!」
 ガチャン! と派手な音の直後、敬一の声が聞こえた恵は、慌てて立ち上がった。
 携帯をソファに放り、急いでキッチンへ向かう。その顔は、先ほどまでのゲンナリした様子ではなく、確かな焦りの色を滲ませていた。

「っ敬一叔父さ………」
 薄い壁で隔たれたキッチンの入り口へと飛び込んだ恵は、思わず言葉を無くした。だがそれも一瞬で、直ぐに床に尻を着いた敬一へと駆け寄る。
「大丈夫ですか、怪我は……」
 ゴミ袋の山を2つ跨ぎ、何故か転がった炊飯器の隣に立ち、自分の問いに手を振り「大丈夫、大丈夫」と笑う敬一の手を取って、立ち上がるのを手伝う。
 コンロに掛けられたままのヤカンから、シュウシュウと湯気が出ているのを見て、恵は空いた手で火も止めた。取っ手を摘まんで捻る際、ギトリとした嫌な感触が手に伝わり、恵の顔が歪む。
 指を見れば案の定、茶色い汚れが付着していた。

「………駄目だ、耐えられない」

 立ち上がった敬一が、呟く恵に「え?」と朗らかな表情で聞くも、じっと指を見つめていた彼女に、険しい眼差しを向けられて、顎を引いた。

「もう耐えられません!」

 厳しい声に、敬一の肩が跳ねる。

「な、何が?」
 気圧されながらも、恵が怒る理由が解らない敬一は、おどおど聞き返す。恵は質問には答えず、キッチンがまるで憎き親の仇かのように睨み付けると、敬一を見ずに一言。

「掃除しましょう」

とだけ言った。




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