「あれ、花宮」
保健室の戸を開けたら、先生がいない代わりに、なぜかナマエがいた。
「どうしたの」
「テーピング切れたから」
「そっか」
ボールペンでびっしり書きこんだ紙が机に散らばっている。また何か雑用でも任されたんだろう。
「お前保健委員だっけ」
「違うんだけど、ちょっと保健の先生に頼まれて」
書きかけの保健だよりをかき集めながら、ナマエはへらりと笑った。
「・・・私、行くね」
ずっとこんな調子だった。あの日、一緒に帰ったときから。
「じゃあね。部活頑張って」
「おい」
小さな背中がびく、と揺れて、でもこっちを見てはくれない。
「避けてんじゃねぇよ」
「別に、そんなこと」
「あるだろ」
いらいらする。ナマエのぎこちない笑顔にも、こんな風にしか接することができない自分にも。
「・・だって、花宮が、」
「・・・」
「花宮が変なことするからじゃん」
振り返った顔は今にも泣きそうだった。
「花宮はからかってるだけかもしれないけど、私、ほんとにほんとに好きなんだよ」
長いまつげが揺れて、ついに雫が頬を伝った。
「キスなんてされたら、もう普通に喋れないよ」
小さな子供みたいに、後から後から涙をこぼして、ナマエは俯いた。それを見ていたら、胸の奥底から、どうしようもない感情がふつふつと湧き上がってくる。
オレは出会った頃からこいつが苦手だった。鈍臭いし、馬鹿だし鈍感だし、何考えてるかわかんねぇし。扱いづらいってこういうことなんだと思った。関わりたくないな、とも。
なのに気づいたらこいつはいつも隣にいて、頭の中を占めるのはこいつの事で。このオレが振り回されるとかありえない、なんて思ってたのに、ナマエに出会ってからのオレはおかしかった。
「・・やっぱオレ、お前のこと苦手だわ」
こんなにわけわからない気持ちになるのも、全部こいつのせいだ。
俯いた顔を両手で掴んで、無理矢理上を向かせる。真っ赤になった頬と耳は、見た目通り熱かった。
潤んだ大きな瞳が真っ直ぐにオレを捕らえる。
素直になったほうが負けだと思ってた。どうすれば優位に立てるか計算ばかりしてた。でもそんな顔されたんじゃ、オレはどうやって張り合えばいいのかわからないじゃないか。
ナマエはいつだってオレの中にずかずか入ってきて、勝手にペースを乱していく。気づかないふりしていたうるさい心臓の音も、もうごまかせない。
全部全部、こいつのせいだ。
「好きだよ、ばぁか」
ぽかんとするナマエはやっぱり間抜けで、でも同時にどうしようもなく愛しかった。
思わず、少しくらいなら抱きしめてもいいかな、なんて頭をよぎって、やっぱりオレはどうかしてる。ここ学校だし、オレ、一応優等生なんだけど。
end.
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