サイドドア
何時もの時間に、何時ものように携帯が鳴って、画面でそうだ今日休みだったと気が付いて、なんだよまだ寝れるじゃんと布団に潜り直し、目覚まし切っておけば良かった等とぼんやり思って、そう言えば昨日何時に寝たっけなんて事まで浮かんだら、自然と昨夜の事を回想しちゃって、はっと目を見開いた。 そうだ、ひとりじゃないんだった。 ちらり、引き戸を見る。 …………静かだ。 六時半を回ったところだから、まだ寝ているのかもしれない。 起きて、ああそうだ私はどこどこの誰々だったと、全てを空想だった事にして、出ていく。なーんて事に………、はならないか。 昨日一日で、ああ違うんだな、と何度も思った。私と、この場所と、違う。 比べる対象が狭いのかもしれないが、それでも一つ一つ言葉を交わす度、私とは違うとそれだけは強く感じられた。
一体どうやって、来たんだろう。
それが判らなければ、何も前進しない。この部屋、なんか変な穴でも開いているんだろうか。世にも奇妙なワープホールとか。何それ怖い。宇宙人攻めて来そう怖い。 恐る恐る部屋を見渡して、天井にも壁にも、変わったところがないのにちょっと安心する。うん、ワープホールだなんて、私も大概奇抜な発想するな。大体、フェルさんは宇宙人ではないだろう。 再び引き戸に目をやる。言動はやや宇宙人レベルかもしれない……。 なんて失礼な事を思いつつ、ノロノロと起き上がる。暑い、呟いて、エアコンのリモコンを探した。周辺にはない。仕方なくずりずりとベッドから這い出る。 立つのが億劫で、腰からしたはベッドに残したままにして。 ええと、何処やったっけ、ああテーブルのう、
「ミホ」
びくり、と身体が跳ねて、リモコンを取り落とした。ガタン、リモコンがテーブルにぶつかって、派手な音が鳴った。そして鳴った後に訪れる、静寂。………静寂?
「……………………」
え、今……、あれ、気の、せい?
「ミホ?」 「はっ、はいい!」
気のせいじゃなかった! 必要以上に張り切った返事は、擦れていた。
「あ、と……すまない、起こしたか?」 「あ、や、いえ」
見えない相手に、首を振る。
「丁度起きたところです」 「そうか……」 「はあ………」 「……………………」 「……………………」 「……………………」 「……………………」
だ、黙っちゃったんですけど。
「……あの、どうか、しました?」
こんな朝早くから、わざわざ声を掛けて来たんだ。きっと何か事情があると踏んで、今度は私から声を掛ける。
「ん、いや。その……大丈夫、なのか?」
何が。訊ねられて思い当たったのは、傍に転がるリモコン。これか。それとついでに、自分がいつまでも変な格好で固まってたのにも気が付いた。 そそくさと座り直す。
「あの、今、エアコン付けようと思ってたら、リモコン取り損ねちゃって」 「リモコン………いや、そうではなく」 「?」
あれ、違う? 首を傾ける。
「何か――奇妙な音、が、先程まで聞こえていたんだが」 「奇妙な音?」 「その……、オコメが炊き上がった時に鳴るような、そういう」
お米が炊き上がった時に鳴る音? あの、ピーッピーッって鳴る電子音の事? 電子音……?
