夏が終わる。氷を入れた麦茶を全て飲み干す頃には、体はすっかり冷えていた。遠くからコオロギの鳴き声が聞こえる。

「また書類溜め込んでるのか」
「失礼な。これは来週締め切りの報告書ですー」
「なんだ、手伝ってやろうと思ったのに。その必要はなさそうだな。いや残念残念」
「そんな気無い癖に」
「バレたか」

障子を全開にする代わりに簾をかけた審神者の私室は、ちょうど庭を見渡せる位置にある。普段なら池の鯉に餌付けする歌仙兼定や追いかけっこに興じる短刀たちを眺めることができるのだが、なにせこの暑さだ。日当たりの良い東向きの庭に出てこようとする変わり者はいない。ごく一人を除いては。

「暑くないの?鶴丸」
「暑いぞ。だからこうして涼みに来たんじゃないか」

よいしょ、という掛け声と共に真っ白な背中が縁側に腰掛けた。縁側はぎりぎり影になっている。涼しいかと言われれば否だが、今まで池の横で落とし穴を掘っていた彼にすれば大分心地いいはずだ。

「あんまり暑そうに見えないよね。汗かかないからかな」
「そうか?これでも見えない所は汗びっしょりなんだがな」

そう言うと、ばさばさと長い前髪を掻きあげて私のほうに見せた。いつの間にか簾をくぐって部屋に入ってきてる。やはり縁側も暑かったのかもしれない。
手元にあった手拭いを手渡すと、それは受け取らず、黙って顔を近づけてきた。私が拭けということだろうか。書類の提出が切羽詰まってないこと、言うんじゃなかった。わざとらしく面倒そうな顔をしてみたけど、鶴丸は気にするような男ではない。
顔のまわりをそっとぬぐってやる。玉になった汗が手拭いに染み込んでいく。

「いやぁすっきりした。このまま全身頼みたいくらいだ」
「やだよ。それならお風呂入ってくればいいじゃない」
「はは、冗談だ。主は俺に甘いからな、我が儘を言いたくなる」
「なにそれ…別に甘くないよ」

再び筆を取ろうとした右手に、手袋をはめた左手が重なった。
確かに、私は他人を叱ったり諭したりすることが苦手だ。鶴丸が天井に穴を開けたときだって、一週間厠掃除を言い渡したくらいで、怒鳴ったり、まして手をあげるなんてことはしなかった。でもそれは他の刀剣に対しても同様で、特別鶴丸にだけ甘いわけではない。……はずだ。

反論しようと開きかけた口は、突然近づいた薄い唇によって塞がれてしまった。二度、三度と瞬きをすると、透けるような綺麗なまつ毛に縁取られた目が、三日月型に歪んだ。恥ずかしくなって咄嗟に目を閉じる。
それを同意と捉えたのか、震える下唇を啄ばむように何度か吸われ、固く結んだ唇の合わせ目を舌がなぞって、私が耐えられなくなり鼻から抜けるような泣き声をあげたところでやっと解放してもらった。

「…暑そうだな」
「……誰のせいよ」

にまにまと締まりのない顔で見下ろされると、どうにも悔しい気持ちだ。また厠掃除かな…と思ったところで、急に廊下が騒がしくなった。短刀たちの私を呼ぶ声も聞こえてくる。遠征部隊が帰って来たようだ。
出迎えに行かなくては。

「待て主」

立ち上がりかけたところで鶴丸が私の腕を取った。

「なによ。早く行ってあげなきゃ…え、ちょっと!」

そのままぐいぐいと引っ張られて、押し入れの中に押し込まれてしまった。尻もちをついた形で転がった私に続いて鶴丸も入ってくる。敷き布団と鶴丸に挟まれて非常に窮屈なうえに、ふすまも閉じられて視界は真っ暗である。それとほぼ同時、廊下をばたばたと鳴らして誰かが審神者の部屋の前に来た。

「主〜遠征の奴ら帰って来たよ」
「あれ?いないじゃん」

声からして加州と大和守が私を呼びに来たらしい。

「おっかしーな。さっき通ったとき仕事してたのに」
「湯殿でも行ってるんじゃないの。今日あっついし」
「そうかもな」

ぱた、ぱたと足音が遠ざかる。密室の暑さのせいか、汗が一筋こめかみを伝った。

「…驚いた。君のことだから飛び出して行くと思ったんだが」
「そうしてほしかった?」
「いいや」

掴んでいた手首から二の腕、肩、首筋、と伝って、ひんやりした手が私のうなじに張り付いた後れ毛を撫でた。暗くて見えないのに、空気で目の前の男がにやついているのがわかってしまう。

「君は感情を表に出さないようで、存外わかりやすいよなぁ」

押し入れに入ってから、無意識に鶴丸の着物の袖を掴んでいたことに気がついた。こういうところが彼が甘やかされていると感じる所以なのかもしれない。

「さっきは良いところで邪魔が入ってしまったからな」
「……」
「続きをしてもいいかな?」

こんなに暑い日に、こんな密室で、みんなに隠れて、なんて、頭がおかしいとしか思えない。

「主君の許しがないと臣下は動けないぞ。なぁ、あるじさま」

しゅるりと帯が解ける音がして、胸元の汗が外気に触れてひんやりとした。

「…あとで、厠掃除ね」
「謹んで受けよう」



150919
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