03





午前7時3分。いつもより40分ほど早く学校に来た私は職員室に向かった。
手には英語のノートを持って。

昨日私が風邪で学校を休んでいる間に、英語の課題を集めたらしい。しかも次の日の朝までしか受け付けないという。由希子がメールしてくれた。
そこで今日は念のため早めに登校したというわけ。新学期というのはやたらとやる気が出る。


「…あ、」


職員室に続く廊下に出ると、見覚えのある大きい背中を見つけた。考えるより先に声が出た。あれは間違いなく、バスケ部の彼だ。
想定外に大きく響いた私の声に、その人はゆっくりと振り返った。


「あーチロルの子だ」

「おはよう」

「おはよー。早いね、来んの」

「これ出さなきゃいけなくて」


「英語 課題」と書かれたノートを自分の顔の前で掲げれば、彼は表紙をじっと見下ろして、ぐーっと首をかしげた。それもかなりの角度で。


「桐島ー、みゆ?」


私の顔と、彼の顔を隔てていた英語のノートが不自然にびくっと揺れた。それはノートを持つ私の手が揺れたからなわけで。
突然フルネームを呼ばれたから動揺してしまった。
すぐに目の前のノートの記名を読んだだけだと気づいたけど。あとノートを逆さまに掲げていたことにも。


「桐島みゆです」

「へぇー」

「あの、あなたは、」

「ん」


彼は持っていたプリントを私の目の前に出した。

「紫原、あつし‥‥くん?」

なぜかあつしだけ平仮名だった。こうゆう表記なのかな…それとも漢字が面倒だから…?高校生にもなったんだから、できれば前者であってほしい。

「せーかい」

大きい人、もとい紫原くんは満足そうにちょっとだけ笑った。
笑ったかお、初めて見た。


「…そうだ、この前は飴ありがとう」

「飴?」

「あの、いちごの飴もらったから」

「あーあんときかー。なんかチロルの子っぽいのいんなーって思ったら、ほんとにそうだった」

「覚えてたんだね」

「忘れないし。だってブラックサンダー味持ってたじゃん」


当然、とでも言うような顔で言われた。


私 << ブラックサンダー



‥‥別に、いいけど。


「あれ学校の近くのコンビニだと売ってねぇの」

「そうなの?」

「橋渡ったとこのー、でっかいスーパーにしか置いてない」

「へぇ、詳しい」

「まーね」


紫原くんは自分の興味の分野に限ってはすごい記憶力をみせるらしかった。


「そういえばどこ行くとこだったの?」


壁に掛かった時計は7時12分。廊下でだいぶ立ち話していた。もし急ぎだったら悪かったな、引き止めちゃって。

「…アラ、どこだっけ」

「えっ」

「あーそうだ。これ出すんだ」

紫原くんは手に持ったプリントをひらひらさせた。この状態で忘れるって凄い。

「アウストラロ、ぴて…くす?のやつ」

「世界史?」

「そうそれ」

「地歴教官室あっちだよ」

私は階段のほうを指して言った。英語の先生がいるのとは別の階。

「そうなの?詳しいー」

「大丈夫?わかる?」

「へーき」

迷わないかな、大丈夫かな、と心の中で心配していると、

「こんくらい迷わないし」

ちょっと拗ねたように言われた。私、顔に出てたみたい。


「じゃあまた、…んーと、」


紫原くんは一瞬考える仕草を見せてすぐ諦め、私が持ってるノートを覗き込んだ。


「みゆちん」


名前、はまだ覚えてないみたいだ。
‥‥別にいんだけど、全然。


「うん。またね紫原くん」


午前7時14分、私はチロルの子からみゆちんになった。
廊下を照らす春の陽射しが、紫原くんの背中をきらきら照らした。




きみを更新
130301
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