03


「………………………」

「はい? なんでしょう?」


キッチンに立つ。と、そこでいつの間にか、私の後ろを付いて来たらしい紺色髪が隣で、じっと私の手元を見つめた。
さっきオズと暴れ放題暴れていた彼だが、今は静かなもので、訊いても何も言わないし、動かない。珍しいからかな?
別に邪魔するワケでもなさそうなので、そのままにして作業を開始する。


「今からご飯炊くと、時間がかかっちゃうから、簡単な物しか出来ないですけど、ちょっと待っててくださいね」

「………………………」


適当に話し掛けながら、食パンをオーブンに入れ、卵を冷蔵庫から出す。電化製品を利用する度、彼が少し戸惑いを見せるのが解る。
オーブンの音に肩を揺らせた時はつい吹いた。


「オーブン、って言うんですよ。ほら、パンが、えーと、フフルが焼けたでしょう?」

「………………………」


じっと見つめる隻眼。けれどいつもの眼帯は、していない。後ろ髪が短くなった彼の、丁度顔半分を、長い前髪が、隠している。
皿に乗せたパンと、オーブンを交互に見る彼を横目に、バターを切る。と、終始静かだった彼がつと口を開いた。


「……それは?」

「これ? これはバ、ユードだよ」


あっちの言葉で教えてやると、何故か私をじっと見返す。


「?」

「そっちのは」


次に指を差したのは、塩の入ったプラスチックケース。意外とこういうのに興味あるのかな……?
それからも、フライパンにひく油だとか、サラダに使うドレッシングだとか、使う物使う物を何か訊いてくる。こんなに自分から喋る彼も珍しい。結局出来上がるまでずっと私の隣にいた。


「クロス」

「……、なに」


呼べば、少しだけ表情を硬くした。けれど、気付かないふりをして、私は微笑む。


「お皿、運んで貰えます?」


持ちきれない多数の皿を、両手に持って軽く上げて示すと、少し考えてから、手を伸ばした。私の手から、彼の手へ。


「ありがとう」

「別に………」


素っ気ない。ボソリと言って、皿を手にキッチンを出て行く、小さな背中。素っ気ない、けど。


「………いやしかし可愛いなコノヤロー」


可愛いからもういいと思う。刺々しかろうが怪しまれていようが、なんだっていいと思う。チビクロス、ほんっと可愛いから。皿を運ぶチビクロス、ほんっと果てしなく可愛いから。


「のんきねメグミ」

「う? いやさあ、もう考えても仕方ないかなって」


呆れたアイリスに緩く笑いかければ、首を横に振られた。


「メグミのその能天気さはもう尊敬に値するわ」

「えへ」

「ほめてないわよ」

「……………えへ」

「はあ…………」


皿を運ぶアイリスを見送りながら、最後の食パンをオーブンから出す。
それを手に、リビングを覗けば、それぞれが、面白いくらいそれぞれに、部屋を物色していた。
ソファーが気に入ったのか、ずっとぴょんぴょん跳ねているオズ。それをハラハラ見つめるアダ………銀髪。窓の外をぼんやり眺める黒髪と、救急箱をひっくり返してガサガサしているD。皿を置く紺色、クロスと、掃除機に首を捻るキビトさん。キッチンを出れば、リビングの入り口で膝を抱え、ぐずぐずと鼻を鳴らす赤髪もいたってうわっ、ごめん……!
一番年下であろう赤髪くん。これは放っておいた私が悪い。
皿を置いて、慌てて彼の隣に跪く。と、ひっ、と悲鳴を漏らして身を引かれてしまった。
そっと手を出したら、びくっと震えて身構える。触れる、ことは出来なかった。
中途半端に伸ばした手と、私を交互に見つめる、怯えた色の双眼。


