ウェルカムウィザード
沈黙が降りる。チラリと横目に見上げると、彼は難しい顔で俯いていた。眉間の皺が深い影を作っている。あれ、なんか……怒らせた?
「……貴女は」
抑えたような声。つい背筋が伸びる。フェルさんの後ろから黒い靄が上ってるように見えるんだけど何だこれ?
「何故なんだ。何故怒らない。何故罵らない。何故そんなに……っ、私は貴女に怪我を負わせたたんだぞ!」
荒らんだ語気に、びくりと肩が跳ねた。
「二度と顔を見せるなと、そう言われても仕方の無い事をしたんだぞ! 何故それを責めない!」
なんか知らんが凄い怒られてる! 確実に怒気を孕んだ瞳が、私を真っ直ぐ見下ろしている。勢いに呑まれて、上手く頭が働かない。 そして何を思ったか私の口は、勝手に開いた。
「わ、判りません」
何だそれ!? 言ってから激しく後悔するも、後の祭り。 フェルさんは目に見えて怒りを増した。怖い! 眼光が鋭利!
「判らないだと?」
ひいいいすんません! でも勝手に口が! この口が勝手に!
「そんな事だから奇怪魔術士なんかに付け込まれるんだ! 貴女は危機感を持っていないのか!」 「ご、ごめんなさい」 「謝罪など要らん! 私はもっと危機感を持てと言っているんだ!」 「ごめんなさい!」
うあああフェルさんが怖い! すっかり小さくなってしまった私は、もう彼の顔を見る勇気も無い。しかも最もな事を言われているので、言い返せない。
「ねえ、ちょっとー」
そこに間延びしたバリトンボイスが挟まれて。
「まだー?」 「煩い!」 くわっ、と眼を見開いたフェルさんの顔は、正直トラウマになりそうでした。
*** ***
フェルさんが怒っている。 隣でフローリングに正座する私は、小さくなるだけ小さくなって、会話のきっかけを必死で探した。向かいの金髪はやたらと寛いでいるが、どういう神経をしているのか。その図太さが今は妬ましい。
「……で?」
何を何と切り出そうか悩む私を余所に、痺れを切らしたように金髪が口火を切った。しかし、でって言われても、結局何をどう話せばいいのやら。下手な事を言えば、隣のフェルさんの怒りが再燃しかねない。それは避けたい。
「……此処は我らの住む世界と別世界。まずはそれを理解しているか否かだが」 「ああそれなら大丈夫よ。色々見て回ったから」 「そうか、なら話は早い」
思案している内に取り残されてしまった。だが、会話には参加していない筈の私を、何故二人して見るんでしょうか。何故二人して私を見ながら会話するんでしょうか。
「原因は不明だ。彼女は何も知らない」 「やっぱり、召喚じゃなさそうね……残念だわ」 「残念ついでに、此処には魔法が存在しないとも言っておこう」 「…………そう」
金髪は一瞬眼を見開いたが、直ぐに無表情に戻る。 そう、無表情なのだ。フェルさんも、金髪も。もう何処を見たらいいか判らない。何かのプレッシャーなのか。私が邪魔なのか。でも此処は私のうち、って、
「ああ!」
私が勢い良く声を上げると、二人はビクッと震えた。それに構わず、慌てて金髪に向かって身を乗り出す。
「家具! 家財道具! なんで何も無いのか知ってます!?」
両手を広げて空き家と化した部屋を示すと、金髪はその手を見てから、考えるように視線を斜め上に上げ、ああ、と漏らした。
「そう言えば飛ばしたわね」 「とばし……? うん?」
首を傾げた。 金髪は人差し指を天井に向け、あっけらかんとして言った。
「飛ばした」
な ん で す と ?
「何処に」 「場所なんか知らないわよ。此処が何処だか判んないんだから」 「無責任な事を言うな! 言っただろう、彼女は何もしていない!」
あ、ちょっと揉め事は勘弁してよ! 私の生活必需品達の行方も気になるが、と言うか飛ばしたって何なのか突っ込みたいが、とにかく穏便に済ませる事が第一だ。
「彼女に迷惑をかけるな!」 「煩いわねー」 「貴様!」 「わーわー! ストップストップ!」
フェルさんが膝を立てたのに慌てて、二人の間に割り込む。あとプラスチックフォークを振りかざす無意味さを是非説いてやりたい。
「あの、取り敢えず家具は後にして、貴方、そう貴方が来た時の話を聞かせて貰っていいですか?」
金髪を振り向き言えば、自分を指差し首を傾けた。きょとんとした顔が可愛い。顔だけは美女なんだから、どんな表情も良いに決まっているんだけど。
「来た時って言ってもねえ。気が付いたらこの狭い部屋に居た訳だし」 「フェルさんと一緒ですね……」
狭いと言われた事には眼を瞑ろう……。確かに狭いしね。でもいいんだもん! 狭いのが落ち着くんだもん!
