エキセントリックバケット


「てわけで、あたしは争い事には興味なし」

 私の覚悟とか憂いとか心配とか覚悟とか見事にオール無視して、アイーゼさんは気さくとも言える気軽さで語った。世間話か。井戸端会議か。お前は主婦か。
 構える暇なく、日常会話のようにさらっと話すから、うっかり普通に聞いてしまった。

 アイーゼさんは魔法の国に在住はしているものの、端っこの方に弟子とふたりで暮らしていて、基本国の事には関わらないのだそうだ。理由は面倒臭いから。
 自由奔放過ぎる、田舎に引っ込んだ変わり者。それがアイーゼさんだった。

 それでも互いの所属国は敵対しているので、警戒していたのだが、二人とも個人的には何の恨みも無いと言う。
 いやフェルさんは個人的に嫌っているように見えるんですが。

「こっちに危害が及ばない限りだけどね」
「貴様の領地を無闇に攻める愚か者など、我が軍には居らぬ」
「ま、それが普通よね。侵入者は漏れなく凍り付けにしてあげるし」

 こわっ!
 思わずテーブル上の携帯を見てしまう。あの時携帯を覆っていたのは、紛う事無く氷だった。

「心配しなくても、此処で人ひとり凍らせるのは大変だから、しないわよ」
「大変じゃなかったらするんですか……」

 脱力したように目を伏せた。なんか頭痛がする。
 どうにも考え方が物騒なんだよなあこの人たち。

「しないわよ」

 低くお腹に響く声に、目線を上げ、驚いた。常に纏っている飄々とした雰囲気は霧散していて、此方を真っ直ぐ射抜く瞳は怖いほど真剣だった。
 その変わり身に戸惑った私を見て、直ぐにいつもの彼に戻ったのだが、突然真面目になるとか心臓に悪いから止めて欲しい。
 そして動揺する私をニヤニヤして見ないで欲しい。また遊ばれたのね私。

「アイーゼさんて意地悪ですね」
「性根が腐っているからな」
「フェルさん辛辣!」

 やっぱり嫌いなんじゃ?
 アイーゼさんは大抵スルーしてるけども、私が怖い。

「まあどの道、強い魔法は使えないわよ。魔力の消費量が倍以上かかるし。転移二回で略カラっぽとか、えげつないわあ」
「はあ」

 愚痴、だと思われるそれに生返事を返す。しなを作る意味が判らないな。何故いちいち色っぽいかねこの美女。

「それに、もうゴーフェとやり合うつもりも無いし」
「大変助かります」

 そればかりは素直に喜ぶ。剣と魔法の世界インマイハウスとか、絶対にお断りだ。我が家でファンタジーとか断じて要らないのである。

「異界だからねえ。国も立場も関係無いわよ」

 なにやら治外法権的な事らしい。
 荒事は無しと、フェルさんも同意してくれた。晴れて杖も剣もクローゼット行き。物凄く渋々だったけど。

「あ、アイーゼさん。ちょっと訊いていいですか」
「なに?」

 杖をしまう時に、ふと思った事を訊いてみる。

「転移の魔法なんですが、別の世界に飛ばせたりしないんですか?」
「………………」
「…………あれ?」

 何故か二人に残念な子を見るような目で見られた。
 アイーゼさんがやや肩を落として、溜め息を吐く。

「ミホ、あたしの話聞いてた?」
「はい、一応」
「あのね、強い魔法は使えないの。物を徒歩圏内に飛ばすのに、あたしの魔力が半分位もってかれるの」
「そう、仰ってましたね」
「ここで問題です」
「急ですね」

 子どもに言い聞かせるようなのがちょっと気になったが、素直にうんうんと頷いていれば、突然クイズ形式化して首を傾ける。

「異界から人間ひとり移すのに、魔力消費量はどれくらい必要でしょうか」
「……たくさん?」

 ぽんと肩を叩かれる。なんだその慈愛に満ちた目は。確かに馬鹿っぽかった。今のは確かに馬鹿っぽかったよ。だが魔力消費量なんて訊かれても私に答えられる訳ないでしょうが。その目をやめろ。労るように肩を叩くな。馬鹿ですみませんね!
 ぺいっと肩の手を払い落とすと、むくれながら引き戸を指差す。ハウス! と言わんばかりに。

