アンダームーン

 淡く発光するその人は、闇夜に浮いて恐ろしく幻想的だった。浮き世を忘れさせる光景に、私はただ息を飲むしかなかった。

 振り返った金髪は、呆然となった私を見て、ふっと息を漏らし笑う。馬鹿にしているようであり、楽しんでいるようでもあるその様に、私は見惚れた。
 金髪美魔法使いは言う。
 あたしの魔術は高いのよ、と。
 意味を上手く飲み込めなくて、首を傾げた私をくすりと笑い、彼は家具達へと向き直る。後ろ姿で表情は判らないが、暫く無言でいたかと思うと、すいっと右手が水平に振られた。
 と、草の上に転がる家具達が、淡く光り出したではないか。左端から順番に、蛍光塗料でも塗ったかのように、次々光を放つ。彼の放つ光と同じ、緑がかった、蛍のような優しい光。
 すっかり惚けた私の目の前で、今度はそれらが一瞬にして消えて行く。
 気付けば口にしていた。
 すごい、と。

「これで全部かしら、ね」

 金髪が辺りを見渡し溜め息を漏らしても、その彼がもう光っておらずとも、私は放心したままだった。
 何と言えばいいか、と言うか何を思えばいいかさえ判らない。ただ凄いと、それだけが思った唯一の事である。私って頭が悪かったのか。だってもう、驚き過ぎてなんかもう。

「ちょっと、いつまでぼけっとしてんのよ」

 金髪に呆れ気味に言われ、私は漸く我に返った。だが未だ何処か夢心地で、なんだか頭が霞み掛かったようにぼうっとする。

「あ、ああ、はい」
「はいって何よ」

 ふはと吹き出し笑った金髪に、恥ずかしいと思いながらも、やはり頭が上手く働かない。
 とても信じられないような光景だった。でも、今私は自分の目で見た。だからしっかりと受け止めようと思うのだけれど、なんだか足元がふわふわして、ああ、どうした事か、視界までぼやけて来た。

「……ちょっと?」

 自分の息がやけに荒いのに気が付くのと、金髪の表情に真剣味が差したのは同時くらいだった。あー、無理し過ぎたか。熱が出たっぽい。
 色々あって気付くのが遅れたようで、結構な発熱具合だ。これは帰って即ダウンレベルかも。

「ミホ?」

 金髪の顔色の変化を感じ取ってか、背後に居たフェルさんが、顔を覗き込んできた。小さく目を見開いた彼は、みるみる表情を曇らせる。
 責任を感じているらしい彼に悪いと思い、咄嗟に大丈夫と痩せ我慢を口にしてみたが、彼の表情はちっとも晴れやしなかった。
 何処が大丈夫なんだと言わんばかりの顔に、私がはた目に見ても異常をきたしている事を知る。

「ちょっと無理したみたいですね」
「何を他人事のようにっ、……いや、すまない。私の責任だ。今すぐ帰って休もう」

 緩い笑いを向けた私に、一瞬眉間の谷を険しくさせたフェルさんだったが、直ぐに真剣な眼差しで諭すように言う。
 休む……でも、果たしてそれは可能だろうか。まず家具はどうなったのか。それから金髪魔法使いの事だって、まだ何も決まっていない。名前さえ知らない。
 くらくらする頭でざっと考えただけで、放置できない事柄が山ほどあるんですが。

「さあ、ミホ」
「え」

 私は頭を悩ませている間に何が起きたのか。フェルさんがしゃがみ、背を此方に向けている。なに? いや、これはおぶされという体勢で、それは判っているんだけど、判ってしまっているんだけど、何故そうなるのかが判らない。
 具合が悪そうな友人に肩を貸す、ぐらいの常識は私も持ち合わせている。だが友人にさっと背中を差し出す常識は生憎何処にも見当たらない。普通しない。普通しないよね。

「あの?」
「何をしているんだ、早く乗ってくれ」

 いや乗らないから。乗らない一択だから。

「そこまでしてもらわなくても」
「駄目だ、これ以上歩かせる訳にはいかない」
「や、本当に大丈夫です」
「いいから乗れ」

 困った。大変困りましたぞこれは。
 助けを求めて金髪を見れば、何故か驚いたような顔で固まっていた。えええ。
 内心で狼狽えている内、焦れたフェルさんが強行手段に出た。視界の端に立ち上がる姿。突然膝裏に差し出された腕。急に訪れる浮遊感。背中を支える腕と、びきりと走ったあばらの痛み。
 ひ――

「失礼、一刻を争うと判断した」

 まままままじでかあ!