「ああ携帯か!」 「ケイタイカ……?」
いやイカではないです。携帯です。 祝日を除く日曜日は、携帯の目覚ましは鳴らない。つまり昨日は鳴っていないから、フェルさんはそれを初めて聞いた事になる。不思議に思って当然だ。起こしてしまったのは私の方。 申し訳なく思って、説明しがてら謝罪した。が、どうも彼は既に起きていたらしい。 最初本当かどうか判らなかった――気を使っただけとも思えた――が、話を聞くうち、早起きが習慣なのだと知った。
「え、じゃあ……もしかして、昨日も?」 「………………………」
無言は肯定と受け取った。昨日私が8時過ぎに惰眠から目覚めた時、もう既に彼は起きていたという事だ。 ひとり、目覚めて独り、彼は何を思っていたんだろう。私と同じような疑問を抱いたりしたんだろうか。 ――どうやって。 考えても、詮無い事だ。 ああでも、彼は私と違うから、私には判りっこない事でも、もしかしたら――
「ミホ」 「あ、はい」
耽ろうとした思考を、呼ばれて戻す。
「今日は、その、何か用事があるのか?」
遠慮がちに問われ、苦笑が漏れた。私はきっとまだ、信用され切れてない。それでも、独りで居るよりはマシなんだろう。 不安が勝っているのだ。 はっきり言われた訳ではない。けれど時々見え隠れするそれは、共感を呼んだ。 違うと感じ、また同じとも思う。だから私は、彼を此処に置くんだろう。
「いえ、今日も――今日は、特に用事はありません」
出掛ける予定も、これといった約束もないと告げた。言い直したのは、明後日が過ったからだ。別に私が常に暇だと思われたくなかったとか、友達居ないと思われたくなかったとか、そんな訳ではない断じて。 明後日は、会社である。
「そうか……」 「はい」 「………………………」
再び沈黙が流れ、ふと小さな壁掛け時計を見やる。まだ7時前だが、目は覚めてしまった。 立ち上がる。
「朝ご飯、もうちょっと待ってくださいね」
着替えようとクローゼットに手を掛け言うと、急がなくていいとの答えが返ってきた。 一体何時に起きたんだろう。早かったなら、お腹の減り具合もそれなりだろうに。 私が着替えを済ます間、ずっと静かな引き戸の向こう。 ただ人の気配は、僅かにする。しかしさっき、突然声を掛けられた時、私はその気配を微塵も感じなかった。 それはわざとなのか、元からそうなのか。 一緒に街を歩いた時には、特に感じなかった。今も。 それなのに、寝起きだからで片付けられない程、さっきは気配が無かった。だから私は寝ているのだと思い込んだのだ。 知らず背後に立たれた事もあった。意識してやったのなら、質の悪い悪戯だ。 でも、きっと――
「悪戯じゃ、ないんだろうなあ」
聞こえない程度に呟く。 私を起こしたかと、気にしていた。 まだ寝ている誰かを、起こさないよう息を潜める事は、そんなに突飛な事ではない。友人との旅行で、一番早く目覚めてしまった時等、そうするのは不自然ではない。 作業の邪魔になりたくなくって、そっと様子を伺うなんて事も、ままあるだろう。 そういった時、普通なら僅かな気配は残ってしまうものだが、フェルさんは徹底していた。ただそれだけの事のように思う。 彼は悪戯に人を脅かすような人ではないと、そうも思う。 くすりと、思わず笑いが漏れた。 私は随分、彼を信用している。決して絆されたつもりはない。彼も絆したつもりはないだろう。 可哀想だからとか、そんなんじゃなくて、この境遇で、私を騙す程の価値を見出だせない。彼が私に危害を加える事はないだろう。 家無しで、文無しで、他人の家に転がり込むのが目的なら、尚更だ。まあ、それは無さそうだけれど。 彼に打算的なものは感じない。あるのは困惑と、素直な好奇心。 見る物見る物全てに驚き感心する姿は、日常から浮いていた。浮きまくりだ。 小さなスタンド型の鏡を開いて、髪を手櫛で簡単に直し、顔に涎や枕の跡が無いのを確認し、素っぴんのまま引き戸を開けた。 フェルさん相手に別に着飾る必要はない。 が、私は瞬時後悔した。 引き戸の前には正座した、朝から一片の隙も見当たらない美形男子の姿があった。 Tシャツに短パン姿である。私と同じである。 けれど私とは格段に見栄えがするのである。 無性に嫌になった。自分が。
「お早う御座います」
ぴんと伸ばした背筋をきっちり折って、フェルさんが挨拶する。慌てて正座した。
「おは、おはようございます」
ぺこり、頭を下げる。フェルさんのように様にはならないのが、何とも情けない。
「あ、あの……まさかと思いますが、ずっとその体勢でいないですよね?」 「その体勢とは?」
上目に伺うと、真面目くさった顔で返された。
「や、その、ずっとそこに座ってたりとか……、しないですよね」
言っておいて、流石にそれはないかと、最後は訊くと言うより結論付けて、失笑した。何を訊いてんだか、そんなの無い無、
「寝具を片付けてからはこのままだが」 「あった!」 「……あった?」
吃驚した私に、訝しむ瞳が注がれる。構わず何時に起きたか訊いて、卒倒するかと思った。 2時間近く正座てなんですか。 朝日と共におはようございます。そんな事は私に出来ない。 だから私の生活リズムは変わらないし、変えようとも思わないし、しかしフェルさんに合わせて貰うつもりもない。 ただこれだけは言わせて貰う。
「私が起きるまで、楽にしていて下さい」 「楽に……ええと、」 「別に正座で待機している必要は無いって事です」
どんな罰ゲームだ。何自ら進んで罰ゲーム課せてんだ。真顔で訴えた私に、フェルさんは一度自分を見下ろし、同じように真顔で迷惑をかけたと謝った。違う!
