アンノウンワールド
フェルさんは、エルフは居るが会った事はないと言った。と言うかエルフ族はもう何年も人前に現れていないのだそうで。え、それ本当に居んの? 思った事が顔に出て、フェルさんは、昔は居たんだ確実に、と付け足してくれた。
「エルフの伝えたもの。それが魔法だ。使えるのは限られた者だけになるが、それは今も残っている。魔法の力はとても強大だ」 「フェルさんもそれでやられたんでしたっけ」 「………、そうだ」
あ、しまった。 一瞬言葉に詰まられて、軽率だったと後悔する。フェルさんはあまり表情を変えていないが、失言だった。もうちょっと気を付けよう。
「ガルガラは魔法国家で有名だからな」 「……フェルさんごめんなさい何語?」 「ん、ああすまない」
何処を拾っても全く判らず瞬いた私に、フェルさんは一旦謝ってから、考えるように顎に手を添える。
「戦争中、で判って貰えるだろうか」 「えっ、戦争中なんですか」
目を小さく見開いた私を見返し、ごく自然にああと頷く。そんな冷静に貴方……。
「相手は隣国だ。交渉は行ったが上手くいかずにな、戦になった。それでも此方は現在も、平和的解決の望みを捨ててはいない。まあ、使者を送ったところで、どれも突き返されているがな」 「え、ど、どうしてですか」
平和的に解決するなら、それに越した事はないじゃないか。 フェルさんは、ふっと鼻を鳴らす。
「攻め入ったのは此方。今更、と言いたいのだろう」 「で、でも、戦争なんて……」 「武力行使しなければならない事もある。我が国には、答えが何時になるか判らぬ交渉を、ずっと続けているような余裕も、時間も、ないんだ。それを待っている間にも、民は次々飢え、死に絶えていく」
フェルさんの低い声は、とても落ち着いている。とてもとても、落ち着いていて、文章を読み上げるかのように、淡々と、静かに。
「作物が育たない、と言ったが、今、我が国の半分以上は、荒れ地だ。緑は消え、水は枯れ、ひび割れた大地が広がるのみ」
フェルさんは窓へと視線を向けた。強い陽射しに、海の色をした瞳が細まる。
「あれはもう、生き物が住める土地ではない」
想像してみる。 カラカラの大地。草木は一本たりとも、生えていなくて。何にも、無くて。風が吹き付けては、砂が舞う。
「私達には、住める土地が必要なんだ。隣国ガルガラの、とても豊かなあの地が、必要なんだ」 「で、戦争、ですか」
言うと同時に、彼を見る。窓から私に視線を戻して、彼は寂しげに微笑んだ。
「すまない、つまらない話をした」 「そんなこと……」
私は、首を振るだけで精一杯だった。こんな時、何て言えばいいかなんて、判んないよ。
「此処は、争い事とは無縁のようだな」
やっぱり、何て言えばいいか判らなくて。どんな顔をすればいいのかさえ判んなくて。うー、やだ。重い話が苦手、と言うより、多分まだ良く知らない相手に重い話をされてもちょっと困ると言うか。居心地悪くなって、視線を泳がせながら、片手で腕を擦る。ううう、落ち着かん。
「………隣国のガルガラは、魔法で栄えた国なんだ。エルフが最初に魔法を伝えたのが此処だと言われている。隣と言っても他国の事だ、私も詳しい事は判らないのだが、伝承にはそう綴られているようだな。だからガルガラは、近隣国の中でも最も魔法が盛んな国なんだ」 「ま、ほう……」 「貴女は、魔法について何か大きな誤解をしているようだが、魔法とて万能ではない。私には、デンキの方が偉大だ」
魔法より電気が偉大て。 重かった気分を忘れ、思わず小さく笑う。
「だから電気はそんな大それたもんじゃないですって」
顔を上げる。上げたら、当然、フェルさんの顔がそこにある。その表情が、ほっと和らいだ。だから気が付いた。 気を使ってくれたのだ。私が困っていると思って、話題を変えてくれた。
「……しかしこの涼しい物も、あれだってデンキなのだろう? 魔法なくして冷気を呼ぶとは、偉大としか言い様がない」
エアコンを指して、感慨深く頷く。そんな彼をまじまじ眺めてから、ぐいと口角を上げた。
