スーパーインシデント


 狭いが愛する我が家に戻っても、いつものように、とまでリラックス出来ないのは、そこに家族以外の誰かが居るからだろう。かと言って、疎ましく思ったりはしない。
 それは、まだ過ごす時間が浅いからなのか、私の性格的な問題なのか、相手に寄るのか、判らないけれど、帰りに自販機で買ったスポーツドリンクをがぶ飲みする私は、そこそこに気を抜けていて、それで満足である。いやしかし暑い。
 自販機に驚くフェルさんの可笑しさは、普段なら大いに笑うとこだっただろうが、私は反省中であるのもあって、苦笑しか出なかった。私が置いた、空になったグラスを見て、彼は漸く自分の分に口を付けた。
 一口飲んで、じっとグラスを見つめるその様子を横目に、立ち上がる。もう、4時を過ぎていた。

「私、晩ご飯の買い物に行きますけど、フェルさんどうします?」
「あ、ああ、迷惑でなければ、共にさせて欲しい」

 いいですよ、の代わりに頷く。するとフェルさんはグラスを一気に煽ってから、立ち上がった。









「何か欲しい物があったら言ってくださいねー」
「……………………」

 苦笑する。
 先ほどの大通りにあるスーパーは、近隣で一番大きく、時間帯も夕方とあって込み合っていた。このスーパー、彼には電気以来の大きな衝撃だったようで、入り口で目を剥いたまま、私の声も耳に入らないようだった。
 かごを持ち、何にしようか献立を考える。と言っても私の料理の腕なんて、たかが知れているんだけど。

「フェルさんフェルさん、食べられない物あります?」
「え?」
「食べられない物ありますか」

 呆然と辺りを見回しながら、店内に入ったフェルさんの、服の袖を小さく引く。と、彼は漸く私を視界に入れてくれた。
 言われた言葉を改めて考えているのか、数度瞬き、何か言い掛けて、そのまま何かに目を奪われ、凄い、呟いた。おおーい。

「フェルさん」
「え、あ、すまない。此処は、ええと、スーパーと言ったか」
「はい」
「夢のような場所だな」

 わあ、買い物中のおばちゃん振り向いたー……。
 えっ、って顔のおばちゃんを一瞥し、慌てて口を開く。

「なんかリクエストあります? 出来れば簡単なもので!」
「リク、なに?」

 ああそうだった横文字駄目なんだった。チラリ、さっきのおばちゃんを見れば目が合って、向こうがさっと逸らした。わざとらしく顎に手を添え、目の前の棚にあるレタスを、吟味している素振りをみせる。盗み聞きみたいで気まずかったんだろう。
 しかしそこは他人事。その内おばちゃんは本来の目的――此処では買い物――に戻り、さっさと隣を過ぎて行った。私ももうフェルさんを放置し、トマト安いとかそんな事を思っていた。

「トマトサラダにしよーっと」
「ミホ殿、ミホ殿」
「はい」

 カートを引く別のおばちゃんが振り返ったが、いいもう気にしない。

「此処はどうしてこんなに食材を集めているんだ?」
「どうしてって、スーパーだから?」

 胡瓜をかごに入れる。

「いやそうでなく、一体どのようにしてと、こんなことが可能なのか?」
「ああはい、可能可能」
「まるで小さな市場ではないか」
「うんそうですね、あ、鶏肉安い」
「私の国の市場全部を集めたようだ!」
「よし親子丼にしよう。フェルさん卵とか大丈夫ですか?」
「なんと卵まであるのか!」
「うんすみません、フェルさん声でかい」
「スーパーとは本当に凄い!」
「いやだからフェルさん」
「電気といい、此処はなんと偉大な国だろう!」
「うっさい!」

 拳握って興奮中のイケメンを、思いっきり叱り付けた後。周りの静けさと刺さる視線に泣きたくなりました。

「フェルさんちょっと」
「うん? え、ミホ殿?」

 がしりと彼の腕を掴み、そそくさとその場を後にして、調味料コーナーでしゃがみ込む。隣に同じくしゃがんだ高テンションお兄さんを、鋭く睨み付け、小声を発した。

「フェルさん」
「うむ?」
「お店では静かにしてください」
「了解した」

 ほんと判ってんだろうかこの人は。

「それとやっぱりその殿はやめてください。目立ちます」
「……………しかし」
「私の為を思うならやめてください。本当にお願いします。このスーパーに来れなくなるのは困るんです」
「ミホど」
「違います」

 此処は譲れない。じっと青を見上げる。

「本当なら、フェルさんが自分で納得するまで、待っていようと思ってたんです。貴方の警戒する気持ちも、判るから」

 フェルさんが、僅かに息を詰めた。それに構ってあげられないのは、悪いと思う。こんな、急速に距離を縮めるやり方は、私だってしたくなかった。
 でも悪目立ちして、これから何度もお世話になるであろう、このスーパーに来れなくなるのは、本当に困るのだ。

「それ、は」
「いいんです。貴方が私を疑うのは、当然だし、必要な事です。フェルさんは、私の事を知らない。だからそれでいいんです。でも、フェルさんが此処で過ごす以上、従ってもらわなければならない事もあります。納得していなくても、です」

 無理矢理頷かせる、のは、それが必要だとしても、やはり気分がいい訳ではない。けれど私が揺らいでは、右も左も判らない彼の為にならない。車の件が良い例である。
 高慢と思われようが、横暴と言われようが、これと示さなければならないのだ。私は。ああ嫌な気分。

