うちに来てから氷室はずっと苛立っていた。こちらの予定も聞かず押し掛けておいて全く勝手なものである。核心に触れた話はしないものの、どうやら今行われている生徒会長選挙の雲行きがよろしくないようだ。部屋に来るなりベッドに寝そべったままかれこれ数十分動かない。できるならせめて学ランの上着だけでも脱いで欲しかったけれど、何となく声を掛けるのも躊躇われた。
雑誌を読んだりしてみたが手持ち無沙汰だ。大きな動物のような黒い塊は、息をしてるのか分からないほどぴくりとも動かない。試しに「紅茶飲む?」と尋ねてみる。沈黙ののち金色の頭が僅かに動いた。「飲む」という低い声が枕に吸い込まれていく。本当に動物みたいだ。

貰い物の少しお高い茶葉で紅茶を入れて、彼用のティーカップに注いだ。枕元に近づくと先ほどと少し体勢が変わっていた。しかし依然としてうつ伏せのままである。

「飲まないの?冷めちゃうよ」
「のむ」
「うん」
「……僕は正しいよな」

脈絡のなさに面食らった。あとに続く言葉を待ってみても、一向に喋り始める様子はない。
恐らく、いや確実に、会長選挙に関わることだろう。
彼はよく学校の話を私にしてくれた。しかし選挙のことは詳しく話してくれなかった。女は政治に関係ないという考えなのか、私が興味を持たなかったからかは知らないが。まあ氷室は私がどう思おうが、自分の話したいことを話して、自分がやりたいようにやる、そういう男だ。喧嘩っ早くてずる賢くてどうしようもないけど、私は氷室を信頼していた。もしも間違った道に行ったとしてもとことん彼に着いて行ってやろうと思っていた。

「いいんじゃない。やりたいようにやって」

手の中で冷めていくティーカップをベッドサイドに置いた。シーツに散らばる金髪は透き通って綺麗だった。

「氷室が正しいと思うことをやったらいいよ」

それがどんなにあくどいことでも、氷室が後悔するほうが私にとっては嫌だ。まあるい頭に沿うように手を滑らせる。硬めの髪の毛は私の手に従ってさらさらと流れた。しかしすぐに伸びて来た手が私の腕を掴む。

「わ」

バランスを崩して、仰向けになった氷室の上に覆い被さる形になる。
さっきまで弱音のような物を吐いてたのが嘘のよう。氷室はいつものように小生意気な顔で笑っていた。無遠慮に引き寄せられて、そのまま唇同士が重なる。ぺた、と合わさるだけの子供のようなキス。

「ナマエに言われなくても、やりたいようにやるよ」
「聞いたから答えたのに」

重そうな体がベッドから離れる。彼が立ち上がると狭いワンルームは余計に狭苦しく感じる。
彼のなかでどんな心境の変化があったのか知らないが、すっかり回復したらしい。元気を取り戻した氷室はきらきら眩しくて、所帯染みた狭い部屋にはやっぱり似つかわしくなかった。床に落ちた制帽と鞄を拾い上げて、その顔はどこか満足そうだった。

「また来る」
「もう帰るの?」
「次期生徒会長にはやることが山程あるからな」
「そうなんだ」

元気になったのなら些細なことはどうでもいい。話したくなったときに話してくれたらいいし、話したくないならずっと彼の中に仕舞ってくれたらいいのだ。私は好きなことをしてるときの氷室が一番好きなんだ。


20170524
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テーマ「人外ファンタジー」
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