「で、もし隠れてる奴が居るなら、取り敢えず一掃すりゃ見付かるだろうと思って。脅しもあって徹底的にやったからねえ。あんたには悪い事したと思ってる」 「はあ」 「ま、そう遠くには行ってないと思うわよ。危険物かどうか判断付かない物も多かったから、外にやっただけで、遠くに運ぼうとは考えてなかったわ」 「はあ」
身の入らない返事をおかしく思ったのか、金髪が片眉を上げた。
「何よ、訊いといて気も漫ろ?」 「あ、いや、違うんです。その、飛ばしたってどういう風にですかね? こう、空を飛んでった? みたいな事ですか?」
手で宙に線を描くと、怪訝な顔をされた。間違ったらしい。
「こっちには魔法は無いと言っただろう。……ミホ」 「はい」
呆れた声で間を取ってくれたフェルさんに呼ばれ、振り向く。
「こいつが言うのは、転移の魔術だ。ある程度の空間内で物を移動させる」 「転移魔法の応用ね」
なんと。驚き過ぎて言葉を失う。
「移動距離によっては大掛かりな術になるらしいが」 「そんな時間と手間、かけられる訳ないじゃない。ねえ」 「近くにあるのは嘘ではなさそうだ。どうする?」
甘美な笑顔と不機嫌面の両極端に挟まれて、視線をうろつかせる。
「ええと……」
正直、私は魔法に直面して大いに戸惑っている。そんなぽんぽん話を進められても、付いていけない。 だって魔法だよ。魔法。何にも知らない人が聞いたら、中二に患うという病気を発症したかと思うレベルの話だよ。 大変困っていれば、勘違いしたフェルさんが金髪をひと睨み。
「こいつに取りに行かせればいい」 「あんたねえ、大概にしなさいよその態度。普通なら許されないわよ?」 「貴様の許しなんぞ請うていない」 「あ、あー……まあ、家具は追々考えますよ」
なんだこの新手の強制尋問。私が何か言わないと、二人が剣呑とする。
「それより今後の事なんですけど……」 「反対だ」
まだ何も言ってないのに?! 驚いてフェルさんを見ると、怒りを滲ませる強い眼差しを向けられた。私が何を言い出すか、予め判っているようなその眼差しは、どきりと肝が冷えるくらいには、効果があった。
「………………」 「今後ねえ……」
つい黙ってしまった私を無視して、金髪は独り言のように漏らす。
「どうも判らないんだけど」
私はすっかり発言しずらくなっていたので、何がと視線だけで金髪に問うた。 彼は顎に手を当て、見下すように私とフェルさんを見た後、子首を傾げた。この人は何と言うか……高慢な印象を受ける。
「あんた達って、どういう関係?」
思ってもみない質問だった。 へ? と変な声を漏らした私を、金髪は上から下まで面白そうに観察する。それからフェルさんを一瞥し、ふふと鼻を鳴らした。
「ほんと、可笑しな組み合わせ。その子が何らかの権力者だってんなら話は判るけど、そうじゃないんでしょ? さっきのおにーさん、そう、隣の扉から出てきたおにーさん」
さっきの、言われて一瞬逡巡し、隣へと続く壁を見れば、金髪は頷いた。
「あの時の態度からするに、町娘辺りがいいとこかしら。まあそれ以前に、魔法も魔術も使えない、況してやこの狭い部屋が住居じゃあ、大した身分は認められないわね。違ったかしら?」 「仰る通りです」
若干凹み気味に答えると、金髪は満足そうな笑みを浮かべた。
「で、そんな小娘ひとりに躍起になるのが……」
小娘言われたんですが。
「|あの《・・》フェルアラッツ・ゴーフェ」
金髪は楽しそうに喉を鳴らす。私は意味が判らないので楽しくない。と言うかさっきから地味にダメージを受けているので全然楽しくない。
「ねえ、あんた、何なの?」
何と言われましても。 美しい笑みを見返しながら、これは難儀な人が来たものだと脳内で溜め息を吐く。 フェルさんもある意味難儀な人だが、この人は別の意味で不安になる。疑り深いのは、身を守る為だろうか。確かに安全を確保する為の情報収集は、必要だと思う。けれど、何も無い所を探っても、彼の為にはならない。 これは早い段階で釘を刺すべきだろうか。
「私はまあ、貴方の仰る通り、別段取柄も無い一般人です。 この家に住んでいて。 何故だか知りませんが、ある日フェルさんがうちに居て。 何故だか判りませんが、ある日金髪に襲われて」
自分で喋っておいてなんだが、何だこのリアルが遠退く出来事達は。
「だから私はお役に立てません」
きっぱりと自分の無力を主張。かつてこれほど情けない主張をした事があっただろうか。 悲しくなってきたがしかし、ここで折れてはいけない。私は如何に彼にとって無益かを、はっきり判らせなければならないのだ。 でないと彼は、無駄な労力を使う事になる。それは関係を拗らせるだけだし、何より遠回りだ。
「貴方が今考えるべきは、今後です。身を此処に置くつもりなら、」 「ミホ!」
喝を入れるように、私の声をフェルさんが遮った。 金髪は僅かに双眼を見開いている。
「私は反対だと言っただろう!」 「………………」 「駄目だ! 危険過ぎる!」 「………………」 「そんな顔をしても駄目だ!」
じいっとフェルさんを見詰めて訴える。駄目だ駄目だって、じゃあどうするのよ。放り出せないでしょうよ。 一辺倒だったフェルさんは、私の無言の訴えに、ほんの少し眉を下げる。彼だって判っているのだ。他にどうしようも無い事が。 自分がそうだったように、未知の世界にこの人を放り出すのがどんなに厄介かを、判っているのだ。 私は改めて金髪に向き直る。
「此処に住むつもりなら」
麗人は初めて、困惑を瞳に浮かべた。
「まず家具を探しに行きましょう」
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