「………あのね、私嘘は、吐かないよ。約束する。嘘は吐かない」


今にも零れそうな、潤んだ瞳。


「いつか、ちゃんとおうちに、帰してみせるから」

「っ、ふ、おか、おかあさ、ひぐ、う、え」


それが私の言葉で、ボロボロと零れだし、彼の小さな膝を濡らす。


「うん、ごめんね。今は、どうしたらいいか、解んないけど、ちゃんとおうちに、帰すからね」


うああ、と大口を開けて泣き出した赤髪を、今度は躊躇なく撫でる。アレク、と優しく呼べば、私の胸に飛び付いて泣き続けた。
ちっちゃい背中をあやすように叩いて、怖かったよねえ、怖いよねえ、と独り言のように呟やく。こんなにちっちゃいんだ。怖くない筈がない。気が付くのが遅くて、ごめんね。


「……………………」


暫くアレクの背を撫で擦っていたが、ふと気付けば、リビングが異様に静かだ。
あれ、と思い振り返りかけ、ぐう、と響いた音に止まる。


「………………………」
「………………………」
「………………………」
「…………え、いや、私じゃないよ!?」


何故か視線が集中して、慌てて首を振る。いや本当に私じゃない。私じゃないんだちょっと何その疑いの眼差しキビトさん!


「……………………」

「ん? え?」


尚も首を振って否定を示していれば、ゆるゆるとアレクが顔をあげた。じっと自分のお腹辺りを見て、ゆっくり私を見上げる。赤く腫れた目が、訴えたそれに、ああ、と納得。


「ごはん、食べよっか」


告げると、アレクはちょっと迷った後、こっくり、と頷いた。頬が緩んだ。
でろんでろんに余った袖を何重にも捲って、よいしょ、と彼を持ち上げる。
恐らくスウェットは、既に脱げてどっかに落としてきたのだろう。それでも十分、シャツは足まで隠していた。そのアレクを抱っこしたまま、振り返る。


「よし、ご飯にしよー!」


奇想天外奇妙奇天烈、最早今更。
アイリスは呑気だと言ったが、ちょっと違う。今の私がどういう状態か。世間一般で言えばそれは、

ふ っ き れ た

と言います。


「おなかすいたー!」


パタパタと寄って来たチビオズを見ながら、ふっと息を漏らし笑う。
もう吹っ切れたからね。受け止めるさ。決して広くない懐ですがね……!

ローテーブルにちょこん、とオズが座ると、えらく遠慮がちに、その隣に……信じたくないが、アダム、が座る。微笑ましい光景に頬を緩ませながら、私も向かいに座した。膝にはアレクが居る。私の服の胸辺りをギュッと握るもみじの手が、これまた微笑ましい。てか可愛い。私を囲む全てが可愛い。ちょっとこれなんて幸せ。


「好きなとこに座ってね」


キビトさんは私を見つめながら、溜め息を吐いた。諦めたようなそれをした後、無言で席に着く。私を気にしながら、キビトさんの隣へ座ったのは、黒髪。つまりシオン。くんくん、と料理の匂いを嗅いでいる。小さくなっても失礼だなお前。
Dは暫く料理を眺めていたが、ふいっと視線を外すとキッチンへ入った。カウンターの向こうで、救急箱から見つけだしたと思われる包帯を、口にはむとくわえる。水の音がし出したから、多分血を流しているんだろう。
本当ならキッチンは避けてもらいたかったが、流さないよりはましだ。水音が止めば、そのまま今度はさっきまでアレクが居た、リビングの入り口の横に移動した。座り込んで、洋服で濡れた手を拭っている。
それを目で追っていれば、不意に影が差した。
見上げる。隻眼と目が合う。首を傾げると、ずい、と皿が差し出された。


「…………さきにたべろ」

「え………」


なんで? え、なんで?
戸惑っていれば、更にずずい、と皿が鼻先まで近付て、つい、受け取った。
よく解らないが、クロスはいたって真剣で、圧されるように、よく解らないまま頷いた。いや別にいいんだけど、え、なんで? あ、味を見ろってこと?
不思議に思いながら、オムレツの端にフォークを刺す。ぱくり、と口に入れて咀嚼する。ん、まあまあかな。
キビトさんに比べたら、そりゃ劣るが、普通に食べられる範囲だ。普通。私は基本的にその枠から出ない。や、別にいいんだけどさ。キビトさんとあんまり差があるからさ、女としてちょっと落ち込むって言うかさ。別にいいんだけどさ……。
なんて事を過らせながら飲み込んで、クロスを見上げる。