「出来るだけ早く戻る」

 こっ、だ、え、だあっ! 落ち着け私!
 無駄に口を開け閉めし、言葉どころか脳内さえも思考がぶっ飛んだ。所謂お姫様抱っこ。まさかそう来るとは。混乱から何とか抜け出して、慌てて言葉を吐き出す。

「おっ、降ろしてください!」
「それは出来ない」
「出来ないって!」

 ああそう出来ないんじゃあ仕方ないかあって出来ない事あるかあああ! 何をとち狂ってんだこの好青年は! 泣くぞ!

「待ちなさい」

 いやいや無理いい、と逞しい胸を押して抵抗する私を物ともしなかったフェルさんの足が止まる。物凄く不快そうに振り返った彼と、泣きそうな私の視線が金髪に向いた。
 今更だけど、本当にやっとだけど、金髪が止めてくれるのを期待する。漸く気が付いてくれましたかこの異常事態に!
 金髪は何とかしてくれとすっかり人任せになった私の視線を華麗に無視し、すらりと長い指先を此方に伸ばした。ひんやりした手が、私の額に触れる。ちょっと気持ち良いかも。
 そして何を言うでもなく、金髪はフェルさんを厳しい目で睨み付けた。あれ。
 睨まれたフェルさんは、何故か瞳を逸らした。

「…………………」
「…………………」

 な、なにこの気まずい雰囲気。
 そっと様子を伺っていれば、金髪はピンポイントで私の負傷部分に手を当てた。不機嫌丸出しの眉間の皺が、更に深くなる。

「あんた……」
「は、はい?」
「あんたじゃないわよ」
「すみません」

 地を這うような低い声に返事をすれば、ギロリと睨まれた。速攻で謝った。美人の怒り顔まじ怖い。

「ゴーフェ」

 彼は私ではなく、フェルさんに用があったみたいだが、呼ばれた当人の様子がおかしい。

「あんたまさか」
「煩い」

 何故か怒ったような金髪の言葉を、フェルさんはぴしゃりと撥ね除ける。が、金髪は引き下がらない。

「誤魔化すな」

 鳥肌が立って、はっとする。この、空気が痛い程張り詰める感じ。視線を向けたが最後、逸らせなくなるこの状態は。

「あんたが、」
「黙れ!」

 怒声に肩が揺れる。だがお陰で釘付けにされていた意識が、フェルさんにも向いた。
 フェルさん?
 彼の奥歯が鳴る音を聞いた。何がそんなに気に障ったのか、穏やかな彼から想像出来ない程に憤慨している。

「貴様には関係ない!」
「………………」

 まるで天敵に遭遇した獣のようだ。全身の毛という毛を逆立てて、威嚇している。
 尋常ではない様子で、でも私ときたら、それをおろおろと見詰める事しかできない。その内、フェルさんは踵を返し歩み始めてしまった。
 咄嗟に彼の肩に掴まる。そうだった抱っこされてたんだった。
 しかし今は羞恥より彼の様子が気になって、常より近い横顔をじっと見詰める。

 ――痛い?
 口を突きそうになったのは、そんな言葉だった。
 自分でもなんでそうなるのかよく判らない。彼は怪我なんかしちゃいないのだ。でも、痛そうに見える。
 私は大いに迷った。お門違いの質問をするのも憚られ、それならば何を言おうと考え、むしろ声をかけてもいいのかと、迷った。
 上下に揺れる自身のからだ。ぶれる横顔。見詰めていれば、私の頭は再びぼんやりとし始める。
 揺りかごのように優しくて、抗うすべを持たない私は、やがて闇に意識を沈めていった。


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