ブリリアントアプローチ
夕暮れの公園は何処か懐かしさを秘めている。 帰途に着く子ども達の声や、買い物帰りの主婦が颯爽と自転車を漕ぐ姿。何れも帰る場所を目指し去って行く。 ベンチに腰掛けたまま両脚を伸ばすと、じわりと筋肉痛が広がった。
疲れたなあ。 巨きな建物に沢山の人、エスカレーターに店内アナウンス。どれもこれもに反応する成人二人は正直非常に浮いていたけれど、それでも最悪の事態にはならずに済んで、ほっとしている。 迷子にもならなかったし、魔法ぶっ放すなんて事にもならなかった。いや色々と泣きそうにはなったけど。アイーゼさんテンション高過ぎてどうしようかと……アイス買い与えて黙らしたのが功を奏したな。
今は夕飯の買い物も終え、公園にて一休み。私が言い出した事じゃないけど。隣に座る金髪が駄々をこねて動かなくなった故の休憩だけど。
終始興奮してたから無理もないとは思う。人目の少ない公園に差し掛かった途端、疲れたもう歩けない死んじゃう、と道端にしゃがみ込んだ。 苦笑を漏らしながらフェルさんを見上げれば、溜め息を落としながらも、小休止を認めてくれた。
缶コーヒーを傾ける。 お世辞にも立派とは言い難いベンチに座るのは、私とアイーゼさん。三人座れなくも無いのだが、ぎゅうぎゅうすし詰め状態になるのでフェルさんは立っている。 アイーゼさんは背もたれに身を沈めるようにし、手足をだらんと投げ出していた。その足元には沢山の買い物袋。 これでも必要最低限に留めたつもりだったんだけどなあ。アイーゼさんもフェルさんも、何着せても似合うから、つい買いたくなるんだよね。月末の請求書が恐ろしい事になっていそうだ。
カードの請求を思い浮かべ、遠い目をしかけたところで、ねえ、と隣から声が掛けられる。 振り向けばアイーゼさんは公園の景色を眺めたまま、何処かぼんやりと口を開いた。
「ここって、平和よねえ」 しみじみと言われて、私も公園へと視線を移す。 家族連れ。犬を散歩させる人。野球ユニホーム姿の子ども達。穏やかな日曜日の風景。 確かに、平和だと思う。でも現代日本だって犯罪は絶えないし、海の向こうじゃ争いだってある。
争い。 口を噤んでしまったのは、私よりも戦争が身近な相手を思い出したからだ。彼らの目に、此処はどう映っているのだろう。 そんな思考を読んだかのように、アイーゼさんは言葉を続けた。
「すごーく、生温いわあ」 小さく、息を飲んだ。
何も平和が悪いと言われたわけじゃない。と言うかむしろ平和な事は良い事である。それなのに、まるで揶揄されたかのように感じた。 感じる必要の無い罪悪感が顔を出し、何故か緊張が走る。 アイーゼさんが言わんとする意味を自然に探ってしまう。 と、多分、表情も身体も強張らせたであろう私の隣から、吹き出す音が聞こえた。おいちょっと、何笑ってんですか。相変わらずアイーゼさんの笑いのツボがおかしい。
「なんで今更怯えてんのあんた」 「おっ、怯えてなんか、てかアイーゼさんこそ何で笑ってんですか!」 「あっはは! あんた本当おっかしい」 「いやだから何でそこで爆笑……」
私がいくらむくれようと、ケラケラと腹を抱えて笑うアイーゼさんの反対頭上から、溜め息が落ちた。
「それ以上ミホを困らせるなら放って帰るが?」 「あらあ、ミホはあたしを置いて行ったりしないわよねえ? ふふ、だって生温いもの。此処も。あんたも」
にっこりと、深い笑みを湛えたアイーゼさんに、先程感じた罪悪感が再び浮上する。気付けば口を突いていた。
「居心地悪いですか」
言って後、ぎくりとした。 一度栗色の瞳がキョトンと瞬いて、直後ぞくりとする程綺麗な笑顔が浮かんだからだ。 これは何か良からぬ事を企んでいる笑顔だ。絶対そうだ。
「いいえ。居心地は頗る良いわよお? 怖いくらいにねえ」 ひい。 にじり寄られて仰け反る。 あわわ何ですかなんで近寄って来るんですか。
「優しくて、柔らかくて、忘れてしまいそう」
視界の端に、節の目立つ長い指が写る。此方に向かって伸ばされるそれに、息を詰めた。 逃げなければ。 彼の手を避けなければ。 そう思うのに、私の双眼は、いや全身が、栗色の瞳に固定されてしまっている。 観念ーー何の観念か判らないがーーし掛けた時、その指が私に届く前に、別の手にがしりと掴まれた。 フェルさんに止められたアイーゼさんが、不満気に私の背後を睨み上げた。