「フェルさん魔法使えないんですか?」 「ん、私か? 私は残念ながら才がない。挑戦した事もなくは無いが、あれはどうもややこしくてな。昔から、勉強は苦手なんだ」
苦い顔で、本当に嫌そうに言うものだから、ふは、と吹き出してしまった。
「私も勉強は好きじゃないです」 「字を追っていると眠くなる」 「教科書に限り」 「ならミホ殿は私より良いな」 「どんだけですか」
あははと笑う。フェルさんも、笑っていたように思う。
「………ミホ殿は、不思議なひとだな」 「ええ?」 「貴女の基準が、私には判らない」 「基準? 何の基準ですか?」
フェルさんは、微笑を浮かべている。
「きっと貴女にとって、私の話は絵空事に近い。私が実際自分で目にしていたって、絵空事のように思えるんだ。話しか聞いていない貴女は余計だと思う」
瞬きしながら、視線を宙に浮かばせる。 確かに、彼の話はどれも信じ難い話ばかりだ。その魔法とやらを使ってみせてくれたら、もっと話は早いかもしれないが、それも叶わない。の割に、私は彼の話を随分すんなり聞いている。はて、どうしてか。
「それなのに、貴女は私を此処に置いた。その決め手は何なのか、何を基準にして決めたのか、それが私には判らない」 「基準と言うか……決め手みたいなものは、あります」 「聞かせてくれ」
目を合わせると、彼は頷いた。聞かせてくれと言われても、改まって言う程の事でもなく、少し言葉に迷う。が、逸らしていてもじりじり刺さる、彼の真っ直ぐな視線に、結局私は息を吸い込んだ。
「困っていると、思ったから………」 「………………………………それだけ?」 「はあ」 「っ………、ほ、本当にそれだけで?」 「はあ」 「そっ、それだけで貴女は見ず知らずの男を此処に置くと決めたのか?!」
突然身を乗り出されて、びくりと肩が跳ねた。えっ、なに、顔怖い、顔怖いですフェルさん……!
「そんな馬鹿な、貴女は……、そんな………ことで……、」
驚いて固まっていれば、いきなり沸き立ったお湯はゆっくり沈静化し、やがて水平に戻った。勝手に。私は未だ固まっている。 はあああ……。額に手を当てたフェルさんの、深い溜め息である。
「すまない、少し取り乱した」 「あ、いえ」
俯いたままのフェルさんに言われてやっと、私の硬直が解けた。なんか判らんが、琴線に触れた的な感じか。
「いいんです、あの、判ります。自分でもどうかしてるなって思いますから」 「だったらどうして……嘘だったらどうするんだ」
指の隙間から、青が覗いていた。
「嘘かもしれない」
見えづらいそれは、けれど私を真っ直ぐ見ているのが判った。ほんの少しの緊張と、ほんの少しの恐怖を、私に与えて。
「嘘なんですか」
けれど私の中の半信半疑はもう、イーブンでは無かった。訊くことに、躊躇いを感じない程度には。
「……………いいや、」
青が逸れた。大きく、ゴツゴツした手が、滑るように落ちる。
「嘘なんかじゃない」
実は私にも、よく判らないのだと言ったら、彼はまた興奮するだろうか。何故半信半疑の境界を越えたのか、なにすんなり話受け止めちゃってんのか、本当のところ、自分でも判ってないのだ。 再び私に向けられた青は力強く、確かな意思を宿らせていた。そこに嘘は感じられない。と言っても、私は嘘を見抜けたりはしないんだけども。目を見りゃ判るなんてんなもん人生経験豊富な人の台詞だ。凡人にそんなことは判りゃしない。 そんな私じゃ、信憑性は余りに欠ける。所謂自分にはそう見えるだけってやつだ。それでも、私にはそう見えたのだ。見えるのだ。 なら私は、それを信じるしかない。私の目を、私を、信じるしかない。 こくり、頷く。うん……、うん。人を信じられなくなったら終わりと言うじゃないか。何が終わるのか知らんけど。
「それに私は嘘は嫌いだしな」
テーブルの上のインスタントコーヒー。一度も手をつけていなかったそれを口にして、フェルさんはむ、と顔を顰めた。
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