がこん。もう何回聞いたかわからない小さな衝撃音を足元に聞きながら、私は額の汗を拭った。もうすぐ10月だというのに、傾き始めた太陽は容赦なく私の頭を照り付ける。
グランドの端っこから聞こえる野球部の掛け声とか、体育館から洩れるバスケットボールの音とか、耳に馴染んだ放課後の日常は心地好い。
膝を少し折り曲げて、落ちてきたばかりの小ぶりの瓶を自販機から取り出す。部活が終わると、体育館裏にある小さな自販機でオロナミンCを買うのが、私の日課だった。ここの自販機は、なぜか一種類の飲み物しか売っていない。オロナミンCのみ。全品110円。
この辺の管理を担当する教師の趣味なのか、一部生徒からの熱烈な支持があるのか知らないけど、正直今の時代にオロナミンCはないよな、と思う。ネタで一度買ったらハマってしまって、以後買い続ける羽目になるなんて、自販機を見つけた当初は思いもしなかった。
指に食い込む細いタブを掴んで、一気に引き上げる。中の液体が外気に晒された瞬間、しゅわしゅわと小さな湯気が立ち上った。一粒の泡も惜しいというように、一気に喉に流し込むと、黄色い炭酸が喉に痛い。
「もう飲み終わっちゃったんですか」
部活動をする少年少女たちのBGMに乗せて、透き通るような、それでいて凛とした綺麗な声が体育館裏に響いた。
「あれ、今日は遅かったね」
瓶を逆さにして口の上で揺すりながら、私は答えた。
「片付けが長引いたんです。誰かがゴール板にボール引っ掛けたせいで」
「へー。バスケ部って大変だね」
ちょっと邪魔です、と肩を押して私を横にずらした声の主、黒子くんは、慣れた手つきで小銭を投入すると一番右上のボタンを押した。
「前から思ってたんだけどさ」
「はい」
「なんでいつもそこなの」
一緒にオロナミンCを飲んでいて気づいたこと。一種類しかない自販機で、黒子くんはいつも同じボタンを押す。
「ここが一番美味しいんです。長年の研究によると」
「順番に買ってったの?」
「まぁ、はい」
「暇だなー。どこ買っても同じなのに」
「うるさいです」
私が日課を始めて1ヶ月経った頃、自販機の前でオロナミンCを飲む黒子くんに出会った。
大会前でなければ下校時間も一緒で、部活が終わって行けば、毎日必ず顔を合わせた。
たわいのない話をして、少しずつ少しずつ、黒子くんのことを知って。
他の誰もいない、この二人だけの空間が、いつの間にか部活後の私を癒してくれる時間になっていた。それはもう、一人きりで飲んでいたときよりも、ずっと。
「この喉にひりひりくる感じが堪らないよね」
「…シェイクの自販もあればいいのに」
「この暑さで溶けちゃうよ」
「溶けちゃいますか」
「うん」
体育館と校舎の壁に切り取られた四角い空は、もう何回見上げたかわからない。傾き始めた陽が私たちの汗ばんだ頭を照らす。
「暑いですね」
「暑いね」
だから、この自販機が撤去されると知ったときは、心にぽっかり穴が空いたような、なんとも言えない寂しさが襲ってきたのを覚えている。
「明日だって。撤去作業」
ここで黒子くんとオロナミンC飲むのも、今日が最後。
「寂しくなるね」
ちびちび飲みすぎて太陽の熱が移ってしまった瓶は、西日を受けて、ちょっとだけ綺麗に光っている。
「なんか、今日あんま喋んないね」
「そう、ですかね」
「うん。やっぱショックだよね」
「まぁ、…はい」
「黒子くん、オロナミンC大好きだったもんね」
「……」
「……」
「……」
「…?」
…あれ。私、何か変なこと言ったっけ。
黒子くんの、呆れとも失望ともとれる表情に、数秒前の自分の発言を慌てておさらいした。そんなにおかしいことは言ってない、はず。
「…はぁ」
「え、なによ」
「君は馬鹿ですか」
わけもなからぬまま馬鹿呼ばわりされた私は、今相当間の抜けた顔をしてると思う。まだ半分くらい中身の入った瓶が、ちゃぷ、と音を立てた。
「誰がこんな合成着色料の砂糖水なんか。…そもそも、僕は炭酸苦手ですし」
「そうだったの」
ずっと我慢してたってのか。でもなんで、と私が聞くより早く、黒子くんは口を開いた。
「嫌いな炭酸を我慢してでも、会いたい誰かがいたんじゃないですか」
「え、それって…」
「少しはその軽い頭で考えてください」
黒子くんは残りを一気に飲み干すと、では、と短く言って行ってしまった。
残された私は、温いオロナミンC片手に立ち尽くすしかなかった。傾いた太陽は、私の切りすぎた前髪も黒子くんの日に焼けたつむじも、そして錆び付いた自販機も平等に照らしている。私のなかで、黄色い炭酸がぱちりと弾けた気がした。
131024