「いい加減にしろ」 むう、とアイーゼさんの唇が尖った。 それを見て漸く私の肩から力が抜けた。 最初の印象が色濃いのか、やたらと怖かった。何かが癪に障ったぽいんだけど、それで私は容易く震え上がるんだから相当だ。 何が相当って、アイーゼさんの如何にも修羅場潜ってきましたよ的な値がだ。こう、経験値的なものが違う。凄味がある。
「あんたもあんたよ。腑抜けちゃって。どーすんのよ、それ。そんなんで生きてけないわよ」 ちょいと首が傾く。ん? どういう意味だそれ。 アイーゼさんは嫌そうにフェルさんの手を振り払っている。
「貴様に心配される謂れはない」 「別にあんたの心配してないわよ。でもそうね、心配っていうなら……」 つとアイーゼさんが此方を向いた。 なに。不思議に思う私の顔からその視線は下がり、脇腹辺りに止まる。 一緒になって己の脇腹を見て、やはり不思議に思って再びアイーゼさんの顔に向き直った。 アイーゼさんは私の脇腹から目を逸らさずに、何だか遣る瀬無い表情を浮かべている。おまけに頬に手を添え、ほうと溜め息を吐いた。何その様になり過ぎた憂い顔。
「その所為で余計な被害が出ること、よねえ」 余計な被害……私の怪我の事を言っているのなら、別にこれはフェルさんの所為では無い。考え無しに自ら飛び込んだ結果で、言わば自業自得だ。 そう思って口を出そうとすれば、背後から鋭い声が飛んで来た。
「黙れ」 はい黙ります。 タイミングもあって私は即座に唇を引き結んだ。後ろから発せられる空気が物凄く尖っている。振り返る勇気はない。 アイーゼさんからはその恐らく怒りに満ちたご尊顔が見えている筈だが、彼に動じる様子は無い。あなたの心臓がダイヤモンド過ぎる。
「そうやって無闇に殺気を飛ばすんじゃないわよ」 やれやれとダイヤモンドの心臓が肩を竦める。次いで私の頭をはたいた。 痛っ!? 今なんで私はたかれた!?
「あんたも。のほほんと阿呆ヅラ下げてんじゃないよ。そんなんだから」 「もういいだろう。戻るぞ」 フェルさんの溜め息付きの台詞に驚く。え、いや待てよ今意味の判らない打撃を受けたんですけど。更についでのように罵倒されたんですけど。なんで自然にスルーする気満々なの? 叩かれた頭を押さえ呆然とする私を置いて、フェルさんは手早く荷物を纏め出す。と、突然空いている方の手首を掴まれた。何をするアイーゼさん。 また叩かれるのかと身構えたが、彼はフェルさんを見上げている。
「先に行っててよ。あたし、ちょっとこの子に話があるから」 この人何を言っているんだろうか。一連の流れを考えてほしい。私が了承する筈が無い。 いやいやいや、と私が頭を左右に振るのに合わせて、フェルさんも何を馬鹿なと捨て吐いた。今度はコクコクと頷いた。そうそう、馬鹿な事を言わんでくださいな。あなたと二人きりとか何の冗談ですか。散々弄られる未来しか想像できないよ。
「やあね、ただ話をするだけよ? 一度ゆっくり話したいと思ってたのよ」 「ならば今すれば良かろう」 「あたしは、彼女と二人で話がしたいの」 優雅な笑みを浮かべてはいるが、有無を言わせない迫力があるアイーゼさんと、眉間にくっきり皺を刻み、不快を露わに睨みを利かすフェルさんが、暫く睨み合う。そして私は間でオロオロする。 険悪にならないでー。なるなら私のいない所でお願いしたい。私は余計な波風を厭う日本人なのだ。 仕方ない。 私は胃が痛みそうな状況から脱するべく、重い口を開いた。
「話って、大事な話なんですね?」 確かめるように問えば、アイーゼさんはにやりと口端を上げる。わー、悪役全開ー。 胡散臭さに眉を寄せるも、くるりと反対側を向く。
「フェルさん、家も直ぐ近くですし、そんなに遅くならないうちに帰りますから」 私がアイーゼさんの味方をした事が意外だったのか、フェルさんは瞳を瞠った。 うん、私も最初は無理とか思ったよ。思ったけどさ、話、聞いてみたいんだよね。 態々二人でって言うくらいだから、フェルさんには聞かれたくないのだろう。ならば、粗方内容に察しもつく。もし私の予想通りなら、やはりフェルさんは居ない方がいい。
「ミホ、とてもじゃないが賛成はできない」 苦々しい顔でフェルさんが首を振る。 過保護だなあ。今更アイーゼさんが私に何をするでも無いだろう。罵倒はされそうだが。
「大丈夫ですよ。私を害しても、何の得にもならないでしょう?」 「そういう問題ではない」 ばさりと切り捨てられた。 更に、荷物を持っていない方の手で肩を掴まれる。
「ミホ」 ギクリと肩が強張る。薄っすらと微笑んでいるのに、力の込められた青い眼が怖い。えええなんでお説教モードになってんの!
