ディフィカルトランゲージ

 私は帰り道の途中で眠ってしまったらしい。
 起きたらベッドの上だった。
 部屋は、一見元通り。しかしきっちりと元の位置に家具が収まってはいるが、ひび割れたテレビ画面や、タオルケットに付いた草が昨夜の出来事を物語っていた。
 ぼんやりとそれらを見渡して、頭が動き出せば、小さく溜め息を吐いた。ゆるりと引き戸に視線を動かす。
 ――人の気配。
 安堵してしまう辺り、大分感化されている。家具、彼らがやってくれたのかな。

「ミホ?」
「はい」

 絶妙のタイミングに、思わず笑みが零れた。

「入っても?」
「………どうぞ」

 自分の姿を眺めて一瞬躊躇するも、なんだか今更な気がして、大人しく枕に頭を埋めた。大分ぼろぼろな感じだが、見た目を取り繕う意味が無い。ええ諦めましたもう。
 静かに引き戸が開かれて、目線を移す。部屋に入ってきたフェルさんの、あからさまにほっとした顔を見て、やっぱり思わず笑ってしまった。彼の手には水の入ったコップが握られている。

「その、具合は……」
「大分いいです」

 遠慮がちに気遣ってくれる彼は、私の知っている彼だ。起き上がろうとすれば、素早く傍らで背中を支えてくれた。重病人みたいな扱いに、苦笑が漏れる。

「水を」
「ありがとうございます」

 差し出されたそれを素直に飲み下す。あー、口の中がすっきり。
 半分程一気に飲み干し、一息吐いてから、フェルさんに向き直る。

「あの人は?」

 フェルさんは答えずに私からコップを取り上げると、首だけで引き戸に振り返った。
 開いたままの引き戸からひょこりと顔を出したのは、美人魔法使い。彼は片眉を上げ、開口一番。

「狭い」

 そう言った。
 フェルさんの溜め息が聞こえる。つい吹き出してしまった。

「何笑ってんのよ」
「ふふ、狭くてすみません」
「ミホ、謝る事はない。不満ならさっさと出ていけ白の」

 刺々しいフェルさんに肩を竦めるだけで答えた魔法使いさんは、彼の隣へ立つと腕を組んだ。見下す姿が異様に様になっている。

「狭いし暑いし野蛮人は一緒だし最悪」
「わあフェルさん落ち着いて!」

 何故か帯刀しているフェルさんが、柄に手を掛けたのを慌てて押さえる。ノー暴力! ノー殺傷!

「でも、まあ」

 必死でフェルさんを宥めている私を、魔法使いは面白そうに見下ろして。

「仕方ないから居てあげる」
「――え?」

 不意を突かれて惚けた私は、暫くその美しい微笑を眺め続ける。今、なんて?

「貴様なんぞこの世から居なくなればいい」
「フェルさん怖い!」

 びくりと恐ろしい発言のフェルさんを見やり、漸くさっきの言葉が解れる。
 そうか、うん。

「じゃあ、よろしくお願いしますね」

 言えば不遜な態度で頷かれた。偉いひとなのかなー。彼は恐らく、心と身体が間違っちゃった系の人だと思うのだが、高貴な雰囲気を漂わせている。上から目線がしっくりきすぎて、身分の高さを伺わせるのだ。

「何故ミホが頭を下げるのだ。お願いするのはこいつの方だろう」

 呆れ目になったフェルさんが、金髪さんへ投げ遣りに親指を向けた。それを一瞥しただけで、金髪さんはしれとした態度を崩さない。

「アイーゼ・ウムビニラ。別名、白の魔女。此処に身を置く対価として、あたしの魔術を行使する権利をあんたにあげる」
「なっ!」

 初めて耳にした魔法使いさんの名前を名前と気付くまで、ちょっとの時間を要した私と違い、フェルさんは直ぐ様驚きを示した。
 私はというと、フェルさんに追い付くまでに更に時間を要した。
 魔術を行使。魔法を使えるってこと? えっ、魔法を使えるってこと? 魔女には触れない方向で、思わず声を上げる。

「ええっ!」
「遅い」

 端的に反応の鈍さを指摘され、思わず顎を引く。ずっと思っていたが、歯に衣を着せない人だ。鋼と程遠い私のハートが、ちょっとばかしシクシクしている。

「勿論条件はあるわ。一日一回。複雑な魔法や魔力を多大に消費するようなものは駄目。それからあたしを対象にしたものも駄目」

 フェルさんがちっと舌を鳴らした。
 私は突然降って湧いた話に目を瞬かせるばかりだったが、ふと思い出す。
 私が見た魔法を。
 まず人を吹っ飛ばす暴風。要らない。
 物をどっかに転送。要らない。
 あれ、魔法、要らなくね?
 転送は便利そうに見えて、知らぬ場所には飛ばせないという微妙な代物。暴風は問題外。
 あ、でももしかしたら。

「あの、ウヌビレさん? あれ、うぬぼれさん?」
「わざと? わざとなの?」

 不正解を連続で叩き出したらしい私に、頬を引きつらせたウヌなんとかさんは、私の頬に手を伸ばす。そのままギュッと摘まれて、悲鳴を上げる。わざとじゃない!

