オネスティプレイヤー
携帯は日曜日に買いに行くとして、ともかくは食事にする。気付けばお昼だったのだ。私が熟睡して十時頃まで寝ていたから、二人はきっとお腹が空いている筈。 すっかり家電やガス水道に夢中になったアイーゼさんをフェルさんに押し付け、有り合わせの炒飯を作り上げた。出来栄えの方は、努力を認めて欲しいという事で。 少しは上達したとは思うが、なんて言うか、こう、普通? それなりに美味しいけど、目を見張る程でもない。手際も良いとは言えないし、まだ母の料理にも及ばない。料理本増やそうかなあ。
「なんか、良い匂い」 「あ、できましたよー。座ってください」 お風呂場の説明を受けていたアイーゼさんが、ひょこりと顔を出した。うちはアパートには珍しく、風呂トイレ別なのだ。 アイーゼさんは皿に盛り付けた炒飯を、興味深そうに覗き込んでくる。すん、と寄せた鼻を鳴らした後、口端を下げた。
「これ何?」 「炒めたご飯、ですかね」
簡潔に述べると、苦虫を噛んだような顔をする。
「食べられるの?」
失礼な。 出そうになった言葉を飲み込んで、恐らく米を見るのが初めてと思われる相手に、問題無いと頷いてみせる。 しかし疑いの眼差しは軟化せず、彼は炒飯を注視したまま、白い指先である具材を示した。
「この緑色のは?」 「ピーマンですね」 「……ピーサのこと?」 「ピーサ?」 「でも色が……これって根菜?」 「野菜ではありますが、果実ですよ」
難しい顔のアイーゼさんを見ながら、首を傾ける。正確にはピーマンの果肉であるが、それよりピーサが何なのか気になった。
「果実ねえ。この小さいのって肉?」 「ひき肉ですね。豚と牛の肉を細かく挽いたものです」
そこまで言うと、アイーゼさんは両眼を瞠った。彼は腰を屈めているので、真正面からその驚愕を表す瞳を受けてしまった。怖かった。 アイーゼさんは、思わず仰け反る私と炒飯を交互に見やり、口元に手を当てて離れて行った。変な圧迫感が無くなり、気付かず力を入れていた肩が下がる。謎の恐怖を味わった……。
「あんた……いや、いいわ」
何かを言い掛けたのに、アイーゼさんはあっさりと背中を向けて、部屋へと行ってしまった。 一連を見ていたフェルさんと、顔を見合せ、思わず二人揃って苦笑した。
「戸惑いが尽きないようだ」
彼が視線をやるのは、私の手にある炒飯。
「私が来た時もそうだった。この世界は未知に溢れている」
炒飯、未知に溢れているらしいです。 懐かしそうに目を細めたフェルさんも、少し前まではこうだったのだ。何にでも驚くから、本当に一から教えてきた。
「ピーサって何ですか?」 「ここで言う、ジャガイモだな」
へえ、と声が漏れる。 こうやってフェルさんと幾つの単語を交換しただろう。言葉は通じるのに、物の名称は違う。名称は違っても、馴染みある物が存在し、逆に見たこともない物もある。 どんな規則があって、何の力が働いているのか、本当に不思議でならない。 そう言えば、一致した名称の物があったのには結構感動した。今のところ一つだけだけれど。 ともあれ。
「食事にしましょう」 「そうだな」
皿をテーブルに運ぶ事が先決だ。
三人分の皿を並べ終え、ラグの上に腰を落ち着ける。ふたつしかないクッションは、フェルさんとアイーゼさんに使ってもらっている。 これはお客様対応なのではなく、彼らが床に座って食事をする事に不慣れだからだ。食事は椅子に座ってとる文化らしく、軍人のフェルさんはともかく、何処が高貴な雰囲気を漂わせるアイーゼさんには、困惑ものだろう。 そう思っての配慮だったが、アイーゼさんは想像以上に難色を示した。
「なんか、ドワーフになった気分」
取ろうとしたスプーンが音を立てて落ちた。 ど、どわーふ? ってあれ? なんか毛むくじゃらでいかついおっさんみたいなヤツ? 久々に落ちた衝撃に、刮目していれば、アイーゼさんがにやりと笑った。
