拾伍



 恵は流石にもう、抗おうとはしなかった。
 ゆっくり、ゆっくり、敬一の部屋の方を見て、ゆっくり、ゆっくり、敬一を見た。
 その頭の中で、じっくり、じっくり、現実を見つめて、じっくり、じっくり、出した答えを見つめた。
 そうしてやっと、言葉にする。
「――……あとどれくらい、私は身の毛をよだたせればいいですか?」
「あ、よだった?」
「否定派だって言ったじゃないですか!」
 びくんと身体を揺らし力を込めて言い返すと、腕に抱かれたままだった火車が締め付けられ、ぐえと鳴いた。
「怖いから、否定派なんですよ! んなもん、よだつに決まってるじゃないですか!」
 泣きそうな恵は益々腕に力を込める。敬一は宥めるように両手を突き出した。
「いやうん、恵ちゃん落ち着いて。だからそうならないようにさ、僕も努力をさ、」
「まだやっていたのか、敬一いなりを寄越せ」
 そこに空気を読まない狐がひょこりと登場する。あちゃあと敬一が額を押さえる。火車がじたばた藻掻いている。
「――……っ、努力の結果ー!!」
 まるで成果のない悲惨な現状に、恵がわあっと火車を放り投げ、両手で顔を覆った。天狐は飛んで来た火車をひょいと避け、火車は猫にあるまじき愚鈍さで床にひっくり返った。
「ひどい、っ、広告に偽りあり、あり過ぎるひどい、ひどい詐欺……」
「さっ、………いやさ、話そうと思ったんだよ? 段階踏んでさ、僕はちゃんと話そうと思ってたんだ」
 さめざめとする恵を、両手を広げ、敬一は懸命に慰めようとする。起き上がった火車は、咳き込みながらも、視線を忙しなく動かす。何が起こったのか把握出来ないようだ。自分の尾が増えているのにも、気が付いていない。
「決して驚かせるつもりも、怖がらせるつもりもなかったんだ。当然騙すつもりもない。これだけは本当だから」
「っ、も、じゃあもう、隠し事しないでください。こんなのやです。急に狐やら猫が喋るなんて恐怖です。こんな怖い思いしたの、小学三年の時の肝試し以来です」
 顔を上げない恵に、敬一はうんうんと何度も頷き返す。天狐は退屈そうに半眼で何処か余所を見ている。やっと状況に追い付いた火車が、乱暴に扱われたにも関わらず、はらはらと彼女を見上げ、落ち着きなく前脚を動かしていた。
 そして――

「ちびりました」

 一瞬、空気が止まった。

「……………え、今?」
 一斉に、興味がないと言わんばかりだった天狐でさえも、目を見開いた。そして一斉に、彼女のある一点へとそろりそろりと視線を動かした。
 まさか……――、と同じ思いを胸に。

「小三の時に決まってるじゃないですか」

 そして再び一斉に、今度は素早く視線を上げた。まるで自分は全然そんな所は見ていないといったように。
 そして大概、そういった行為を誤魔化したくなるのが人である。慌てて第一声を上げたのは敬一だ。それは上擦って、動揺を隠しきれていなかったが。

「あ、ああ、うん、そっかー、大変だったね、それは、うん」
「いや別に、そんな大変でもなかったですけど……」
 やましい事があると口数が多くなるのは、人も人以外も同じらしい。普段なら人間などどうでもいいと聞き流す天狐が、口を開いた。
「そうか否しかし女子(おなご)にはキツかろう。さてもしでかした相手は誠けしからん」
「そそ、そう! けしからんね本当に!」
「先生でした」
「教育者の分際でなんと余計許せぬな!」
「ほんとだね!」
「皆にばれないように始末してくれたのも先生でした」
「流石は指導者たる立場! その者はさぞ出世したであろうな!」
「指導者の鏡だね!」
 天狐と敬一の心は今や一つである。間に控え目な鳴き声が賛同していたが、どうやらまだ彼はどうしたものか、身の振り方を迷っているようである。
 一人と二匹の思いが通じた、のかは定かではないが、恵はそっと両手から顔を離した。双眼に写る掌に、きちんと照準が合うと、ぽそぽそ呟く。
「話してください。そこの妖怪だかなんだかの生きものが、後どれだけ居るのか。なんで猫まで喋るのか。河童って何なのか」
 敬一の漏らした言葉を、聞き漏らさなかったらしい。ゆっくり顔を上げた恵が、敬一を真っ直ぐ見返した。
「……うん、」
 眉を下げた敬一は、力強く頷き、それに応えた。彼女の瞳には、確固たる意志が、焔のように見え隠れしている。それは『覚悟』だと、敬一は受け取った。だからこそ、自分も確固たる誠意を持って、彼女に全てを伝えようと思った。
「判った」
 その決意もまた、『覚悟』である。


「………因みに、その先生は私が卒業して一年後、女装癖がばれて首になりました」
「「「…………………」」」

 返す言葉は、誰も持ち合わせていなかった。
 敬一の部屋へ向かう、先頭をきった彼女の後ろ姿に、何故か無上な逞しさを感じながら、一人と二匹は、ただ黙って後に続いた。




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