「…………………」

「え」


暫く無言で見ていたかと思えば、おもむろに私の前から皿を取り上げた。


「おれ、これ食べる」

「え、ええ? でもそれ、私食べちゃっ、」
「これがいい。もんくある?」


テーブルに座ってしまった彼に軽く睨まれる。クロスが、クロスがおれって言った……。


「クロスがいいなら、いいけど………」


あ、勝手に食べ始めた。何がしたかったのか解らないが、本人の気は済んだようだ。


「たべていーか?」


尋ねられて、はっと顔を向ける。瞳を輝かせたオズが、フォークを手に今か今かと待ち受けていた。頷いてどうぞと微笑めば、待ってましたとばかりにウィンナーに噛りついた。元気だなー。
膝にいるアレク見下ろすと、そのオズをじいっと見つめていた。


「アレク、どれ食べたい?」

「……………………」

「ん、りょーかい」


アレクが黙って指差したウィンナーに、フォークを刺す。はい、と彼に手渡し、口に運んだのを見届けてから、顔を上げた。


「D、そこで食べる?」


包帯を巻き終えたDに、なるべくそっと声を掛ければ、すかさず鋭い視線が飛んでくる。
ローテーブルには、狭いが6人分の朝食。クロスが代わりに置いていった手付かずの皿を持ち立ち上がった。アレクには、降りてもらったが、不安そうに見上げられた為、ちょっと待っててね、と声をかけておいた。


「はい」


隅っこで座り込むDに、皿を差し出す。すんごい睨まれたが、それでもヘラヘラ笑って動かずいたら、私が引かないと悟ったのか、チッと鳴いて視線を逸らした。
それから、ぞんざいに片手を差し出す。寄越せ、そんな声が聞こえた気がした。


「えへ」

「……………………」


皿を手渡す。嬉しくて、思わず笑えば、訝むように睨まれた。ふん、と鳴く。皿は彼の膝の上に移動した。
ボケッとそれを見ていたら、また睨まれた。


「………なんだよ?」

「え? あ、いやいや」


へらりと笑って、踵を返す。あ、そうだフォーク。


「Dフォ、おお……ワイルド」


フォークを手に、振り返れば、Dは既に、ガツガツと手でオムレツを口に放り込んでいた。野生児まるだしか。


「D、フフルはこっちにあるからねー……」


手拭きが要るな、などと冷静な部分で考えながら、さて、ともう1人に顔を向ける。


「ユーリも、そこで食べる?」

「………そいつといっしょにするな」


華奢で綺麗な顔立ちだから、彼も女の子に見えなくない。こんな女の子がクラスにいたら、モテモテだろうなあ。アダムもユーリも、絶大な人気を誇ったろう。


「大したものじゃないけど……お腹空いちゃうよ?」

「私は、お前にせわになる気はない」

「でも、」

「放っておけ」


食事する手を休めず、キビトさんが言う。え、でも、いいのかな……。迷っていれば、溜め息。


「……食いたくないやつは、食わなくていい。勝手に拗ねてろガキが」

「なっ、ぶれいもの!」

「うるせぇ。飯を食える、それがどんなにありがたいことか、解らねぇようなら、食わなくていい」

「っ、………、」


は、ハラハラする………!
眉を釣り上げたユーリを、チラリとも見ず、キビトさんは食を進める。見ていて心臓に悪い。


「物のたいせつさなら、私だって知ってる!」

「知っててそれか。ご大層なガキだな」

「〜〜〜〜〜〜〜〜」

「あ、あの、」


悔しそうなユーリの顔。涼しい顔のキビトさん。どうしようとオロオロしながらも、口を開いて。


「え………あ、え?」

「…………なんだよ」

「い、いえ別になんでも……」


苛立ちを見せたまま、テーブルへとついたユーリに、瞬く。睨まれて目を逸らしたが、食べる、のだろうか。
ちらと盗み見れば、静かに目を閉じたユーリがいる。
キビトさん……若いけど、彼の本質はあまり変わらないらしい。やがて食事を始めたユーリの後ろで、彼が小さく笑んだのが見えた。







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