安っぽいアルコールと灰の臭いが染み込んだ空気が疲れた体に重くのしかかってくる。たいして酔ってないくせにしなだれかかってくる男が鬱陶しい。やんわり拒否して、ちょっとトイレ、と席を立った。
先輩の付き合いで着いてきた飲み会だったけど、やっぱり来るんじゃなかった。あの空気に何時間もいるなんて私には無理だ。小さめのハンドバッグを小脇に抱え、トイレとは逆にあるレジの前を通り過ぎた。



半地下の店を出ると、来るときは薄暗かった空もすっかり夜になっていて、冷えた空気が火照った体に心地良い。この時間なら終電を気にする必要はないし、酔いを醒ましがてらひと駅くらい歩こうか。

「あれ。帰るんすか」

私に続いて店から出てきたのは猫背気味のお兄さんだった。

「あー………」

普通に話しかけられたけど…えーと。誰だっけ。
ナンパではなさそうなので、頭の中を記憶を掘り起こして目の前の顔と照合する。うーん。見たことあるようなないような。私のこの反応に、お兄さんは声をかけたことを心底後悔してるようだった。

「やっぱナンデモナイデス忘れてクダサイ」

柄の悪い第一印象とは裏腹になかなかナイーブな性格らしい。そういえば、この人さっきの席にいたような気がする。遠くに座ってたからすぐ思い出せなかったけど。

「待って待って!えっと、さっきの…だよね」

なかば当てずっぽうで賭けに出てみる。

「…そうですけど」

ビンゴだ。今更ながら、参加者を全員把握できないような飲み会によく行ったなと思う。

「あなたも抜けてきたの?」
「まぁ、はい」
「一緒一緒。私も」
「……いちまつ」
「いち…?」
「名前」
「あぁ! いちまつくん」
「うん。…僕ああいうのニガテだし。飲み放題元とったらもういる意味ねぇと思って」

皆がいい感じに酔っ払ってきて、今ならバレないだろうと抜け出したところ、さっき見た顔がいて声を掛けたというわけだ。
それにしても同じことを考える人がいて驚いた。まぁこんな非常識な人間が何人もいたら困るんだけど。後で先輩にお代を渡さなければ。

どうせ駅まで一緒だということで、結局彼、一松くんと二人で帰ることになった。
歩く間、二人してずっと取り留めもない話をしていた。近所に新しくできたお店が不味いだとか、そういう下らないこと。
一松くんの落ち着いた声は、酔いが醒めてきた頭の隙間にすんなりと溶け込んできて、ずっと聞いていたくなる心地良さがあった。速すぎず、かといって退屈なわけではない会話のテンポも、さっきまで初対面だったとは思えないくらいに私に馴染んだ。
改札の前まで来たところで、少し名残惜しいような気がして一松くんを見たら、それが伝わったのか彼は遠慮がちに口を開いた。「ちょっと付き合ってくんない」と。









「ほんとに大丈夫なの。勝手に入って」
「へーきへーき」

小慣れた様子で登って行くのは、雑居ビルの非常階段。そこそこ古い建物で管理が行き届いてないのがわかるが、一応テナントは入っているらしい。各フロアの廊下に続く扉は深夜のため施錠されていて、階段を一番上まで登ると非常口と書かれた錆びだらけの扉が現れた。しばらくノブをガチャガチャいわせると、重厚な見た目とは違い軽い音を立てて扉が開く。

「うわ…すごい」

目の前に飛び込んできた景色に息を飲んだ。

ひらけた空に満天の星空が広がっている。周りに高い建物がなく、無駄な照明もないから空がまるでプラネタリウムのようだ。眼下の車のランプや店の明かりまでもこの景色を彩るイルミネーションに見えてくる。
都会の雑踏から切り離されたここは、私たち二人だけの世界に思えた。

「なかなかいいでしょ」

一松くんはさっそくコンビニで買った缶ビールやつまみを取り出している。

「去年の夏に花火見える場所探してたらここ見つけて。そっからたまーに二次会の会場にしてる」
「へぇー。素敵な場所だね」
「きったない所だけどね」

そう言う彼はどこか嬉しそうだった。

「でも意外だな。一松くんロマンチックなとこあるんだね」
「は?」
「だって花火とか、月見酒とか。全然似合わない…」
「うっさい」

少し恥ずかしそうにぐい、と残りのアルコールを流し込む横顔は、耳まで赤くなっていた。立て続けに飲んだせいで首までほんのり赤くほてって、目も潤んでいる。あまりお酒は強くないのかもしれない。
対してまだほろ酔いの私は、甘いお酒が飲みたくなって一松くんが飲みかけの酎ハイに手を伸ばす。期間限定の桜味の可愛いパッケージは一松くんが選んだものだ。本当に、第一印象をことごとく裏切ってくる人だ。
そんな可愛い酎ハイをひとくち飲んだところで、ふと視線に気がつく。視線は缶に注がれて唇に移動し、そして止まった。

「間接ちゅー嫌だった?」
「……別に」

顔を上げるとすぐ目の前にある薄い唇に、吸い寄せられるように私は目を閉じた。


どちらともなく重なった唇は熱くて、頭がくらくらする。遠慮がちに添えられた手をやわく握ると骨張った指が絡んでくる。酸素が足りなくて、でももっと一松くんが欲しくて、息を吸うのすら惜しいほどだ。

「どうする?」

唇に一松くんの息がかかる。

「終電なくなっちゃったけど」

じっとりと濡れた瞳から目が離せない。




160315
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