シンプルルール
一悶着あったが、話の再開である。 と言っても、私からの話は残り僅か。
「それであとは、着る物なんですけど」
現在フェルアラッツさんは、あんまり普段目にしないような、変わったデザインの服を着ている。 上着は深い青色で、詰襟、七分袖。ちょっと暑そう。柔らかそうな生地で、膝を覆うくらい丈が長い。両脇に切れ込みが入っていて、上半身は太い金糸でバッテンを作るように荒く縫われ、腰から下はそのまま垂れ下がっている状態だ。また身体脇の糸の隙間からは、肌色ではなく黒が覗ける為、下に一枚か若しくはそれ以上着ているのだろう。袖のまくり上げた部分や、切れ込みの縁に沿うように、金の飾り刺繍がなされている。 下半身は、上着で隠された部分以外に、鎖の編み物のような物をスカートのように着込んでおり、更にその下には黒のパンツ。昨夜金属のブーツで隠れていた足先は、足袋のような物を身に付けていた。足裏が厚いのが何となく判ったから、補強してあるのかもしれない。 うん、ね、これで町を歩くとなると、職務質問を受け兼ねないよね。そんな事はごめんだ。あと見れば見る程暑そう。早々に着替えて貰いたいところだが――
「現在、貴方の着られる服は、一枚たりとも、此処にありません」
男物など、うちにはない。 フェルアラッツさんはあれ以来大人しく聞いていてくれたが、ふと呟く。
「なら、そちらの心配はしなくて良さそうだな……」 「そちら?」 「ん、ああ」
目が合う。
「もし貴女に良い人が居たらと、」 「話を続けます」 「…………………はい」
男物が一切ない。つまり男の影もない。という要らない連想をしたらしい彼を遮って、暗に禁句だと含める。聡いのは判ったからその脳みそは違う場で活躍させろ是非に。 視線を逸らし返事をしたところを見ると伝わったようだし、続きを述べることにしようじゃないか。判ればいいんだ判れば。
「そうですね、寝間着と、外出着と、二着づつ、少なくとも三着は欲しいですね」 「………すまん」
汐らしくされて、ああそうだったと思い出す。
「今朝の食事もそうでしたが、こういう、必要な事に、遠慮はしないでください」
遠慮は大事だ。但し、関係に悪い影響を与えない場合のみに。 私達はこれから――長いか短いかは判らないが――、時間を共有していかなければならないのだ。親しき中にも礼儀あり。それは素晴らしい教訓だし、関係を友好的に保つにはベストとも言える。 ただ必要な事、生きる上で最低限必要な事で、一々こんなふうに謝ったりされては、互いに疲れるだけだ。まあ当然みたいな顔されるよりマシだけど。されたら張り倒すけど。
「………判った」
素直に頷かれ、頬が緩む。うん、何とかなりそう。
「て事で、私は買い出しに行って来ます」 「……………………」
そんな途端に不安そうな顔しないでくれ。失礼ながら、留守番に置いていかれる犬みたいですよ貴方。 その格好で連れて行く訳にもいかないし、此処までで彼を残して行く事への不安が大分解消されている。フェルアラッツさんなら、変な事しないだろう。それより職質される可能性の方がでかい。それだけは阻止したい。 追ってくる視線を感じながらも着替えを済まし、鞄を掴み、玄関を開ける。あ、そうだ。
「すぐ戻ります」
振り返って声を掛ける。こくり、彼が頷いたのを最後に、扉を閉めた。
愛車、詳しく言うと私愛用自転車に跨り、駅前まで出て、所謂ファストファッションのお店で無難な服を買い込み、パン屋でお昼用のサンドイッチを購入。 急いだつもりが、一時間以上経っていて、脳内でぎゃあと悲鳴を上げた。 そして照りつける日射しの中、全身に汗を掻きながらの帰宅。休日一日目、しかも午前中だけで、物凄い体力を削られてんですが。畜生この階段が。階段の分際で。
「ただ、いま……」
喉がカラカラだ。色の変わるまで汗の染みたシャツも脱ぎたい。てかシャワー、シャワー浴びたい。
「おっ、おかえり!」
………………オゥ。 出て行く前に犬を連想したからか、玄関先に駆けて寄ってきた明るい顔の上に、三角の耳が見える気がした。 見た目はきりりとしていて、目力のある大きめの一重や、スッキリした顎のラインなど、どちらかと言えばクールフェイス。頭の良さそうなとことか、最初のあの警戒とかを思えば、猫科っぽいのになあ。あ、どっちも三角耳はあるか。 等と私が変なイメージに捕われている間に、フェルアラッツさんは私の手にある荷物を、とても自然に奪って行った。
「あ、すみません」 「私こそ。任せっきりだ」 「や、違くて」 「?」
きょとんと首を傾ける様子が、なんだか可愛らしい。靴を脱ぎながら、さっきから変な感想ばかりを抱く自分に苦笑が漏れた。
「時間、思ったより掛かっちゃったから。待ちくたびれたんじゃないかと」 「ああ――……、そんなこと」
思わず漏れた声と、その後の否定の間に、僅かな隙間があった事を、私は見逃さなかった。不安そうにしていた。ぽつんと部屋に取り残されて、心細くない筈がないのだ。 わざと『待ちくたびれた』と言ったけれど、今の間(ま)に、それを確信した。
「限られるのは予想済みだ。此処に来て少ししか経っていないのに、私には判らない事だらけだからな。その分、貴女には苦労をかける」
慌てて首を振った。まさかそんな真摯で堅苦しい答えが返ってくるとは思わなかったのだ。真面目、なんだな、この人。
「重かっただろう。少し休むといい」 「あ」
踵を返しかけた彼が、不思議そうに私を見下ろし、私が眉を下げて彼を見上げる。
「ほんとならフェルアラッツさんを先に、と思っていたんですけど、私先にシャワー使わさせて貰いますね」 「シャアー?」 「あ、ええと水浴び? 汗でベトベトなんです」
彼がなるほどと言うように頷く。そしてぎょっとした顔でまた私を見た。私までぎょっとした。
「水あ、い、いや、何でもない。わ、私はあっちに居る」
どうしたお前。急に吃り出したフェルアラッツさんは、ギクシャクしながら部屋に入って行く。あ、頭ぶつけた。
「とっ、扉は閉めておくぞ! 閉めるからな!」 「はあ……」
挙動不審なんですけど。の割りには、引き戸は静かに閉めたなー……真面目なんだなやっぱり。
「あ、着替え」
ガラリ、引き戸を開ける。と。 もの凄く肩を跳ねさせた、否、あれは飛び上がったが正しいな。飛び上がったフェルアラッツさんが、わあああと悲鳴を上げた。吃驚した。何がどうしたんだお前は。
「わわわわ私はっ、決して邪(よこしま)な気持ち等、一片たりとも持ってはいない! 誓って本当だ! 星天神に誓う!」
………本当に、一体何がどうしたお前。 何故か目を固く閉じ、胸に片手を当てたまま動かなくなったフェルアラッツさんは、一先ず放っておく事にし、さっさと着替えを出して部屋を出る。 冷静に見えて、一度動揺すると収拾つかないタイプなのかもしれない。 昨夜外を見たフェルアラッツさんの叫び顔を思い出して、つい、吹き出してしまった。 パニックに弱いんだなー……。なんでパニくったのかはさっぱり判んないけど。 シャワーを浴びながら、そういや使い方判るのかなと、素朴な疑問を抱いた。
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