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「これはなんだ?」 「テレビと言います。なんて言うか、遠くの映像が、この黒い画面に映し出されるんです」
というような会話が、かれこれ小一時間は繰り返されている。そしてリモコンでスイッチを入れたテレビに、フェルさんがびくっと肩を揺らした。テレビとリモコンを交互に見た後、画面を凝視。口が開いている。 竜とか魔法とか、本当にあるなんて思えないのに、フェルさんの言う事に、嘘はないんじゃないかって。そう思ってしまうのは、彼のこういう反応が、やけにリアルなせいもあるんだろう。 ただやっぱり、彼の言う彼の国の事は、よく理解出来ない。何て言うか、上手く想像出来ずにいるって言うか。
「遠視は古魔法の筈なのに……こ、これはデンキか?」 「そうです」 「デンキ……奇跡の力だ……」 「いやそんな大袈裟なものではない」
囁くような感動の声に、すべき指摘を入れる。フェルさんは本気だから質が悪い。電気イコール奇跡とかね、とんでもない事言うよね本当に。
「電気より魔法の方が凄いと思うんですけど。ほら、箒で空飛んだりとか」
きょとん、とそれ以外に形容出来ない顔をしたフェルさんは、次の瞬間フハッと吹き出した。
「ミホ殿は面白い発想をするな」
笑顔である。そして私がきょとんとした。 え? と首を傾ける。 え? と首を傾けられる。
「あれ? え、もしかして………飛ばないん、ですか?」 「………飛ばない、な」 「あ、あー……、そう、なんですねー、へー……飛ばないんだー……」
判んねえええ……! 世界観全く見えてこねえええ……!
「何故箒なのかよく判らないが、その、仮に箒で人が空を飛んでいたとして、間違いなく竜の餌食になるかと……空は、彼らのものだから」 「あ、じゃあ魔法より竜のが強いって事ですか」 「いや、そうではなく」 「ええええ?」 「すまないが、ミホ殿は大分的外れだ」 「えええええ」
困ったように眉を下げたフェルさんの前で、首を傾げる。本当に判らん。全然前進しない。
「すみません、一回きちんとお話して貰っていいですかね」 「その方が良いようだな」
苦笑しながら頷かれ、私も苦く笑う。互いを知る為には、話をするしかない。
「竜の巣穴が多いんだ。昔から、我が国では竜の存在が身近だ」 「へえ、大きいんですか?」 「大きさは様々だ。土竜(どりゅう)や海竜は、飛ばぬ分、体も大きい。一度、山の如き大きさの海竜が海面から現れたのを、見た事がある」
うげ、と思ったのがそのまま顔に出て、彼に苦笑されてしまった。
「竜は基本、此方から危害を加えない限り、手を出して来ない。海竜などはその中でも最も温厚だ。逆に最も好戦的なのは、飛竜。飛翔竜とも言う。更に火を吐くものは火竜(かりゅう)と呼ばれる。私のルダスがそれだな」
さらりと言ってのけてくれたが、私の中のイメージが恐ろしいことになっている。火って。火を吐くって。
「凄い危ないじゃないですか! 襲ってきたりしないんですか!?」 「ルダスと私は幼い頃から一緒だからな、間違ってもそんな事にはならないよ」 「…………信用、してるんですねえ」
彼の、愛竜? と言うのか、そのルダスの名が出る度に、彼はとても穏やかな瞳をする。まるで大事な家族や友人を語るような、優しさを孕ませた瞳。 はああ、と私が感心の息を吐くと、彼は照れ臭そうに微笑んだ。
「まあ、ルダスに限らず、我が軍の竜騎士と竜は、皆互いを信用し合っているからな。そうでなければ竜騎士は務まらん。竜の信用を得られて初めて一人前、と言うところか」 「なら間違いなく私には無理ですねえ」
実に現実味の欠ける話に、想像だけで付いていく。火を吐いて飛んでる山ぐらいでかいドラゴン。全然無理だな。そんなん目の前にしたら生還さえ出来ない自信あるね。間違いなく死ぬね。生まれて良かった地球。 フェルさんは小さく吹き出すように笑って、そうだろうな、と言った。
「貴女のようなひとが竜に跨っていたら、私は自分の目を疑うよ」 「女の人は居ないんですか?」
私の質問に、フェルさんは眉を寄せ苦々しく口角を上げる、と言うなんとも微妙な表情を作った。なにその顔。え、なに、訊いちゃ不味かった?
