02
リビングに傾れ込んで来た少年達を、慌てたアイリスに押し退けられるよう避けて、呆然と立ち尽くす。 食卓の椅子の足に、橙色の蹴りが入り、倒れ、ローテーブルの足に、紺色の頭がごちんとぶつかり、ローテーブルの上に、橙色の背が乗っかり、乗っていた雑誌やらチラシやらを撒き散らし、2人揃って向こう側にどさりと落ちる。1週間前に飾り付けしたクリスマスツリーを薙ぎ倒し、巻き込み、転がり、リビングと続きになっている畳部屋の襖を、紺色の振り上げた拳がバリ、と突き破り、じたばたと暴れる橙色の足が、観葉植物を倒した。零れる茶色い土。廊下に響く泣き声。再び掴みかかろうとした水色とアイリスの取っ組み合い。割れた食器棚。金髪の血の滲む拳。その拳が叩いた赤く染まった壁。時計が落ちた。割れた。カオス。…………はっ! 呆然と観察している場合じゃない。カオスだなんだこのカオスは。家が破壊されている、家が破壊される!
「やめ、やめなさい!」
わあわあ、どっすん、ばったん。誰も聞いちゃいねえ。よしお前らなめんな。 立て掛けてあった、フロア用掃除用具を手に取る。埃も抜け毛もこれさえあればばっちりの代物。それは今関係ないが。
「やめなさああああい!」
バシィン、とテーブルを叩く。驚いた皆が、停止して私を見た。泣き声も止んだ。
「此処は! 私の家! 暴れるなら外に行きなさい!」
びしり、とリビングの入り口を指す。ぽかん、とした少年達の顔は、酷く子どもらしい。いや子どもなんだけど。 でも、あれだ。ぶっかぶかのロングTシャツと、スウェット。それらを着ていた人物達を、私は知っている。日本においてまず中々見れないだろう、髪の色。比べてみれば、どことなく面影がある、ような気もする。それに加えて決定打。キビトさんによく似た彼は、自分でキビトさんだと名乗った。 なんなんだよもう。どうなってんだよもう。ここまできて認めない訳にいかないが、本当なら二度寝してしまいたい。目が覚めたら夢でしたとかそんなことを期待してしまう。ええい女々しい。腹を括れ。こうなったら腹を括れ私よ。
「はあ…………」
目頭が、ずきずき痛む。ついでに頭もずきずき痛む。静かになった居間を、ふらふらと横切って、ソファーにポスン、と座る。座った。ら。
「え…………」
半分開いた、襖の向こう。そこに立つ、背の低い人物が、目に入った。 此処にも子どもが、まだ、子どもが居た。今更1人増えたくらいで驚きはしないが、なんて言えばいいか、まだ居たか、と脱力する感じと言うか。朝からなんか異様に疲れていると言うか。目が合えばびくりと震え、そのまま無言で凝視する私を、不安そうに見つめ返した。銀髪の、うわ、なんだすげー可愛いぞこの子。泣きそうな顔して、やっぱりぶかぶかの服の、お腹辺りを握り締めている。何この美少女。
「おい」
「へあ?」
やたらに可愛い美少女を凝視していれば、不意に声がかかる。間抜けな返事をした私に、眉を寄せた、若いキビトさん、が此方を見ていた。
「てめぇは……此処がどこか、知ってるんだな?」
此処、で窓の外を見た。ああ、そうか。
「そこからなんだ………」
声は正直に、疲れを訴えていた。
―――………
「と、言う訳で、貴方達は私の家に仮住まいをしている訳です」
「「「…………………」」」
金髪くんの手当ては、させてもらえなかった。 本人が拒否したのだ。触るなとまで言われた。傷付いた。
一応、此処に居る経緯をかいつまんで話してみたが、きっと誰も信じてはいないだろう。それぞれ、微妙な表情を浮かべる彼らから視線を外し、床に転がる時計を見る。 時刻は、7時30分。今日は金曜日。だが幸運な事に、今日から冬休みだ。この状態で学校には行けない。
誰も座っていない居間で、唯一テーブルに座る私とアイリス。顔を向ければ、彼女も私を見た。無言で語りかける。ねえこれどう思う。いやいやわたしに訊かないでよ解んないわよ。と目で返された。 不審な目を隠しもせず私を睨み付ける自称キビトさんは、青春真っ盛り。そして鋭い眼差しを私に向ける彼の前には、ちびっこの群れが。聖夜の奇跡か。って、うん。そんな訳がないよね。しかもいま朝だよ。クリスマスイヴは今夜だよ。今クリスマス関係ないよ。 ものっそい認めたくない。認めたくないが、異様な光景は家のリビングで、私の目の前で、広がっている。 こんな時に限って、お兄ちゃんは旅行中。あかりちゃんとクリスマスをさぞや楽しく過ごしているんだろうよ。 何故若返ったのか、誰も解らない。勿論私も解らないから、それは話せずにいた。 歳と同じだけ、中身も若返っているのなら、私と出会った記憶が、彼らにはない事になる。何故此処にいるのか、話してみたものの、身に覚えがない事を説明されたって、全く納得なんかできないだろう。私だったらこいつ何言ってんだ? と思うし。あれじゃ歪みの神と星の神の頭がおかしいってことぐらいしか伝わっていない気がする。ん? ちょっと、待て……歪みの神? はっとして息を飲む。まさか、まさか、いやしかし、時間を巻き戻す、そんな摂理を覆すような真似が出来るヤツなんて、他に、
「よくわかんねーんだけど、おれ、かえれねーの?」
パチン、と弾けるように、思考が遮断される。我に返り、くり、と首を傾げたソファーに座る橙髪の彼に視線を移した。いつの間にソファーに座ったんだろ。本当によく解らないって顔で、純粋なエメラルドに、クエスチョンマークが浮いている。