「ウ・ム・ビ・ニ・ラ」
「ふ、む、うぃ、」
「もういい。アイーゼで」

 上手く発音できないのは、別に私が悪いわけじゃない。綺麗な眉をピクピクさせる彼が頬を離さないからだ。なんて理不尽。
 溜め息と共に解放された頬を擦るも、フェルさんが剣を抜いていて痛みに浸る暇もない。いつの間に!

「ミホに手をあげるとは」
「フェルさん! 刃物はいけないって言ったじゃないですか!」
「温情の余地はない」
「頬をつねった程度で?!」

 驚くほど簡単に血生臭くなるなほんとに!
 血気盛んなフェルさんを何とか諫めていると、携帯が鳴った。メールだ。しかし今は構っていられない。フェルさんお願いだから流血沙汰は勘弁してえ!

「なに、音はコレから? ……魔力は感じないわね」
「ミホ、今やつを粛清しなければ後悔するぞ」
「しない! 今その剣をしまってくれないとそっちの方が後悔します!」
「ミホ、白の魔女は危険なのだ。今は大人しくしていても、いつ牙を剥くか」
「いや今間違いなくその剣の方が危険!」

 剣に伸ばそうとする私の手を、フェルさんの手がやんわり拒絶する。あっ、ずるい! 高くあげられたら届かない!
 その時、不意に冷気が首筋を撫でた。冷凍室を開けた時のような、ひんやりとした空気だ。はて、エアコンを稼働した覚えは無いが。
 熱くなっていた頭を文字通り冷やされて、己の姿を顧みる。下に響くので飛び跳ねる訳にもいかず、必死に背伸びをしていた私は、Tシャツの裾からへそを見せるという痴態を晒していた。おぎゃあと鳴いたのは赤子以来だ。
 だがフェルさんはそんな私に目もくれず、私の背後を凝視している。私はそっと何も無かったかのように服を整えてから、振り返った。
 振り向いた先にさっきの痴態もぶっ飛ぶ現場があると知らずに。



** ** **



 ドライヤーをあて続けること暫し。どうあっても電源が入らない事を確認した私は、ベッドに顔を伏せた。携帯。私の携帯。
 あの時、振り向いた先にあったのは、凍り付けにされた私の携帯だった。
 私の顔ほどもある歪な氷は、すっぽり丸々携帯を包み、冷え冷えとした空気を放出していた。目を白黒させる私に、アイーゼさんは言った。
 急に震えるからびっくりした、と。

 家財道具もだが、携帯は必需品。仕事で使う限り、直ぐにでも修理なり買い換えなどしなければならない。昨夜の外食が地味に堪える。泣きたい。

「これが? はっ、もうちょっとマシな嘘吐いたら」
「嘘など吐いていない。貴様と一緒にするな」

 携帯の説明を聞いたアイーゼさんは、全く信じていないようで、フェルさんが何を言っても嘘だの一点張り。ただドライヤーは起動した瞬間二度見して以来、もの凄く気になっているようだが。

「どれだけ遠距離でも? 会話できるって? なら見せて貰おうじゃないの」
「だからそれは、貴様が壊したから使えぬと」
「言い訳としては充分ね」

 やり取りを聞いているだけで面倒臭くなってくる。私はのそりと起き上がると、おもむろにエアコンを起動した。
 こういうのは見せた方が早い。翼の生えたお札が飛んでいくイメージが一向に頭から離れない私は、是が非でも日本初心者に、此処の常識を、一刻も早く、教えなければという決意で満ちていた。何人にも異論は許さない。これは最優先事項だ。

「なに、これ……」
「えあこんだ」

 何故か誇らしげなフェルさんをスルーし、引き戸を開け放つ。付けたばかりのエアコンには無体だが、涼を求めて付けたわけではない。
 くるりと振り向き。

「アイーゼさん、ちょっと」

 ちょいちょい、と手招きすると、訝し気な顔で、何度もエアコンを振り返りながら、私の後を追ってきた。
 まずはシンクの水道。蛇口を捻り、アイーゼさんの驚く声を聞きながら、今度はコンロの火を点ける。
 言葉が出ない様子を横目に、冷蔵庫を開く。壊れてなくて本当に良かった。お前は頑張ったよ。よくやったよ。
 そして蛇口を閉め、火を消し、冷蔵庫を閉める。

「あの、今のところ、魔法、要りませんから」

 止めとばかりに一言告げれば、かぱりと、アイーゼさんの口が開いた。


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