コンフィデンスシード

 ――あああもう、何やってんだか、逃げるなんて、置いてくなんて、あああ……――
 我が家を目前に、ハラハラと胸を騒がせながら、結局私はフェルさんを探しに、来た道を引き返した。信用問題に関わる、なんて今更だろうに。
 迷子は下手に動いてはいけない。その定石を果たしてフェルさんが成せるかどうか、成せてください頼むから、そんな縋るような気持ちでコンビニに辿り着いた時、遠目からでも際立つ、スタイル抜群な長身の後ろ姿に、息を弾ませながらも安堵したものだ。
 しかし彼は一人ではなく、彼の向かいには二人の女性。おう、逆ナンされてんぞ流石イケメンと思ったのは安堵の直後。相手は格好からして若い。そうか学生は夏休みか。そんな事を過らせながら、改めて楽しそうに笑顔を浮かべる女の子達を見れば、なんだかひとり焦っていたのが馬鹿馬鹿しく思え、肩から力が抜けた。
 しかし困った事になった。私に此処で出て行く勇気はない。ただの知り合いや友人なら、なま暖かい眼差しと共にスルーしてやる場面である。しかし彼と私は普通の枠を優に越えた関係で、いやなんかその言い方気持ち悪いな主に私の勘違い的な意味で。

「えー、じゃあ泊まるとこないとかー?」

 弾むような声から、女の子の期待が伝わってくる。そうなんだよ。何故私の家だったのか、そんなのは判りゃしないが、彼を引き受けるのは、何も私でなくてもいい。
 しかし私が心配なのは、そこ以外だ。なんてったって、彼は特殊な状況下にある。何処から来たのか判らない。言動は知らない人から見たら、意味不明。そのイケメンとんでもない事言い出しますから。
 だから私は動けない。彼が彼女達と行くと言ったら、それはそれで、別に構わない。選ぶのは自由だ。ただ心配なのだ。見ているだけでハラハラするのだ。なんか言い出すんじゃないかって。声を掛ける勇気もない癖に、随分身勝手な心配もあったもんだ。私これ帰った方がいいのかな。いやでも心配だし。

「じゃあお兄さん、私達と一緒に行くー?」

 あ、そうだ、彼の持ち物は、私の家にある。彼が何処へ行こうと、あれは彼には必要な物なんじゃないかな。それとも、それはあまり重要ではないのだろうか。私が重要だと思いたいだけかもしれない。え、なんで。なんでそんな事思いたい。あっれおかしい。おかしいけどまあいいやそこは今考えるとこじゃない気がする。今は荷物だ荷物。でも必要なら困ったもんだ。私はもう完全に名乗り出る気を無くしている。そんな空気を読まない真似をしたら女の子のプライドとか自尊心とか吟持とかを傷付けて尚且つ何こいつ空気読めよ的な視線を受けかねないからやっぱりすみません私帰り「ミホ殿?」貴様空気を読め。
 余計な事は考えずさっさと帰れば良かった。

「ミホ殿!」

「はい、はいはい」

 えーもう最悪なんですけど最悪のタイミングなんですけど。なんで気付いちゃうかな。最後の悪足掻きで無反応でいたのを、これ以上ないってくらい無駄にして、フェルさんが私の前に立った。返事をせざるを得ない。最悪だ。目を合わせられない。彼の向こうから、どの? とか疑問の声が。最悪だ。

「良かった……先程は、いきなりでどうされたかと、驚いたが」
「うん、はい、すみません」
「いや私が悪かったんだ」
「いやどう考えても私が悪かったです」

 謝られるような事はないのだから、と言うか寧ろ怒られていいくらいだ。相変わらずフェルさんの胸板辺りを見つめていると、今度は後ろから声が飛んで来る。

「お兄さーん、知り合い見付かったのー?」
「あ、ああ! そうなんだ!」

 フェルさんが手を上げて応えているのが見える。

「そっかあー」

 チラリと視線を投げれば、つまらなそうな声と同じく、つまらなそうな顔をした女の子。それでも案外あっさりしたもので、ばいばーい、と手を振り彼女達は、踵を返し高いヒールを鳴らして歩いて行った。どのって何ー? 意味判んなくなーい? とか言いながら。陰口は陰で言うから陰口なんだぞ若者よ。

「…………ミホ殿」

 と思ったけど、本人全然気にしてないみたいだからいいか。呼ばれ顔を戻すが、視線は相変わらず上げられない。

「はい」

「私は、その、あまりそういった事が得意ではなくて……」

 そういった事。何の話だ。全く判らないので取り敢えず無言で返す。

「気分を害されたのなら、謝る。すまない」

 いやだから貴方が謝る事は何にもないんだって。

「もっと上手く言えれば良いが、生憎私は剣ばかりを磨いてきたから」

 こういう時ルアンなら、もっと気の利いた事が言えるんだろうが、そう漏らす彼を、漸く私は見上げた。
 いやちょっと何言ってるか判らないです。
 そういう顔で。
 けれど彼は、目が合った瞬間、目に見えて判り易く、ほっとした。微かに上がった口角と、下がってしまった眉と。

「戻って来てくれて、助かった」

 困ったように笑う、それが何とも情けない顔であるにも関わらず、私の心臓は跳ねた。ときめいたとか、そんなんじゃなく。
 ――ああもう、何やってんだ、私。

「ごめん、ごめんなさい」

 だから、信用問題に関わる、なんて今更だろうに。視線が下がる。
 今の状態は、私が思うよりずっと、彼には深刻なのだ。私は何処か他人事のように彼を引き受けた。ままごと感覚だったのだ。人間一人背負う事は、そんなに軽い事じゃないと言うのに。
 一度拾った――と言うと語弊がありそうだが――責任は重大であり、途中で投げ出したり、放り出したり、あまつ他の誰かに担って貰うなんて、してはいけない。いけなかったのだ。

「もう、置いていったりしないから」

 例え成り行き上だったとしても。

「………お心遣い、痛み入る」

 ギクシャクしている。そう感じるのは、私に後ろめたい事があるからだろうか。心遣いなんてものじゃない。そんな出来た人間じゃない。だから彼の返答はとても間抜けている。それでも、真面目な、彼らしい返答。
 一度失った信用って、どれくらい努力すれば取り戻せるんだろう。百の内、たった一度が命取りな気がする。そうなると、私は百以上の努力を重ねて初めて、彼の信用を取り戻せる事になる。ああ、変な事を考えている。

「悪かったのは私だから、お礼は要りません」

 私は別に、信用を得る必要はないのだ。彼が居候である限り、私の信用を彼が得たいと思っても、その逆はなくても当然。私は家主の立場の上に、胡坐を掻いて座っていればいいのだ。何とも楽で横柄な立場。
 眉間に力が入っている私を、困ったように見下ろしているこの人の、

「帰りましょうか」

 それでも信頼して欲しいと思うのは、この人が、いつも、誠意ある返事を、するからだと思う。

「帰り、ましょう」

 頷く彼は、私をどう思っているんだろうかと、初めて気にした。



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