ファーストモーニング
今朝私は、目覚めて顔を洗いに部屋を出て。
「おうっ!」
と変な悲鳴を上げました。それが実に長い1日の始まりでした。
とまあ、無駄に日記風に思い起こしてみたが、引き戸の前に立っていた男と私は、現在部屋で対峙中である。デジャヴだ。 鎧――あの金属達は鎧だったらしい――を脱いだフェルアラッツさんは、どうも落ち着かない様子で、ずっとソワソワしている。
「何か思い出しました?」 「何か……とは?」
ちょっとだけ落胆。そんなに期待していた訳じゃないけど、一晩経っても、進展は望めないらしい。訝しむ彼に、いえ、と返して、少し考える。 まず決めなければならない事は何だろう。決定権は、断然私にある。当然だ。家主は私なのだから。 目線を上げると、不安そうな瞳があった。気抜けする。昨夜もそうだった。この人の、私とそう変わらぬだろう青年の、情けないような困り顔は、なんだか力が抜けるのだ。
「取り敢えず、朝ごはんにしましょうか」
へらりと笑う私に、フェルアラッツさんはパチパチと、瞬きで返した。立ち上がり、キッチンに向かう。 いつもなら、焼いたトースト一枚とか、ヨーグルト1つとか、自炊と言えぬ範囲で済ませてしまうのだが、私だけでないならそうもいかない。 冷蔵庫を開けると、味噌と缶ビール以外、見事に何もない。うん、女の部屋の冷蔵庫じゃないなこれ。あ、チーズがあった。ツマミ用。悲しくなってくるねまったく。 確か前に炊いたご飯が、冷凍庫にあったか。いや私が炊いたんじゃないけど。この前お母さんが来た時に作ってくれた残りだけど。 冷凍庫にご飯を確認して、そうだツナ缶があったと思い出し、いやいやツナ缶とご飯で何が出来んだよと失望。まさかツナかけご飯を出す訳に行くまい。せめて味噌汁でもあればいいんだけど……味噌だけあってもね……自分に失望だよ。 そのがっかり感を溜め息として出し、冷凍庫を閉める。漏れていた冷気が無くなると、途端に生温い空気に侵略された。振り返る。
「おうっ!」
びっくんと肩が跳ねる。デジャヴその2。 フェルアラッツさんが真後ろに立っていたのだ。物音しなかったんですけど。気配まったく感じなかったんですけど。 彼は驚いた私に構わず、冷蔵庫を凝視している。
「それは?」 「え? ……これはー、冷蔵庫、ですが」 「冷蔵……低温貯蔵庫と言う事か?」 「うん? え?」
顎に手を当て、難しい顔をしたフェルアラッツさんは、戸惑う私を尻目に、小さいな、等と呟いている。
「この大きさだと、セイセキはどの位消費するんだ?」 「せ、ん?」 「いや、こんなに小さい物は見た事が無くてな。かなり低温を保っているようだったが、どうやってセイセキ活動力を収めているんだ? 凄い技術だ。是非我が国にも取り入れたい」 「ちょ、ちょっと待ってください」
何故かテンションが上がった様子のフェルアラッツさんを、手で制する。何の事やら、宇宙語みたいだった。
「せ、せいせき? って何ですか?」
変な顔をされた。デジャヴその3。この分だと、何回も繰り返す羽目になりそうだ。
「星の石だ。星石。主な燃料はそれだろう?」 「ほ、星の石? 石が燃料なんですか?」
石炭みたいな? 随分原始的だなおい。会話が噛み合ってないぞこれ。
「違うのか?」
ふるふると、かぶりを振る。
「じゃあ、何で動いて……」
フェルアラッツさんは再び冷蔵庫を凝視した。
「なんでって、電気で」 「デンキ?」
成り立たない会話。なんか、凄く気持ち悪い。圧倒的に足りないのだ。情報が、理解が、足りない。
「此処では………、この、世界では、エネルギー源、……ええと活動源? 活動源は、電気が主です」
エネルギーの横文字に、彼の眉が寄った為、言い直した。すると納得したように頷く。青い目の異邦人さん。横文字は駄目らしい。
「その、星の、石? 星石とかは、聞いた事もありませんが、多分、それに変わる物が、電気かなと思います」 「なるほど……」 「えーと、それで、ですね」
彼が、ん? と首を傾ける。彼は中々男前と言うか、そんな事に構っていられなかったから気に止めなかっただけで、割と整った顔立ちをしていた。騒ぐ程でもないけれど、イケメンの部類に入る、と思う。
「ちょっと材料が……、足りなくて、ですね」
しかも恐らく、聡い。 私がそこまで言うと、何の事か理解したようで、僅かに首を左右に振った。
「私の事は気にしなくていい。朝食は、貴女だけで済ませてくれ」
表情はやや固いが、声色は柔和だった。遠慮、そんな単語が頭に浮かぶ。
「そういう訳にはいきません。空腹で頭が鈍ったら困りますし。これからいっぱい頭使いますよ、多分」 「それは、そうかもしれないが」 「そうですよ」 「……………………」
強引に押し通した感が否めないが、彼が閉口したのをいい事に、くるりと身体を回転させる。 そして――