「ミホは、ドワーフって知ってる?」 「……知りません」
恐らく意趣返しだろうと踏んだ私は、口を噤んだ。無知の披露は懲りている。 地球で得た知識が、見当違いも甚だしい事を、私はいい加減学んだ。 アイーゼさんは私の答えに、より笑みを深めた。悪女にしか見えないからその顔。
「嘘つき」
だからなんなのその色気は! フェロモンだだ流しのような妖艶スマイルから、高速で顔を背けた。悪女怖い。騙される怖い。
「白の、ミホをからかうな」
麦茶の入ったグラスを配り、フェルさんがどかりと胡坐を掻いて座った。フェルさんの話では、兵士とか傭兵とか、地べたに座って食事したりもするそうで、抵抗無くローテーブルに着く。 事も無げな様子に、立ったままだったアイーゼさんが、仕方ないとばかりに肩を竦ませる。 ローブをさばいた彼が無事腰を下ろしたのにほっとして、頬が緩んだ。のがいけなかった。アイーゼさんが僅かに瞳を細めた。唇が弧を描く。
「ミホ、毒味して」 「お、おう……明け透けなんですねアイーゼさんは」 「遠慮しろと?」 「いえ、手っ取り早くて助かります」
アイーゼさんて自分に正直ですね。だが変に気を使われるよりはいい。それを告げれば、アイーゼさんは楽しそうに喉を鳴らした。 何故か私があっさりした態度を取るほど、彼の機嫌は上昇するようだ。アイーゼさんが機嫌を良くすると、反比例してフェルさんの機嫌が悪くなるんだけども。 手を合わせて、いただきますを口にする。炒飯を頬張る私を、細めた栗色の瞳が見つめていた。それに構わず咀嚼する。 なんっかパラパラにならないんだよなあ。卵から先に入れると良いって話だけど、上手くいった試しがない。味は、まあ、家庭的な感じで、とりあえず美味しいと思います。とりあえず。 フェルさんの様子を伺うと、彼はもう食事を始めていた。口元をモゴモゴさせながら、私に気が付くと、微笑をくれる。 大丈夫、美味しいよ。そう言われた気がして、胸を撫で下ろしながらアイーゼさんに向き直った。
「お口に合えばいいんですが」
ちょっとだけ自信を得て言えば、アイーゼさんはにっこりと笑う。それに釣られて私も笑顔になる。
「あら気にしなくていいのよ。合わなければ吐き出すから」
浮かべた笑顔が固まった。
「……ソウデスカ」
気にした私が、馬鹿だった。固まったまま不自然かつ単調に返す私を、アイーゼさんはもう見ちゃいない。心がしょっぱい何かを流した。
「吐き出すような真似をしたら、斬る」
怖いよ! びっくりして思わずフェルさんを仰ぐ。平然と食事を続けるフェルさんから続けてアイーゼさんを見ると、彼は全く気せず炒飯を掬っていた。なんだ、心労が増えていくこの現象。 アイーゼさんはスプーンの上の炒飯を暫く眺め、唇を開く。綺麗な歯並びがちらりと見えた。 思わず見守ってしまっている私の前で、一口目を飲み込んだ彼が、何故か沈黙する。動かないし、不味かったのかな。 不安を覚えたが、その内二口目、三口目と進め出したのにほっとした。不味くは無いみたいだ。
それから食事を終えて、フェルさんからの皿洗いの教えを、アイーゼさんが凄く嫌そうに聞き、私達は部屋で向かい会った。
まず最初に、私はアイーゼさんに、そのローブは脱がないのかを訊ねた。 それに答えたのはフェルさんで、と言うか、彼はアイーゼさんに向かって言ったのだが。 ――竜は居ない その一言で、アイーゼさんはあっさりとローブを脱ぎ捨てた。 放られた上着の下からは、黒を基調とした膝丈ワンピースのような服がお目見えした。首元を浅く覆う襟と、ゆったりした袖口には金の刺繍が施され、腰には赤の飾り紐と、赤い宝石の付いた黄金の金属がじゃらじゃらと垂れ下がっている。 下はサルエルパンツのようなズボンを履いているようだ。こちらも黒く、裾に金色の生地が差し込んである。あ、そう言えばちゃんと靴脱いでる。普通の黒の靴下が見えた。 全体的に黒い。見事に黒い。白の……?
