リピートコラボレーション
――はあ? とそんな顔をしてしまったのは、不可抗力だと思う。 よくよく聞けば、別に読めない訳ではなく、だが、明らかに故郷の文字とは違うらしい。百八十度程も。 では何故読めるのか、そして文字が違うのなら、何故言葉が通じるのか、だが……。フェルさんは、違和感なく、当たり前に通用し過ぎてしまっていて、外に出るまで疑問にすら思わなかった、と言った。 ならもう、答えは一つである。
「よく判んないけど、良かったですね」 「………そ、そうだな」
考えても判んない事は判んない、って訳だ。わざわざ出口のない迷宮に迷い込む必要もない。楽観的と言われたら、まあ、その通り。 山盛りになった籠は、2つ。手では持てずにカートに載せ、それを押しながら隣に笑顔を向けると、フェルさんは取り敢えず合わせたような、ぎこちない笑顔を浮かべた。 彼は私と違って、あまり楽観視とか、出来ないタイプじゃないかと思う。
「しかし……これ持って帰れるかな」
レジの最後尾に到着。順番を待ちながら、流石に買い過ぎかと眉を寄せる。フェルさんに手伝って貰ったとしても、米とかあるし。これは自転車で来るべきだったかも。荷台代わりに。 店員のいらっしゃいませの声に、フェルさんはびくりと姿勢を正した。そしてバーコードを読み取る作業を凝視し過ぎです。おい覗き込むな。店員びくってなったから。ちょ、まじか手を出すな店員オロオロしてんだろ! お前の手はピッていわない! ピッしないから! そんなフェルさんを押さえているうち、会計が終了。うん、まあ、ちょっと痛い値段だったけど、仕方ない。今月は一切無駄遣い出来ないな……。
「ありがとうございました」 「む、うむ、失礼する!」 「え、あ、はい、ありがとうございました」 「いや此方こそ世話になっ」 「いやだもうフェルさんたら日本来たばっかりだからってはしゃいじゃってー!」
がっしと腕を掴み、フェルさんをレジから引き離す。なんで店員に握手を求めるお前えええ……!
「もうフェルさんお願いだから大人しくしてて下さい! ……フェルさん? フェルさ、」
とにかく急ごうと袋に物を突っ込みまくっていた私が振り向けば、そこには凄い勢いで設置してあるビニール袋を引き出すイケメンの姿がありました白目剥く。
「フェルさあああ……! こっ、これはガラガラしちゃ駄目です! 駄目なやつです!」 「えっ、あ、いや引いたら何故か次々と……」 「引くからでしょうが……!」
小声で怒鳴るという何とも高等な事をしながら、もっとちゃんと言い聞かせなければならないと痛感しました、はい。 けど、そうして終始落ち着く事無く店を後にしてみたらば。米を担ぎ、調味料やら油やらを主にした重い袋を、一手に引き受けてくれた彼の存在は、大変に助かったと言わざるを得ない。
「荷物、辛くなったら、下ろしてくださいね。休み休み行きましょう」 「いや、問題ない」
けろっとした顔で返されて、やっぱり男手は頼もしいな、とか思ってしまう。 いや、いやいや。今は良くても歩いていればそのうち辛くなる筈だ。米担いでるし。腰やられますよ。
「うん、でも、無理はしないでくださいね」 「………了解した」
こくりと頷かれ、フェルさんに比べれば断然軽いといえ、そこそこに手に食い込む袋を、よいしょと持ち直した。 周りを見れば、休日ともあり仲良く夫婦でお買い物、なんて姿がチラホラ見える。親子連れも。平和な夕方の風景である。なんだか酷く長い間、こういうのを見ていなかった気がする。
「スーパーで買い物なんて、久しぶりだからなー」
いつ以来だろう。下手したら数年ぶりかもしれない。少なくとも、一人暮らしを始めてからは、一度もない。
「そうなのか?」 「はい」 「なんだ、勿体ないな……」
勿体ないって。真顔で言うものだから、つい笑いが漏れる。フェルさんには、スーパーは余程素晴らしい所らしい。
「そうですね、来たら良かった。いや今度から、沢山来ます」 「沢山……それは、その、私も……」 「あーはいはい、一緒に行きましょう」
ふんふん、と何度も頷くフェルさんに、私の頬は、やっぱり緩んだのであった。
――それから、フェルさんは家に着くまで、一切の疲れというものを見せなかった。無理をさせているのではとの私の懸念を余所に、お疲れさまでした、言ったら此れくらいで疲れる等あり得ないと、真顔で返された。 ひょっとして本気かと私が怯んだのも束の間、彼のお腹がぐうと小さく鳴った。夕飯を作りの開始である。
「うわしまった鍋がない」
親子丼用の鍋、そんなものが普段料理しない私の家にある筈がない。仕方ないから小さなフライパンで代用する事にする。 作り方は母にメールして貰った。料理なんて珍しい、そんな言葉添え付きで。玉葱の芯を切り落とすものだと、初めて知りましたが何か。 卵を溶きながら、ぐつぐつと泡立ち揺れる鶏肉と玉葱を見つめる。大根のお味噌汁と、トマトサラダ。本当ならもう一品欲しいところだが、作り手は私だ。精一杯と思って欲しい。
「良いに、」 「うひゃおう!」 「おい、だ……すまない」
卵がほんの少し、零れた。フェルさんて、気配が薄いって言うか、ないって言うか。ともかく足音もなく背後に立たないで欲しい。
「いえ、え? 何ですか?」
フェルさんは少し眉を下げて、苦く笑う。
「良い匂いだと、思ってな」 「ああ、もうちょっとで出来ますよー」 「何か、手伝う事はあるか? とは言え、私は料理に一切役立てないと思うが」 「あ、じゃあご飯、お米、よそってくれます?」 「それくらいなら」
お安い御用とばかりに頷いて、フェルさんは食器棚に向かう。彼は料理をした事がないらしい。
「あ、その隣の、今朝使ったどんぶりで……そう、それです」 「コメはこっちだな」
米研ぎを興味深そうに眺めていた彼を、邪魔だと台所から追い出したのは、30分程前だろうか。 電化製品に一々瞳を輝かせる彼は、一人暮らし用の小さな炊飯器の前に立った。開けるのに悪戦苦闘している。私は手早くフライパンに卵を落とし、蓋をした。
「ここを押します」 「お……なるほど」
開いた炊飯器から、もわ、と白い湯気が上がる。んー、フェルさんじゃないけど、いい匂いー。
「しゃもじです」
小振りのそれを手に取って、ご飯をひと掬いして見せる。フェルさんに渡すと、余計に小さく感じた。
「シャモ、ジー」 「凄い全然違う物に聞こえる」
謎の物体のようだ。 フェルさんは私を一瞥すると、口を曲げてしゃもじを見つめた。拗ねたのか。拗ねたのかお前。
「半分くらいよそってくださいねー」 「む……、半分ほどだな。承知した」
あち、と呟くフェルさんを横目に、お味噌汁をよそう。なんだか頬が緩んでいる。出汁とか、醤油とか、お米とか。美味しい匂いの充満する狭い台所が、何だか癖になりそうだ。 ひとりではない食事も。
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