「出掛けるので着替えます」

 両掌を此方に向けて肩の高さに上げた、所謂降参ポーズのアイーゼさんが、きょとんと私を見下ろした。

「出掛けるって、どこに?」
「買い物です」
「ミホ、何を言っているんだ。買い物なら私が」
「フェルさんをまだ連れて行った事ない場所なんです」

 慌てて口を挟んできたフェルさんが、渋顔を作る。

「駄目だ。また具合が悪くなったらどうするんだ」
「ちゃんと寝たから平気です」
「そうやって油断するから昨日みたいな事に」

 うんたら、かんたら。
 アイーゼさんが来た日から、フェルさんは小言のようなものが増えた。お前は何処のおかんだ。

「心配性ですねー。自分の体調は自分が一番判ってますって」
「判ってないから熱を出したんだろう!」

 撃沈。仰る通りでございます。
 返す言葉が無くなった私を、フェルさんが憮然と見下ろす。うう、おかんの迫力すごい。

「……何を買いに行くつもりなんだ」

 縮こまってソワソワしていた私の頭上から、溜め息混じりの問いが落ちた。そうっと見上げると、存外に優しい瞳が待っていて、私はすんなり答える事が出来た。

「着る物です。アイーゼさんの服」

 ちょんと長身性別未判別な彼を指差す。
 アイーゼさんは何故か顔を綻ばせて歓声を上げたが、フェルさんは真顔で首を横に振った。

「その辺の布でも巻かせておけばいい」
「いやそれは私が嫌です」
「ほらあれだ、あのばすたおるを巻かせておけば」
「フェルさんはなんでアイーゼさんにそんな過剰に厳しいんですか」

 未だ性別に迷っている人をバスタオル一枚にするってどんな無法地帯だ。そんなの私がごめんだわ。普通に悲鳴あげるわ。

「私が厳しいのではない。ミホが無防備なのだ」
「フェルさん? 無防備じゃないからタオル一枚が駄目なんですよ?」

 私の言葉に暫く考える素振りをしたフェルさんは、それもそうかと肯定した。今の考える必要あるかという問題は私の中に封印する。真面目なんだ。真面目ゆえになのよ。

「服! 買いに行くの?」
「ええ、まあ」

 喜色満面のアイーゼさんに返しながら、チラリとフェルさんを見る。舌打ちされました。が、口を出してこないって事は了承と見なしてもいいだろう。

「あ、ねえ」

 アイーゼさんのマイペースぶりにも慣れてきた。今にも踊りだしそうだった彼は、ふと私を見下ろす。視線を頭から爪先まで一巡させると、笑顔を曇らせた。

「なんですか?」
「こっちの服って、そういうのばっかりなの?」

 それ、怯えて訊くことですか。私の普段着の何がそんなに怖いんですか。自慢じゃないけど趣味は悪くないし、私だって女子としてお洒落に興味はある。私だって、私だって女子としてだな、

「そんな服しか無いなら、あんまり楽しくないかもお」
「フェルさんTシャツ短パンこの人に着せておいてください」
「承知した」

 がしりと襟首を掴まれ、強制退室になったアイーゼさんを見送る。
 お前などTシャツ短パンを見て絶望するがいい。そしてそれを着るしかない己の境遇を呪うがいい。
 という思いを込めて、引き戸をぴしゃりと閉めた。

「買い物かあ、大変だろうなあ……」

 想像するだけで疲れそうなそれを払拭するように、ひとつ伸びをしてから気合いを入れた。



 *** ***

 
 夕暮れの公園は何処か懐かしさを秘めている。帰途に着く子どもと母親は、不変に思える。
 ベンチに腰掛けたまま両脚を伸ばすと、じわりと筋肉痛が広がった。

 疲れたなあ。
 巨きな建物に沢山の人、エスカレーターに店内アナウンス。どれもこれもに反応する成人二人は正直非常に浮いていたけれど、それでも最悪の事態にはならずに済んで、ほっとしている。
 迷子にもならなかったし、魔法ぶっ放すなんて事にもならなかった。いや色々と泣きそうにはなったけど。アイーゼさんテンション高過ぎてどうしようかと……アイス買い与えて黙らしたのが功を奏したな。

 今は夕飯の買い物も終え、公園にて一休み。私が言い出した事じゃないけど。隣に座る金髪が駄々をこねて動かなくなった故の休憩だけど。
 終始興奮してたから無理もないとは思う。人目の少ない公園に差し掛かった途端、疲れたもう歩けない死んじゃう、と道端にしゃがみ込んだ。
 苦笑を漏らしフェルさんを見上げれば、溜め息を落としながらも、小休止を認めてくれた。

 缶コーヒーを傾ける。
 お世辞にも立派とは言い難いベンチに座るのは、私とアイーゼさん。三人座れなくも無いのだが、すし詰め状態になるのでフェルさんは立っている。
 アイーゼさんは身を沈めるようにし、手足をだらんと投げ出していた。その足元には沢山の買い物袋。
 これでも必要最低限に留めたつもりだったんだけどなあ。アイーゼさんとフェルさん、何着せても似合うからつい買いたくなるんだよね。月末の請求書が恐ろしい。
 カード請求を思い浮かべ、遠い目をしかけたところで、ねえと隣から声が掛かる。
 振り向けばアイーゼさんは公園の景色を眺めたまま、ぼんやりと口を開いた。