「居るには居る。が、なんと言うか……貴女とは違う人種だ」 「違う人種」
よく判らず、首を傾ける。
「果たしてあれを女と呼んでいいのかどうか……」
それからフェルさんは、うんうん唸り始めた。何故か悩ませたようなので、この件に関してはあまり触れない方向でいこう。
「そう言えばフェルさん」
呼ばれ、目を上げた彼に、違う話題を振る。
「魔法って言うのは、竜が火を吐くのと、別物なんですか?」
彼が電気とガスの仕組みの違いが判らぬように、私にも判らない事が沢山ある。全然違うものでも、違うと知らない。 フェルアラッツさんは少し頬を緩めて、首を横に振った。
「違う。魔法は、使える者を限る。竜騎士が限られるように、魔法使いも簡単になれるものではない。しかし星の力は違う。古の時代、エルフが伝えたと言われる魔法より、簡単に魔法に似た力を得られる」
おい今なんかまたすこぶるファンタジーな用語が混ざってなかったか。
「生活に利用されたりもし、また武力にもなりうる。だから星石を多く持つ国は、それだけで脅威とされ、」 「フェルさん」 「ん?」 「今エルフって言った?」 「ああ、言ったが……」 「エルフって」 「?」 「言った」 「うん」
只今脳内で、火を吐くドラゴンと、お星様ステッキ持った三角帽子の魔女と、耳の先の尖ったブロンド美女が、決めポーズ作ってこっち見てんですけど何これ。色々破綻してんですけど何これ。
「あ、うん、続けてくだサイ」 「………大丈夫か?」
全く表情筋を動かさず単調に言うと、フェルさんが上目で伺ってきた。
「うん、なんかちょっと処理速度に追い付いてないけど大丈夫。大丈夫理解出来てないけど大丈夫」 「大丈夫じゃないんだな……」
大丈夫だと大丈夫じゃない事を伝えた、あれ? 大丈夫じゃない事を大丈夫だと伝えた? ん? あれ?
「ミホ殿」 「………………………………………あ、私か」
大分遅れた反応をした私に、フェルさんが心配気な目線を送ってきている。いやだって殿って付けられるとさ、なんか自分の名前じゃないみたいなんだもん。中々、否滅多に、否々、ほぼ確実に一生呼ばれる事はないだろう。
「いや、あの、フェルさん」 「うん?」 「やめませんかね、それ」 「……それ?」 「うん、あの、その呼び方?」 「呼び方」 「その、ど、殿ってやつ」 「何故だ?」
きょとんと返されて、さっと視線を逸らした。おい素面だぞこの人まじか。
「何か、不味かった、か?」 「いえ、不味いと言うか……いけないって訳じゃないんですけど、呼ばれ慣れないもので。出来れば取って欲しいです」
恐る恐る訊いてきたフェルさんに、ほんのり願望を乗せて笑顔で返す。 フェルさんは凄く納得のいかない顔で、首を傾けた。
「では、何と呼べばいい」
え、いや普通に呼んだらいいんじゃ……。 という突っ込みを飲み込んだ私は、取り敢えず笑顔を貼り付けたままである。
「別に呼び捨てて貰ってもいいですよ。呼び易いように呼んでください」 「………では、ミホ殿」 「うん、もういいです」
いやそれ同じだから。そんな言いたい事は伝わらず、そっと付けっ放しのテレビに視線を逸らした。彼にとってそれが自然の形なら、仕方がない。慣れないけど、最初だけかもしれないし。その内その呼び方が普通に思えるようになる……、いやなっても嬉しくはないけどな。 いつか、その殿が取れる日が来ると信じたい。
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