キャパシティーオーバー


 フェルアラッツ・ゴーフェ。どうやらそれが彼の名前である。
 フェルアラッツが名で、ゴーフェが姓(かばね)。変な名前というのはこの際置いておこう。それよりも問題はこの後なのだから。

 微妙な距離を置いて――部屋が狭いからそんなに離れていないが――正座した私と、曲げられないのか適当に足を崩した彼と。何かこう、逆な気がしないでもない。奇妙な心地だ。溜め息が出そう。
 自己紹介が済み、取り敢えず経緯を聞く事となったのだが、それを要約すると、こうである。
 戦闘中、自分の跨る竜が、魔法によって大きな傷を負い、後退する為飛翔した。だが手負いでは上手く飛べず、彼は竜の背から落ちた。そして、気が付いたら此処に居た。と、そう言うのだ。
 何処から突っ込めばいいのか、あり過ぎて逆に閉口した。理解出来ない前提で話されたとしか思えなかった。此処は日本で、では彼の国は何処かと言えば、ドラホーン王国。何処だよ。
 自分が知らないだけかとも思った――思いたかった――が、竜騎士部隊所属、一番隊副隊長、という肩書きは、世界中何処を探しても得られないだろう。就活にも全く役立ちそうにない。
 竜。ドラゴン。幻想的生き物。魔法の集中攻撃を受けたとか。魔法。マジック。奥様は魔女。
 それは絶対この世に存在しない。だからこそ幻想的なのだ。つまりどう考えても彼の妄想でしかない。
 へーもふーんも出なくって。水面下で静かに混乱する私の前で、フェルアラッツさんは辛抱強く待ち続けている。私の返事を。どうしたらいいのか。どうしろと。信じろと言う方が無理である。咽喉が渇く。ローテーブルの上の缶は、どれも空だ。
 仕方なく唾を飲み込んで誤魔化し、もう一度、考えてみる。竜と魔法。竜と魔法が名物の国。ってばかじゃないの。駄目だ、これは一旦置いておこう。理解出来る気がしない。
 地図を出してドラホーンとやらを探す? いやいや、なんで私がそんな事せにゃならん。つか多分そんな国はない。
 いや、もうこの際真偽はどうだっていい。記憶喪失だろうが妄想狂だろうが、侵入は、彼の意思ではない。今のところ。それが最も重要で、最も問題だ。
 あーあ、この人を追い出せば、きっと日常がまた戻って来るんだろうに。聞いちゃったなあ。聞いちゃったからなあ……。
 溜め息が出そうな原因だ。

「………その、なんかよく判んない国は、」
「ドラホーン王国だ」
「……ドラホーン王国とやらは、」
「ドラホーン王国とやらではない。ドラホーン王国だ」
「………………………」

 うん、ね、真顔なのがどうにもやりきれなさを生むよね。
 彼は真剣なのだ。最初から。それが最大の違和感を生んでいる。

「……ドラホーン王国は、竜が、居るんです……ね」

 語尾を上げようとして、力強く頷かれ、ふらりと視線をそらした。竜がね。そうか竜が居るのね。

「名前をルダスと言う。気高く、私以外を乗せない」
「あ、うん、そうですか……」

 そんな誇らしげに言われてもね。どうでもいい事この上ないよね。

「出来れば探しに行きたいが……ここいらには竜の巣はあるだろうか」
「えっ、や、ない! ないないない!」

 慌てて首を振ると、そうか困ったなと呟き、本当に困ったように眉を下げた。
 私だって困ってるんですけど。いや確実に私の方が困ってるんですけど。

「その、何て言うか、これはあくまで、あくまでも私の見解なんですけど」

 前置いて、チラと見上げる。きり、と顔を引き締めた彼が見返す。すぐ逸らした。
 どうしてか、私には嘘だと決め付けられない。吐くならもっと、ましな嘘を吐くんじゃないかって、そう思う。ただ鵜呑みにしてしまうには、あまりに突飛で。
 恐らく彼は、本気で言っているのだ。どんなに馬鹿げていても、彼が本気である限り、私も慎重になる必要がある。

