※ナマエ=鬼灯の部下
今年もこの日がやってきた。種々交々の薬草の香りに混ざって、鼻腔をくすぐる甘い匂い。小さな食卓に溢れんばかりに乗っかるカラフルなラッピングを見て、私はまたか、と溜め息をこぼした。
「楽しそうですね、白澤さま」
鼻歌交じりで薬膳を調合する男を振り返る。普段に輪をかけて顔が緩んでいる。
「そりゃあね〜。女の子から貰えるものはなんでも嬉しいよ」
「浮かれるのは結構ですけど、頼んでた薬早くしてください。私も暇じゃないんです」
「なんだよつれないな〜」
「仕事ですから」
お気楽な極楽の神様と違って、私には仕事が山積みなのだ。何よりこんな甘ったるい匂いの中にいつまでもいたくない。
「ナマエちゃんさ」
「なんですか」
「何か忘れてない?」
手を動かしまま、白澤さまが私を見た。相変わらず緩んだ顔をしている。
「...そんなに貰ってまだ強請るつもりですか」
「なに言ってるの。何百人からチョコを貰おうと、君からの一個がなくちゃ意味ないよ」
「その台詞、一体何人の子に言ったんです」
だからこの日は嫌なんだ。節操のないお気楽神様を一瞥して、私は後ろ手に隠した小さな包みを握りしめた。ほんとに、人の気も知らないで。
「...まぁ、だいたい予想はしてたので、準備はしました」
「え?」
「社会人の礼儀というか、一応こんなんでも世話になってますからね」
ずい、と何の情緒もなく隠してた包みを差し出せば、白澤さまは目をぱちくりさせた。
「.....」
「もちろん市販です。メッセージカードなどはありません」
「.....」
「黙るのやめてください」
「いや.....驚いてた」
白澤さまは完全に手を止めて、惚けた顔をしている。自分で言ったくせに。
「まさかくれるとは思ってなかったから」
「悪かったですね」
まじまじと視線を感じて、なんとなく居心地が悪くてそっぽを向いた。嫌だな、余計なことするんじゃなかった、そう思っていると、急に視界が暗くなる。
「....なんですか、急に」
「素直になったナマエちゃんにご褒美あげようと思って」
後ろから伸びてきた白衣の腕が肩を抱く。背中を覆う温もりに、抱きしめられたのだと遅れて理解した。
「この後に及んでなんで罰ゲーム受けなきゃならないんですか」
「ふふ、そんなとこも大好き」
「そのポジティブぶりがたまに羨ましいです」
私を自分のほうに向かせて、白澤さまはもう一度ぎゅ、と抱きしめた。顔を埋めた白衣からは、珍しく薬の匂いしかしない。むせ返るようなきつい香水の香りやお化粧の匂いは、今日はしない。
「....くすりは」
「んー?」
「薬はいつになったらできるんですか」
「あーあれねぇ」
私はそのためにここに来たっていうのに。熱心に私の頭に唇を寄せるこの人は、聞いてるのかいないのか。
「明日の朝くらいにはできるんじゃないかなぁ」
「明日ですか」
「そうそう。だからさ君、今日は泊まって....」
だいたい話が見えたのと、背中を抱いてた手がお尻を撫で始めたので、私は目の前にあったみぞおちに拳を落とした。
「っ!.....げほ、」
皺になった衣服を整え、乱れた髪に手櫛を通す。足元でうずくまる獣からはうめき声が聞こえた。
「君、上司に似てきたよね....」
「あんな鬼畜と一緒にしないでください。私は優しいです」
ここの部下が帰ってくる前に早くおいとましないと。戸に手をかけたところで、少し思い直す。
「ナマエちゃ...?」
間抜けな顔の前にしゃがんで、だらしなく開いた唇の横に、キスをした。
切れ長の目が大きく開かれて、あぁ、すごく驚いてる、とおかしく思った。こんなの慣れてるはずなのに。
「あ、え、今....」
「では明日の朝、また伺います」
「ナマエちゃんっ!」
飛びかかる勢いで両手を広げてきた白澤さまを素早くかわして、立ち上がる。頭の中はもう次の仕事に切り替えた。
後ろから何か聞こえたけど、私は聞こえないふりをして帰路を急いだ。これで良い。
140214