「いやいや、迷惑だなんて言ってません。そんな、いつでも畏まってたら疲れるじゃないですか。だから楽にと、そういう意味で」
はあ、と身の入らない返事をされる。
「別に私はこれくらい、苦ではないが……」 「え」 「それに申し訳ないが、他にする事が無い。剣を振る訳にはいかないだろう」
だから正座待機? や、いやいやいや、そりゃあ剣を振られたら堪ったもんじゃないけど、まずその剣を振る行為からして普通思い付かないし、と言うかそれを基にしてだから正座ですと言われても、え、剣を振るって何。どっから来たのその発想。
「ちょ、ちょっと待ってください」
ツッコミ処が多くて、整理の為に待ったをかけると、フェルさんはほんの少し首を傾げた。 これは、何か、フェルさんにとって何かの延長だ。剣を振るから伸びる延長の先に、正座がある。 習慣、だろうか。突然毎日している事以外の事をしろと言われても、特に思い付かない、ってのだったら……うん、判る。 毎日剣を振っていたと仮定して、その他の何かが、正座………すみません繋がりません。 根本的に理解が及ばない気がして、難儀していれば、フェルさんが口を開いた。見れば、顎に手を当て、何かを思案していたようだった。
「ただ座っていただけではないんだ」
言い終わり、青い瞳が此方を向く。
「架空の相手を思い浮かべ、頭の中で色々な動きを試す。そういうのを繰り返すと、実際動いてなくとも鍛練になる」
鍛練。その単語に酷く納得した。予め聞いていて良かったと思う。でなければ腑に落ちなかっただろう。
「朝はいつも?」
何をとは言わずとも、相手には伝わった。頷かれ、そうかと暫し逡巡する。 習慣は、なるべく変えたくない筈である。私がそうであるように、日々のリズムはそう簡単に変えられない。これから先どのくらい続くのか判らないのでは、我慢も中々上手くはいかないだろう。一日二日の事では無いのだろうし。 そう、恐らく、まだ暫くは続くと思うのだ。この生活が。 根拠はない。確信もない。 だが、今日明日で解決するような問題じゃないと、何処かそう思っている。それは、予感とも言えぬ曖昧なもの。勘に近い、不確かなもの。
「ミホ、止せと言うなら控える」 「あ、違うんです」
考え事をしている間に、彼も何かを考えたらしく、また謝られそうだった為慌てて手を振った。
「好きにしてていいんです。それがいいなら構わないんです。けど、」 「けど?」 「扉の前は、止めてください」
上目に苦笑を漏らし言うと、少し間を置いて、フェルさんは小さく微笑んだ。 心得た、と穏やかに微笑う彼に、何だか胸がほんのり熱を帯びた気がした。 明日は会社。私が居ない間の事を、私はもっと考えなくては。 適当にテレビでも見て寛いでいてなんて言っても、きっと彼は困ってしまうだろうから。私達とまるで違う生活を送っていたのだろうから。
「ご飯、作りますね」
立ち上がると、フェルさんも腰を上げて、脇に寄ってくれる。 冷蔵庫の前まで行くと、呼ばれた。振り返る。
「はい?」 「ありがとう」
一瞬何の事だろうと思ったが、考えみれば朝ご飯の事以外にない。こんな時、彼は毎度の事のように謝罪を口にしていた。それが、今は感謝の言葉に変わった。 擽ったい。擽ったいけれど、嬉しかった。
「はい」
笑みを隠さず返せば、フェルさんは何故かほけっとした顔をした。え、え、何だその顔。口を僅かに開いた、惚けた顔。見られている。超見られているですがこれどうしたら。突然見つめられると、見つめられてる方は目を泳がせてしまうものだ。 ちらり、見上げて。
「ええと……?」
お、おお……、判り易くはっとしたな。声を掛けると我に返ったフェルさんは、動揺しているのか何なのか、忙しなく視線を動かし、手の甲で口元を押さえると、う、とか、あ、とか意味の無い音を漏らした。大丈夫かこの人。
「す、すまない、その、ちょっと、ぼうっとして、」 「はあ」
はあ以外に言う事も無く、首を捻りながら冷蔵庫に向き直った。何だったんだ一体。冷蔵庫を開ければ、その疑問は直ぐに朝食のメニューへと切り替わった。
[ 13/28 ] [←] [→] [back][bkm] |