「ここって、平和よねえ」

 しみじみと言われて、私も公園へと視線を移す。
 家族連れ。犬の散歩。ユニホーム姿の子ども達。穏やかな日曜日の風景。
 確かに、平和だと思う。でも現代日本だって犯罪は絶えないし、海の向こうじゃ争いだってある。

 争い。
 口を噤んでしまったのは、私よりも戦争が身近な相手を思い出したからだ。彼らの目に、此処はどう映っているのだろう。
 そんな思考を読んだかのように、アイーゼさんは言葉を続けた。

「すごーく、生温いわあ」

 小さく、息を飲んだ。
 何も平和が悪いと言われたわけじゃない。むしろ平和な事は良い事である。それなのに、まるで揶揄されたかのように感じた。
 感じる必要の無い罪悪感が顔を出し、何故か緊張が走る。
 アイーゼさんが言わんとする意味を自然に探ってしまう。
 と、多分、表情も身体も強張らせたであろう私の隣から、吹き出す音が聞こえた。おいちょっと、何笑ってんですか。相変わらずアイーゼさんの笑いのツボがおかしい。

「なんで今更怯えてんのあんた」
「おっ、怯えてなんか、てかアイーゼさんこそ何で笑ってんですか!」
「あっはは! あんた本当おっかしい」
「いやだから何でそこで爆笑」

 私がいくらむくれようと、ケラケラと腹を抱えて笑うアイーゼさんの反対頭上から、溜め息が落ちた。

「それ以上ミホを困らせるなら放って帰るが?」
「あらあ、ミホはあたしを置いて行ったりしないわよねえ? ふふ、だって生温いもの。此処も。あんたも」

 にっこりと、深い笑みを湛えたアイーゼさんに、先程生じた罪悪感が再浮上する。気付けば口を突いていた。

「居心地悪いですか」

 言って後、ぎくりとした。
 一度栗色の瞳がキョトンと瞬いて、直後ぞくりとする程綺麗な笑顔が浮かんだからだ。
 これは何か良からぬ事を企んでいる笑顔だ。絶対そうだ。

「いいえ。居心地は頗る良いわよお? 怖いくらいにねえ」

 ひい。
 にじり寄られて仰け反る。
 あわわ何ですかなんで近寄って来るんですか。

「優しくて、柔らかくて、忘れてしまいそう」

 視界の端に、節の目立つ長い指が写る。此方に向かって伸ばされるそれに、息を詰めた。
 逃げなければ。
 彼の手を避けなければ。
 そう思うのに、私の双眼は、いや全身が、栗色の瞳に固定されてしまっている。
 観念ーー何の観念か判らないがーーし掛けた時、その指が私に届く前に、別の手にがしりと掴まれた。
 フェルさんに止められたアイーゼさんが、不満気に私の背後を睨み上げた。

「いい加減にしろ」

 むう、とアイーゼさんの唇が尖った。
 それを見て漸く私の肩から力が抜けた。
 最初の印象が色濃いのか、やたらと怖かった。何かが癪に障ったぽいんだけど、それで容易く震え上がるんだから相当だ。
 何が相当って、アイーゼさんの如何にも修羅場潜ってきました的な値がだ。経験値的なものが違う。凄味がある。

「あんたもあんたよ。腑抜けちゃって。どーすんのよ。そんなんで生きてけないわよ」

 ちょいと首が傾く。どういう意味だそれ。
 アイーゼさんは嫌そうにフェルさんの手を振り払っている。

「貴様に心配される謂れはない」
「別にあんたの心配してないわよ。でもそうね、心配っていうなら……」

 つとアイーゼさんが此方を向いた。
 なに。不思議に思う私の顔からその視線は下がり、脇腹辺りに止まる。
 一緒になって己の脇腹を見て、やはり不思議に思って再びアイーゼさんの顔に向き直った。
 アイーゼさんは私の脇腹から目を逸らさずに、何だか遣る瀬無い表情を浮かべている。おまけに頬に手を添え、ほうと溜め息を吐いた。何その様になり過ぎた憂い顔。

「その所為で余計な被害が出ること、よねえ」

 余計な被害……私の怪我の事を言っているのなら、別にこれはフェルさんの所為では無い。考え無しに飛び込んだ結果で、言わば自業自得だ。
 そう思って言い返そうとすれば、背後から鋭い声が飛んで来た。

「黙れ」

 はい黙ります。
 タイミングもあって私は即座に唇を引き結んだ。後ろから発せられる空気が物凄く尖っている。振り返る勇気はない。
 アイーゼさんからは恐らく怒りに満ちたご尊顔が見えている筈だが、動じる様子は無い。あなたの心臓がダイヤモンド過ぎる。

「そうやって無闇に殺気を飛ばすんじゃないわよ」

 やれやれとダイヤモンドの心臓が肩を竦める。次いで私の頭をはたいた。
 痛っ!? 今なんで私はたかれた!?

