ああいい、オレが作る。おめぇは顔洗って来い。
と制されたのは15分程前。誰にってキビトさんしか居ない。
アイリスに訳を説明しながら身支度まで整え、今はリビングの床に座ったアレクの髪を梳いている。肩より少し長い柔らかな赤髪は、梳く度に艶やかさを取り戻し、ブラシの間をするりと通り過ぎる。子どもの髪って細い。やあらかい。勿論堪能しました。


「うん、よし、いいかな」

「うむ、ごくりょー」

「滲み出る育ちの良さ!」


ご苦労も上手く言えない癖に偉そう!
生意気なー。梳いたばかりの髪をぐしゃぐしゃと掻き回すと、あにすんだあ! と舌足らずの可愛い声が上がった。何って、可愛いがってんだよ。


「よしアレクこい」

「あにりょーてひりょげてんだよ行かねーよ行くかよばかじゃねーの」

「アレクに関しては昨日の方が良い!」


素直な君は何処に行ってしまったの!
昨日だったら喜んで飛び込んで来たであろうアレクに、うわ何こいつ的な目線を送られ、泣き顔で叫ぶと、ひょこりと顔を出す美少女。じゃなかったアダム。


「お、なに、来る?」

「…………………」


広げたままだった両手をそのまま、アダムに向ける。中身があれでも、見た目が警戒心を削ぎ落とすのだ。うんごめんただ私が可愛いのを愛でたいだけですはい。
ところが、いつもなら頼んでもいないのにやたらとくっ付くアダムは、そこから動かない。喜ぶどころか寧ろ不満気に眉根を寄せている。


「アダム?」

「チッ、おいこりゃいつ元に戻んだ」


えええ舌打ち?
問われたユーリはテーブルからのんびりと此方を向いた。


「さあ? 私にもわかりかねます」


再び舌打ち。勿論アダムが。せっかく可愛いのに台無しである。


「もーアダム、そんな口の利き方ってない。ほら僕って言ってみ?」

「お前はちょっと黙ってろ!」

「えええ怒られた……!」


睨まれてしまってしょぼくれる。可愛いアダムに睨まれた。怒鳴られた。思ったより大打撃。ぐっすん。


「メグミに当たんなよ。なにイライラしてんだアダム」

「ウルセェへたれこぞう」

「てめ………」


見兼ねたオズが声を掛けてくれたが、アダムは剣々した態度を崩さないまま。オズの口元がひくりと引き釣る。ああやばい、喧嘩になる。


「あは、子ども扱いがやーなんでしょー」

「ウルセェってんだよ!」


Dの余計な一言で、だんっ、と響いた床を打つ音に、びくりと肩が揺れた。一瞬で静かになってしまったリビングで、ソファーに座るDがくすりと笑うと、それは自棄に大きく聞こえた。


「ぞんがい、中身と釣り合ってんじゃん」

「のっ!」


はっと身を震わせ手を伸ばしたが、一歩遅かった。アダムの腕を寸でで掴めず、彼はテーブルの上に乗ってDに飛び掛かる。出したままだった絵本を踏み、ページが破れた。


「アダッ、……ム」


身体が立派に成長した男性の取っ組み合いは、洒落にならない迫力だ。私見たから間違いない。その危機感でもって、身を乗り出し叫んだ、が。


「……………………」


ぽかすかぽかすか。そんな可愛い擬音が似合う。なんだこれ。なんだこのほのぼのした喧嘩。


「はっ! いやいや、ちょ、やめなさい! こらっ!」

「メグミは引っ込んでろ!」

「った! かみ、ひっぱんなっ、て、のー!」

「いあっ!? て、てめっ、かみやがったな!」

「ちょっと! やめなさいって!」


いくらいつもの迫力が無いからといって、やっぱり暴れられるのは困る。ソファーから落ち、床をごろごろ転がる2人は、色んな物にぶつかっていて危ない。しかし制止は聞いて貰えない。どうしよ、え、どうしよう。


「やめねぇか!」


びくん、と肩が跳ねた。喝を入れたその声で、空気が震えた気がする。
おろおろし出した私の代わりに、お父さんの登場である。見ればキッチン入り口で、エプロン姿の若きキビトさんが、両手に皿を携え仁王立ちしていた。
それから私と同様にびくんと震え、止まってしまったアダムとDに、ツカツカと歩み寄、途中皿をクロスに手渡してから歩み寄った。
見下ろすそれは、図体の差からしても、迫力あるだろう。それに加えて眼力。2人は動けないようだった。
その2人を前に、キビトさんはまず上になっていたアダムの首根っこを、むんずと掴み、Dから引き剥がす。引かれ、後ろ足で後退したアダムは、よろけながら目をぱちくりさせている。
そして次に、仰向けにぽかんと見上げるDの腕を取った。引き起こす。起こしたらアダムと同様に、首の後ろを掴んで引いた。
やはりよろけたDが、ととと、と口から漏らすと同時、はあと溜め息が吐かれたのを、私は聞き逃さなかった。シオン? 向き掛け、て。

――ゴスン!

「「いってぇ!?」」


鈍いがそれなりの音を立てたそこに、バネのように首が戻った。
今の私の横にテロップを添えるとしたら、『!?』である。
い、今のは拳骨? 凄い音しましたが?


「「なにすんだ!」」


きっと涙目で見上げる2人は、頭を押さえている。やはり拳骨されたらしい。
キビトさんは、それぞれをゆっくりと見下ろし、すう、と息を吸い込んだ。何故か私も身構える。そして――


「――飯だ。喧嘩は後にしやがれ」

「いやいやいや! 後でも先でも家で喧嘩は駄目でしょ!?」


ちょっとズレた台詞に、思わず突っ込んだ私悪くない。
キビトさんはきょとんと私を見返して、また2人に向き直る。ちょっと待て今のは何だ。そうなの? みたいな今の顔は!


「ん、だそうだ。飯食って表ぇ行けよおめぇら」

「……………………」


うわあ、全然納得してない顔してるしー……。ぶっすう、と不機嫌丸出しで顔を顰めるのはアダムだ。いや私もさっきのキビトさんには納得いかないけども。
Dは乱れてしまった頭を適当に掻きながら、ふうと一息。次にはにこりと笑んだ。


「はいはーい」


う、わあ……。
昨日が昨日だから、笑顔にやたらと感動を覚えたのは仕方ないのか。笑顔の子Dがべらぼうに可愛い。思わず凝視してしまう程に。


「……そんなに見つめちゃいやーん」

「えっ、なにそれもう一回

「メグミおちつけ鼻息あれぇ」


きゃ、と頬を押さえたD。でかけりゃどん引きレベルのそれも、今はハイパー幼児タイムである。鼻息も荒ぶるってものです。


「だ、だって……!」

「ああもう解った解った。解ったからワナワナふるえるな」

「メグミのへんたい」

「誰かアレクの時を戻してぇえええ!」


そんな毒しか吐かない君は嫌いだ! 嘘ですむうと口をへの字に曲げた顔にも最早愛しさしか感じない!


「メグミ、まあ座れって。話はそれからな」

「キビトさん、何か落ち着いてますね」

「ん、まあ……過ぎた事は言っても仕方ねぇからな」


大人だ。大人の見本が居る。
素直に感心していれば、キビトさんはキッチンに引っ込んだ。それを目で追ってから、言われた通りに座るかと腰を屈めて。


「過ぎた事は言っても仕方ねぇ」


ん? 何で2回言った?
キッチンから聞こえて来た声に、首を傾げた。




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