「普段、朝はあまり食べなくて…………すいません」
ローテーブルを挟み向かい合う私達の前には、醤油ツナかけご飯丼。存在感あり過ぎである。どーん、ってそんな効果音がベストマッチ。 これしかないのだから仕方ない。とは言え、情けない見栄えに縮こまって謝る。すると彼は丼を凝視していた目を上げ、慌てたように細かく首を左右に振った。
「いや、感謝する」
丼を前に、明らかに戸惑っていたのに、彼は滑舌良く述べて、スプーン――箸の使い方を知らなかった――を握ると、おもむろにご飯をひと掬いした。いやそんな畏まって食べるもんでもないんだけど……。 たかがご飯にツナを乗せて醤油をぶっかけただけのそれを、ゆっくり口に運ぶ。ぱくりと一口で頬張り、むぐむぐしていかと思うと、飲み込んだ途端に顔を上げた。 何となくぽかんと一連を眺めていた私と言えば、しっかり合わさった視線に、ちょっとだけ顎を引いて身構えた。
「中々、だ」
何その正直過ぎる感想。 視線を落とす。箸を掴み、丼を持ち上げる。
「いただきます」
口の中に入れると、醤油の芳ばしい香りが広がる。ご飯の熱で温くなったツナは、噛む度旨味を滲ませた。 うん………うん、そうね。中々ね。うん。 決して不味い訳ではなく、かと言って特別美味しい訳でもない。見た目からしたら十分と言える。好んでは食べないけど。 彼の視線がどうだったと言わんばかりだった為、苦笑いで返しておいた。それからはお互い黙々と丼を貪っていた。冷静に考えればシュールな絵である。
食べ終えると、彼は再度礼を述べた。ツナご飯でここまで感謝されると、逆に肩身が狭い。もういいですからと苦笑して、逃げるようにキッチンへ入った。 そうして丼を洗い終われば、いよいよ話は本題に。 まず言わなければならない事から。これがなくては始まらない。真剣な顔の彼を、表情を引き締め見返す。
「貴方の寝床は、昨日と同じです。毎回そこで寝て貰います」
うん。まずはそれが大事だ。どんなに信用が置けても、恋人でもないのに同じ部屋で寝るなんて、言語道断。因みに昨夜は用心して、枕元に布団叩きを置いておいた。 切り出しに満足して頷き、続けて口を動かす。
「食事は……、さっきのは忘れてください。次からはちゃんとしたものを用意します。あ、食べられない物とかあったら、言ってくださいね。それからー……、」 「ちょっ、ちょっと待て」 「はい?」
制止に首を傾ける。
「貴女は一体、何の、話をしているんだ」
彼は何故か、一部を強調して訊ねた。
「えっと……、これからの生活の話?」 「いやそういうことじゃっ、っ、」
彼が僅かに声を荒げ、途中で口籠もった。苛立っているのか、眉が不快そうに寄っている。その様子に、若干の不安を覚えた。何か不都合があっただろうか。 そろりと上目に伺うと、彼は長く、細く、息を吐いた。
「自分が何を言っているのか、判っているのか?」
彼の低い声が、落ち着いたトーンで紡がれる。少し逡巡してみるが、何の事か、思い当たる節がない。首を傾けた私を見兼ねたのか、彼は再度口を開く。
「貴女は、信じていないと言ったではないか。素性も判らぬ男を、貴女は此処に置くつもりなのか」
ああ、なんだ、そっか。
「私、信じないなんて、言ってませんよ?」 「は?」
あ、間抜け面。
「だから、信じてないなんて、言ってません」 「………なに?」 「だから、………、確かに、全部が全部本当だとは、思えません。でも、貴方がどうして私の部屋に居たのか、どうやって来たのか、その経緯が判らないって事は、本当だと思います。思うんです。貴方を此処から追い出したら、貴方が路頭に迷う姿が、容易く浮かびます」
だから、
「何か判るまで、うちに居るのが最善なんじゃないですか?」
これはフェルアラッツさんにとって、悪くない話の筈だ。なのに。
「だ、だが……」
何をそんなに渋っているのか。
「私は男だし、貴女は見たところ、此処に一人で暮らしている」
確認するように視線を投げてきた為、頷いて返す。
「だから、フェルアラッツさんは、向こうで寝てくださいね」 「そういう問題じゃ………」 「じゃあ、何が問題なんです?」
私はもう、この降って湧いた厄介事に、関わる気で居る。今朝一番、彼の申し訳なさそうな顔を見て、そう決めたのだ。 彼は何かが喉につかえた時のような顔をすると、溜め息を吐いて、手で髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。 その手が止まり、ぽとり、膝に落ちる。
「世話に、なる」
小さな呟きは、きちんと私の鼓膜を揺らした。
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