「あんたも。のほほんと阿呆ヅラ下げてんじゃないよ。そんなんだから」
「もういいだろう。戻るぞ」

 フェルさんの溜め息付きの台詞に驚く。いや待てよ今意味の判らない打撃を受けたんですけど。更についでのように罵倒されたんですけど。なんで自然にスルーする気満々なの?
 叩かれた頭を押さえ呆然とする私を置いて、フェルさんは手早く荷物を纏め出す。と、突然空いている方の手首を掴まれた。何をするアイーゼさん。
 また叩かれるのかと身構えたが、彼はフェルさんを見上げている。

「先に行っててよ。あたし、ちょっとこの子に話があるから」

 この人何を言っているんだろうか。一連の流れを考えてほしい。私が了承する筈が無い。
 いやいやいや、と私が頭を左右に振るのに合わせて、フェルさんも何を馬鹿なと捨て吐いた。今度はコクコクと頷いた。そうそう、馬鹿な事を言わんでくださいな。あなたと二人きりとか何の冗談ですか。散々弄られる未来しか想像できないよ。

「やあね、ただ話をするだけよ? 一度ゆっくり話したいと思ってたのよ」
「ならば今すれば良かろう」
「あたしは、彼女と二人で話がしたいの」

 優雅な笑みを浮かべてはいるが、有無を言わせない迫力があるアイーゼさんと、眉間にくっきり皺を刻み、不快を露わに睨みを利かすフェルさんが、暫く睨み合う。そして私は間でオロオロする。
 険悪にならないでー。なるなら私のいない所でお願いしたい。私は余計な波風を厭う日本人なのだ。
 仕方ない。
 私は胃が痛みそうな状況から脱するべく、重い口を開いた。

「話って、大事な話なんですね?」

 確かめるように問えば、アイーゼさんはにやりと口端を上げる。わー、悪役全開ー。
 胡散臭さに眉を寄せるも、くるりと反対側を向く。

「フェルさん、家も直ぐ近くですし、そんなに遅くならないうちに帰りますから」

 私がアイーゼさんの味方をした事が意外だったのか、フェルさんは瞳を瞠った。
 うん、私も最初は無理とか思ったよ。思ったけどさ、話、聞いてみたいんだよね。
 態々二人でって言うくらいだから、フェルさんには聞かれたくないのだろう。ならば、粗方内容に察しもつく。もし私の予想通りなら、やはりフェルさんは居ない方がいい。

「ミホ、とてもじゃないが賛成はできない」

 苦々しい顔でフェルさんが首を振る。
 過保護だなあ。

「大丈夫ですよ。私を害しても、何の得にもならないでしょう?」
「そういう問題ではない」

 ばさりと切り捨てられた。
 更に、荷物を持っていない方の手で肩を掴まれる。

「ミホ」

 ギクリと肩が強張る。薄っすらと微笑んでいるのに、力の込められた青い眼が怖い。えええなんでお説教モードになってんの!

「どうやら私が常から申し聞かせてい類事が判っていないようだな?」

 即座に首を横に振る。
 判ってます! 判ってますよ!
 危機感を持て。
 アイーゼさんには用心しろ。
 散々言われた。

 でもこの時間なら多くないとは言えまだ人通りもあるし、先程述べたように、今更アイーゼさんが私を害するとは思えない。罵倒はされそうだが。
 これらを踏まえての提案だったのだが、フェルさんからしたら駄目らしい。何故。

「ミホは人が良過ぎる。私とて、白のが今更乱暴を働くとは思っていない」

 益々判らない。じゃあ何故反対なの。

「気を付けるべきは、それだけでは無い。ミホの厚意に託けて無茶な要求をしないとも限らん」
「するんですか?」

 思わず振り返ると、アイーゼさんは無邪気に首を傾げた。

「ううん。今んとこ不自由してないし」
「ですって」

 再び顔を戻すと、絶句したフェルさんが、額を抑えた。あれ、なんか間違えたか。ごめん。

「……離れた場所にいる。それでいいか」

 呆れさせてしまったし、無理かと思っていたら、何故か譲歩を引き出した。見える範囲で、且つ会話が聞こえない位置に控えるらしい。
 アイーゼさんもそれでいいと言うし、改めて話を聞く事になった。



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