「そういうのは、此処にはないと言うか、その、別世界の話、と言うか」
「別世界?」
「や、そのー……はい」
「別世界だと言うのか? 此処が?」

 もしくは現実世界とも言う。この人の言う事を、全て空想だと決め付けるなら。

「だからか………」
「え?」

 呟きに、思わず顔を上げた。言っておいてなんだが、納得するとは思わなかったのだ。
 彼は青い瞳を揺らして、宙を見ていた。そして不意に窓を見上げる。

「見た事のない、景色……物……」

 囁くように、呟くように。薄く開いた口から漏れた言葉達。青が動く。窓から、私へ。身を固くした私を見て、ふっと目許を和らげた。

「何もしない」

 見透かすように言われて、視線が泳ぐ。

「死んでいるのではないなら、私は……どうしたらいいのだろうな」

 嘲笑気味に、笑う。憔悴を滲ませた瞳だった。
 上手く言葉が出ない。半ば諦めに似た覚悟をしている筈なのに、消えきらない迷いが、声を抑圧している。あと一歩、踏み出す勇気が出ない。
 そうして黙っている内に、相手が先に動いた。短く息を吐くと、しゃんと背筋を伸ばした。その急速な動きに驚いて、小さく肩が跳ねる。

「聞いてくれて助かった。世話になったな」
「あ、へ?」

 思考が追い付かず、間抜けに返した私を前に、彼はガチリと音を立て、握った左手を右胸に当てた。更に、ひとつ、頷く。

「失礼する」

 ちょ、ちょっと待て。なんだその急展開は。
 彼は呆気に取られた私を尻目に、金属をガチャガチャ言わせながら立ち上がると、ガショガショとロボット並みの音を立てて玄関に向かう。てか、あれ土足になるんじゃないか、ってそんな事構ってる場合か私!

「ま、待って! どっ……、何処行くの?」

 立つと判るのだが、彼は背が高い。部屋とキッチンの間にある引き戸用の枠は、相当頭を屈ませなければ通れない。その開けっ放しの仕切りの前で、彼はきょとんと振り返った。
 一度目を閉じ、鼻から息を吐く。肩も落ちた。飲み過ぎたせいか、くらくらしている。
 ああそうだ、私は疲れているんだった。酒もより効く筈だ。明日から三連休で、本当に良かった。色々と。
 瞼を上げて、見上げる。訝しむ青い瞳が待っていた。

「まず、そのガシャガシャ煩い物を脱いで下さい。近所迷惑だし、土足厳禁」
「は?」

 ぽかんとした彼に構わず続ける。

「私はもう限界なんで、寝ます。貴方はそっちで寝て下さい」
「は? え、は?」

 キッチンを差して、よいしょと立ち上がる。風呂は明日でいい。自分で述べた通り、限界だった。疲れた頭では、この異常事態をこれ以上処理出来ない。

「いやおい、そんな、それは、」

 わたわたする彼を放置して、着替えを手に、お風呂場へ。ばたん、と閉めれば声は聞こえなくなった。やれやれ、そんな言葉が口を突く。溜め息も吐いた。
 そして手早く着替えてお風呂場を出る。と、目の前に壁、もといフェルアラッツさんが立っていた。わっと声を上げた私を、眉を下げた彼が見下ろしている。

「すまない、驚かせるつもりはなかったんだが……その、いいのか?」

 神妙な顔して何を言うかと思えば……。気抜けして笑いが漏れた。

「行く所ないでしょう」

 脇を擦り抜ける。声が追って来た。

「信じるのか」

 狭いダイニングで立ち止まり、振り返る。変な質問するなあ。

「あんまり」

 苦笑しながらそれだけ言うと、ベッドに向かった。呆気に取られた彼の顔が、妙に印象的だった。



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