これは夢だ。それもどちらかというと悪夢のほう。

起きたら目の前に監督が横になっていた。壁向きで背中を丸めて寝ている俺と、壁の間、数十センチ。人ひとりが入れるとは思わなかった。頭の中で想像していた監督よりも、実物はもっともっと華奢でちいさい。シーツに押し付けられやや乱れた髪の毛、首元がゆったりした柔らかそうなノースリーブの上に同じ素材のパーカを羽織っている。監督はまん丸の目を開けてじっとこちらを見ていた。

「監督…?」
「うん」

喋った。
夢にしてはあまりにもクリアで、毎晩頭の中で反芻している「真澄くん」とは比べ物にならないほどに彼女の声だった。驚いた拍子に思わず仰け反る。と、鈍い音がして頭から床に落ちた。思ったよりベッドギリギリの端に寝ていたらしい。でも監督が窮屈な思いをしなくてよかった。
どしん、という音に驚いたのか監督が四つん這いになってベッドの下を覗きに近づいてきた。上から見下ろした監督も、可愛い…。

「痛い?」
「ううん、好きだよ。アンタが」

思ったとおりに正直に今の気持ちを答えた。監督は心配して損した、とでも言いたげな顔をした。俺の前で一番くらいによくする表情だ。ちなみに「俺に好き好き言われ過ぎて困った顔」が同率首位を獲得している。

さて今の状況だが、床の上にぺしゃんこに落ちてるジャージ姿の俺、そしてベッドに腰掛けるパジャマの監督。同室の綴は既に起きて朝食をとりに行ったのだろう、部屋を出ていた。つまり最愛の人と部屋で2人きり。それも彼女のほうから寝所に忍び込んで来たのである。こんな至福の時間があるだろうか。否、俺の心は冷静だった。
ここまで困難を極めた恋がこんなに簡単に報われるわけがない。何の前触れも予兆もなく。初めのうちは夢に彼女が出てくるだけで心が宙に浮かんで、起きてから一日中暖かな湯船に浸かったようにぽかぽかとしていた。夢の中では何度も名前を呼んでくれて自分だけを見てくれる彼女に、自分の理想を押し付けていたのかもしれない。最近では夢の中の自分たちが幸せであればあるほど、起きたときの、倦怠感がどっと体を支配する感覚に嫌気がさしていた。いくら愛を囁かれても、頭を撫でられても、指を絡めて、その細い指で体のあちこちに触れられても、現実の彼女が口から溢す自分の名前が、何よりも欲しかった。
だから、これは悪夢だ。

「監督」
「なぁに」

首をこてんと傾けた彼女の丸い肩から、パーカが滑り落ちる。頼りなさげなキャミソールに包まれた胸と日に焼けていない二の腕が露わになった。寝ていた体を起こすとショートパンツを履いた太ももまで視界に入った。監督は見られてることに気づいているくせに、緩く開いた脚を閉じることもしない。

「俺は監督が好き。今は振り向いてくれなくても、結婚するならアンタしかいないと思ってるし、アンタにも俺しかいないって思ってもらいたい。ていうか思わせる。いつか、必ず。今はこんな夢の中でしか愛し合えなくても近いうちに現実になるから。…それまであと少し待ってて。本当は両想いになる前にこんなことしたくないけどこうやって夢に出てきたんだから、いいでしょ。俺のしたいこと、させて」

目が覚めたときの不快感を思って、頭痛がした。

「どうせ、夢だし」

パーカの肩を後ろに押すと彼女はいとも簡単にベッドの上に倒れてくれた。ぐ、と顔を近づけると甘い匂いまで香ってくるようだ。いやにリアルだった。

「そうだよ」

確かにそう言った。

「これは夢だよ」

監督は笑っていた。

「私は真澄くんの夢だから、好きなようにしていいんだよ」

部屋の扉が音を立てた。朝食を食べ終えた綴が鞄を取りに戻ってきたのだった。

「なんだ真澄起きてたのか。早く支度しろよ。咲也待ってたぞ」

俺はたしかに四つん這いで、監督を押し倒した格好のまま振り向いた。
開いた扉から監督の作ったカレーの匂いが部屋に流れ込んできた。腕の中にいた監督は居なくなっていた。



180323
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