「うん……うん、帰して、あげたい。帰してあげたいけど、どうしたらいいのか、私にも、解らないの」
「ふうん」
活発そうな少年。眉を寄せ口を尖らせる彼は、しきりに首を捻った。うん、何にも解らないんだね。何一つ解ってないんだね。
「…………えっと、オズ」
「お? おお……ほんとにしってんだな!」
告げてもいない、自分の名を呼ばれて、目をくりくりとさせたオズが感心したように声を上げた。やはり幼い顔立ちである為か、元の彼より可愛らしい。にかー、と笑ったその顔は、間違いなく私のハートを鳴かせた。可愛いすげー可愛い。 いやまあ、それはともかくとして。 幼い彼は、難しいことは解らないんだろう。けれど、私が一番伝えたいことは、別のこと。他は理解出来なくてもいい。 彼、オズが、幼いからだとしても、子どもだから深く考えてないにしても。
「……知ってるよ」
笑い返して、小さく呟く。隣のアイリスに聞こえるか、聞こえないくらい。
「でもそっか、おれかえれねーのか……」
むーん、と難しい顔をしたオズが、腕を組む。その隣で、上目にチラチラ私を伺っている銀髪の子の手は、オズの裾を握っていた。こっちもすげー可愛い。てかさっきも思ったけど何この子。誰なの。こんな美少女知らないんですけど。
「銀、と言えばひとりしか居ないけど………」
まさか、ねぇ。 目が合うと小さく肩を揺らし、俯いてしまった。うん、まさかだよね。この儚げな美少女があれに成長するとは思えない。頬に十字の傷があったとしても、私は信じない。断じて信じない。
「しょーこは」
「あらやだ、小生意気」
水色の髪にも、思い当たる節はひとりだけ。しかしこの子も、ふんと馬鹿にしたように鼻を鳴らしたり、壁にもたれたまま腕を組み、座る私を偉そうに見下ろしたり、イコールで繋がってくれない。顔は可愛いんだよ顔は。 と言うか、可愛いちびっこのオンパレードだよ。赤髪のあの子なんかもう、今すぐ抱き締めたいよね。本当は今すぐ愛でたいよね警戒されてるからしないけど………!
「ないなら、しんじるわけにいかないね」
「ユーリ」
「っ、…………かどわかすなら、あいての名前くらい、知ってて当たり前だ」
「むむ、可愛くない……」
皆、身分は高い。だから誘拐と疑われても、まあ仕方がない。見たことのない物に囲まれて、他に説明が付かないといっても、素直に受け入れられないんだろう。子どもながらに虚勢を張って、自分を守っているんじゃないかと思う。 それでも、ひとつだけ、これだけは解って欲しい。
「持って来たわよー」
「ありがとアイリス」
救急箱を持ったアイリスがリビングに戻って来た。テーブルに置いてくれた救急箱を開けて、金髪を呼ぶ。
「D」
「っ、」
金髪、つまりはD。なんだろうけど、彼がこれまた酷く印象が違う。くすりとも笑わないのは、今が警戒する時だからなのか、怪我をしているからなのか。とにかく顔が険しい。周り全てを敵とみなしているように見受けられる。 今も、呼んだ私を盛大に睨んでくださっていた。
「えっと、自分で手当て出来るかな?」
こん中の物好きに使っていいから、と救急箱を示して言えば、要らない、と返ってきた。いやいや、要らないって言われても。今は血は止まったようだけど、真っ赤に染まった拳は痛々しい。見ているこっちが痛い。
「でも、ちゃんとしないとばい菌入っちゃうし、」 「いらないって言ってんだろ!」
「お、おお……頑なですね」
噛み付かれそうな勢いだ。うーん、困ったな。なんか凄く苛々してるみたいだし、無理に言っても更に苛々するだけかもしれない。 あ、そうだ。
「お腹、空きませんか?」
「……はあ?」
手負いの獣状態で、がるるる、と威嚇するDに、思い付いたまま言って、へらりと笑う。
「ね、お腹空かない?」
少し声を張って、皆を見回す。 すいた! と笑顔で答えたのはオズだけだったけれど、笑顔で立ち上がった。
「朝ご飯。取り敢えず朝ご飯食べましょう」
立ち上がり、変な顔したDから踵を返す。キッチンに向かい、後ろを見ないまま、血を流すならあっちですよ、とだけリビングの入り口を指して述べた。 血が着いてたら流石に、ご飯食べれないでしょう。
「お腹が空くと思考も鈍るからねー」
お腹が膨れれば、ちょっとは余裕も出る筈だ。気持ち程度でしかないかもしれないが、食と心は繋がっていたりする。少なくとも私はそうだ。散乱状態の部屋の片付けは、後回し。 不安にさせたいワケじゃない。不安にさせたい筈がない。
「アイリス、手伝ってくれる?」
「ん」
各々複雑な表情が私を見つめる中、キッチンに立つ。 伝わって欲しいのはひとつだけ。混乱の中で、それをどう伝えたらいいか、正直解らないけれど、解らないなりに、考えた。考えて、ごはん、にした。
「好きにしてていいからね」
冷蔵庫を開ける前に、カウンターから声をかける。警戒は中々解けないみたいだが、あっち見てもこっち見ても知らない物や知らない人で、そりゃ嫌でも気を張るだろう。仕方ないことだ。 だから好きにしろ、と言ったのだ。気の済むように、してもらったらいい。それが一番、自分を納得させるのに早いと思う。家を破壊しなければ、何を触ったって何をしたっていい。 戸惑いと警戒が渦巻く居間から、視線を外した。
伝わればいい。
此処に、貴方達を傷付けるものは、何もない。
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