「………わか、った」

 謝りそうになって、慌てて口を噤んだ。ちゃんと、責任を果たそうと思ったのだ。彼を改めてちゃんと、引き取ろうと決めたのだ。
 ままごとではない。これは、他人の人生の一旦を担うという、とても重い問題なのだ。だから彼がどんなに苦し気でも、私は逃げ道を作ってはいけない。私絶対教師とか出来ないな。辛過ぎる。

「ミホ」
「へっ」

 間抜けな声が出た。
 彼を見れば、随分真剣な、うわ、ちょっと、今のはちょっとあなた。

「………少々、ぎこちなくはあるが、許して欲しい」

 そう言って彼は瞳を伏せた。
 自分で言っておいてなんだが、私は狼狽えていた。だって、これまでの彼の言動からいって、いきなり呼び捨てとは思わないし、かなりの不意討ちでしょうよ。つまるところ、うっかりときめいたのだ、多分。多分でしかないのは、名前を呼び捨てられたくらいで動揺するなんて、した事がないからである。しかし何か、何か言わねば。

「あ、い、いえ………」

 わあ……これは、これは酷いな自分。落ち込みそうだ。

「変だな」
「え、な、何が?」

 ふっと笑った気配を感じて、未だ動揺を消せないまま、隣を見上げる。

「立場上、私は人を呼び捨てて呼ぶ事が多いのだが……」

 綺麗な青が、ふと思い出したように此方を向く。

「慣れている筈が、貴女を呼ぶと緊張する」

 すいません!
 うううやっぱり無理強いは良くない。良くないよ。いやでも外で殿は困るし。でもでも、ああああどうしよう……!
 私は早くも折れそうで、心の中で苦悶する。その葛藤が、顔に出たのか、フェルさんが再び口を開いた。

「ああ貴女が気にする事ではない。何と言うか、私にはこういう間柄の異性が居なかったんだ」

 え、こういう間柄ってなんだ? 私とフェルさんの間柄……家主と食客? そんなの、私も初めてですが。て言うか普通にそんな間柄、滅多にないんじゃ……。

「ええと、それは、女性に養われるとかそういう」
「えっ?」
「えっ?」

 驚いた顔で見返され、ちょっと戸惑う。あ、あれ? 違う?
 私が聞き返すと、フェルさんは慌てて首を振った。

「い、いやそういう意味ではない。違う違う、私にとっての異性は、部下であり、上司であり、その間柄以外にない」
「あ、そういう……」

 私が納得すれば、何処か必死だったフェルさんは、ほっとしたように息を吐く。そんなに勘違いされるのが嫌だったのだろうか。

「つまり、部下でも上司でもない異性、女性と付き合うのは初めてなんだ。だから、そういうのを抜きにした付き合いというのが、その、判らなくてだな……」

 フェルさんは俯きがちに、私をチラチラと伺う。それが、なんだ、えーと、そう、まるで思春期の中学生みたいだ。可笑しくなって、小さく吹き出す。と、フェルさんの頬が赤く染まった。わあ、何その可愛い反応。

「わ、笑うな」
「す、すみません」
「………………」

 中々笑いの治まらない私を、むっとした顔で睨む。しかし、頬が赤いままでは迫力に欠けた。

「そんなに怒らないでくださいよ。………そうですね、そんなに変わらないと思いますよ」

 すっかりいじけてしまった彼は、醤油の棚を睨み付けていたが、私がそう言うと片眉を上げて此方を向いた。

「異性じゃなくたって、フェルさんにも友人はいるでしょう?」

 頷いたのを確認して続ける。

「それとあまり変わりませんよ。例え部下でも上司でも友人でも、それぞれに付き合い方があるように、誰とどう付き合うかが大事なんだと思います」
「どう、付き合うか」
「私フェルさんは、話せば判る人だなーと思ってます」
「え………」

 一番安い醤油を手に取って、振り向く。

「あと真面目だなって。だから私も、ちゃんと真面目に答えなきゃなって思います。ついでに言っちゃえば、それがフェルさんの警戒を解くのに役に立てばいいなーとか、ちょっと下心あったりします」

 にへら、とだらしなく笑う。フェルさんは面食らったようにパチパチ瞬いて、は、と短く息を吐き出した。

「………貴女は、」
「はい。あ、調味料は一色揃えないと駄目ですねぇ」

 かごに醤油を入れてから、上の段に顔を向ける。こっちはみりんか。みりん風調味料とどう違うんだろう。値段以外に差が判らないこの私の女子力の低さよ。
 結局、判らないので無難にみりんへと、手を伸ばす。と、その手が掴まれた。掴まれた?

「え」
「ミホど、ミホ」
「あ、はい」

 私の手をすっぽり覆ってしまうような大きな手は、勿論フェルさんのものだ。何事だと彼に視線を移す。

「すまなかった」
「……………はい?」

 謝られた。意味が判らなかった。きょとんと首を傾げれば、ふと、彼が微笑んだ。そして私はときめきましたちくしょうこのイケメンが。

「いや、何でもない」
「え……いや、いやいや、なんすかその意味深な笑みは」
「何でもない」


 えええー……。私の手をあっさり離して、彼は立ち上がると、目の前の棚に視線を移す。


「ミホ」
「は、はい」

 私も立ち上がるが、見上げなければならないのは一緒で。

「どうやらこの世界は……――」

 そして棚から目を離さず、彼は言ったのだ。

 ――……私の世界と字が違うようだ、と。




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