「どうやら私が常から申し聞かせている事が判っていないようだな?」 即座に首を横に振る。 判ってます! 判ってますよ! 危機感を持て。 アイーゼさんには用心しろ。 散々日頃から言われている。
でも此処は多くはないといえ、この時間ならまだ人通りもあるし、先程述べたように、今更アイーゼさんが私を害するとは思えない。 これらを踏まえての提案だったのだが、フェルさんからしたら駄目らしい。何故。
「ミホは人が良過ぎる。私とて、白のが今更乱暴を働くとは思っていない」
益々判らない。じゃあ何故反対なの。
「気を付けなければならないのは、それだけでは無い。私が言えた事ではないが、ミホの厚意に託けて無茶な要求をしないとも限らん」 「するんですか?」
思わず振り返ると、アイーゼさんは無邪気に首を傾げた。
「ううん。今んとこ不自由してないし」 「ですって」
再び顔を戻すと、絶句したフェルさんが、額を抑えた。あれ、なんか間違えたか。ごめん。
「……離れた場所にいる。それでいいか」 呆れさせてしまったし、無理かと思っていたら、何故か譲歩を引き出した。見える範囲で、且つ会話が聞こえない位置に控えるらしい。 アイーゼさんもそれでいいと言うし、改めて話を聞く事になった。
「……それで、話ってなんですか」
座っていても大きく見上げなければならないアイーゼさんに、早速問う。 彼は遠く離れたフェルさんを見ているようだ。視線は合わない。
「その怪我は、あれがやったのでしょう」 「違いますよ」 即座に否定すると、薄茶の瞳が此方を向い た。その目をしっかり見返す。
「これは、違います」
アイーゼさんはちょいと眉を寄せた。如何にも怪訝な顔をするから、ああやっぱり、と思う。 フェルさんが私に危害を加えたと、この人は考える事が出来るんだな。
「誰がやったって言うなら、自分ですね」 あの時、アイーゼさんなら怪我なんて負わなかっただろう。根本の意識からして違う。 迂闊なんてものじゃなく、そもそも私はああなると露ほど思っていなかった。 アイーゼさんやフェルさんは、その可能性を視野に入れている。私は見出す事すら出来なかった。それだけだ。
知人が怪我をしていたからといって、別の知人がそれを負わせたのでは、なんてまず考えない。まあそこに泥々した関係があれば邪推するかもしれないが、そうではないのだから。
「じゃあ、それ、どうしたの」
おっとー、アプローチの仕方を変えてきたか。さて何と答えたもんか。 景色に目を転じれば、空は藍に侵食され始めていた。綺麗だ。
「んー、事故にあった、みたいな」 「事故、ね……。その事故に、あれが関係してるってわけか」
ぽかんと隣を見上げた。え、なんで判る。
「ちょっと、あんたと一緒にしないでくれる? こちとら聡明と名高い白の魔女よ。それ位判るって」 「え?」
答えにならない答えにではなく、全く別の件で私は、食い気味に声をあげた。
「何よ?」 目を眇めるアイーゼさんに、私は何故か慌てて聞き返す。
「い、今なんて?」 「だから、それ位考えなくても判るって」 「違うその前!」 私の勢いに圧されるように、アイーゼさんが瞬きを繰り返した。
「えーと、あたしが聡明な魔女ってこと?」
小首を傾げるアイーゼさんを見返しながら、私は唖然と口を広げた。 魔女? 魔女だって? 誰が。アイーゼさんが。魔女。
「魔女お!?」 「何に驚いてんのよ?!」
そんなの性別が余計迷子になった事に決まってんだろ。
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