「んふ、そんなに見詰められると照れちゃうわ」 「えっ、あ、すんません」
別に見惚れてた訳ではないんだけど、それは敢えて言わなくてもいいだろう。得意げだし。全体的に黒いから、ちょっと疑問に思っただけだ。
「それで白の、此処に来る直前は何をしていた」 「んー、あんまり言いたくないけどねえ」
言い置いて、私をチラリと見たアイーゼさんは、ふうと悩ましげに吐息を漏らした。私はと言えば、フェルさんの白の呼びに脳内で首を傾げた。黒いよ?
「ま、仕方ないか。あたし、ちょっと襲われちゃって」 「えっ」 「あ、変な想像しないでね、ミホちゃん?」 「いやしてないです」
変な想像って何だよ。 驚いたものの真顔でしっかり否定したのだが、笑われた。何故笑う。
「何処の手か判っているのか」 「まあ大体はね。いつもなら侵入された時点で気付くのだけど、感知されなかったからねえ」 「結界に掛からなかったと?」 「掛かってはいるのよ。ただ微弱だったからさー。動物か抵級獣かってぐらい、気にも止めない程度の反応で、油断しちゃった」
可愛らしく子首を傾ける美女もどきに、フェルさんが深い溜め息を吐いた。気持ちは判るよ。
「そんな弱い反応しか示さないような相手にやられたのか」 「相手が一枚上手だったって事よ。そんじょそこらの輩に引けは取らないつもりだけど、あれはヤバかったわ」
アイーゼさんの一言に、フェルさんは目を丸くした。
「そんなに?」 「ええ、反則もの。実力だけで言えば、イヴァンをも越えるでしょうね」
フェルさんが息を飲んだ。私はなんか大変みたいだという事だけは察したが、概ね蚊帳の外である。 今の会話の中だけで、訊きたい事が山ほどある。ただ確実に話の腰を折るので、黙って様子を伺うに留まっている。
「あれは多分、パドラね」 「馬鹿なっ!」
突然拳がテーブルに叩きつけられ、声にまでは出さなかったが、驚きでちょっぴりお尻が浮いた。フェルさんの顔が鬼気迫っていて怖い。
「何故パドラが、あそこは教会の息がかかっている筈だろう!」 「少し前まではね。でもそれも表面的なものよ。厳しい情報規制がしかれたから、ドラホーンにはまだ届いてないのでしょうけど」
アイーゼさんは飄々と述べ、フェルさんが絶句したのを機に、私へと視線を移した。 ドキリとする。 私は踏み入るつもりが無かった。聞いてもどうにもできないし。彼らだって、だから私を省いているんじゃないのか。
「訊きたいことが、ありそうね?」
思わず押し黙った。
正直、気にはなる。 この二人には、何かある。
魔法。 戦争。 フェルさんが戦っていたのは、魔法使いの国で。 アイーゼさんは、魔法を使う。
これだけでも、不穏な気配を察するには充分で、おまけに二人は衝突してばかり。 無理訊けない。訊けないでしょうよ。そんな明らかにヘビーっぽい話。 臭い物に蓋をするだけだと判っているが、詳らかにするだけの覚悟が、私にはない。
結局そろそろと頭を左右に振ると、アイーゼさんは吹き出して笑った。いやだから何故笑う。
彼らは獣の一面を持っている。唯々諾々と平和を傍受してきた私にとって、不必要だったものを、この二人は持っている。 だからこそ一線を越えるには勇気がいるし、覚悟無しでは到底受け入れられないと思うのだ。 だって、訊いて敵同士でーすとか言われたら、私どうしたらいいの。片方追い出して解決とはいかないだろう。うちで戦争なんて事になったら目も当てられない。
「おい何度言えば判る。ミホをからかうな」 「だあってえ、この子面白いほど顔に出るんだもの」
え、そんな判り易い? と言うか、さっきのからかってたの?!
「ぶはっ、あっははは!」
更に身体を折ってゲラゲラ笑い始めたアイーゼさんを、唖然と見つめる。遊ばれた……。
「ふ、ふふ、大丈夫よ、あたし個人とゴーフェは、敵対してないから」
涙を拭いながら言われ、ぽかんとする。その顔を見て、アイーゼさんはまた笑った。
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