「大佐、頼まれていた書類お持ちしました」

ドアベルを鳴らして開いた重い扉には、凝った装飾が施されている。中には立派なデスクに腰掛けるマスタング大佐の姿。
見慣れた光景だが、ただひとついつもと違うことがある。それは彼が書類の束と睨めっこするでも、軍の回線で女の子に電話するでもなく、居眠りをしていたことだった。

「失礼します」
「…っ、ぅ…」

デスクに書類だけ置いて出ようと近づくと、大佐は呼吸を乱して苦しそうに肩を上下させていた。普段考え事をしてるときにでも見せないような眉間の皺に、すぐにただ事ではないとわかる。

「大佐!」

声を掛けただけでは起きる気配がなかった。少し躊躇われたけど、肩を掴んで揺り起こすとやっと目を開いてくれた。

「っ!…は、ぁ」
「大佐!大丈夫ですか」
「君か…」
「すみません。うなされていたようだったので」

肩に触れた手がなんとなく居心地が悪くなって、慌てて引っ込めた。やっぱり勝手に入ったのはまずかっただろうか。なにか言い訳が必要な気がして、持っていた書類をわざとらしくデスクに並べた。

「平気ですか」
「あぁ、問題ない。すまなかったね」
「最近徹夜が続いて疲れてるんですよ」
「……それもある、が」

一度言葉を切ると、汗の滲んだ左手に視線を落とした。その横顔は、何か昔を思い出すような、そんな表情だった。
戦いのときに嵌める手袋は、今はない。

「…昔の夢を見ていたんだ」
「……」



――昔、といって思い出されるのは、あの戦い。
彼はその昔、イシュヴァールの内乱に出ていたと聞いている。その活躍は当然、当時士官学校にいた私の耳にも入ってきた。

日に日に増えていく犠牲者の数に比例して、彼の名声は確かなものになっていった。戦地の現状を知らないような者でさえ、日ごとに伝えられるニュースに熱狂した。誰もが自分たちの勝利を確信し、正義に酔いしれ、そして彼を神格化した。私もそんな「民間人」の一人だったのだ。

「格好悪いところを見せてしまったな」
「いえ…」

彼のこんな姿を見たのは初めてだったから、正直私も動揺していた。過去の栄光の裏にある、残忍で、苛酷で、呑気に生きてきた私には想像もできないような影の部分を、垣間見てしまったような気がしたから。

「…大佐」
「どうした?」
「私などが言える立場ではないですが、あの、あまり、無理しないでください」

ずっと頭の中を巡っていた台詞が、やっと解放された、という感じだった。あなたのことが心配で、なんて言えないけど、ここ最近の大佐の働きぶりは目に余るものがある。いくら大佐でも、このままでは身体を壊してしまうだろう。

「少しは休息も必要です」
「……」
「たまには私たちに仕事を任せて、お休みになってください」
「…そこまで言われてはな。ではお言葉に甘えるとするか」

そう言うと大佐は「おいで」と私を手招きした。言われるまま歩み寄ると、隣まで来た私に大佐は手を差し出した。何のことかと聞いても、手をひらひらさせるだけで説明してくれる気はないらしい。
仕方なく、握手するように右手を差し出してみる。

「あ、あの…?」
「しばらくこうしていてくれないか」
「え、」

私の掌を握って、大佐は言った。

「君の手は安心する」

少しの温もりも惜しいというように、私の掌は大きな手によって包み込まれた。

「…何を考えてらっしゃるんですか」
「何って、君のことだよ」

恥ずかし気もなくそんなことを言う彼は、いたって真面目な顔だ。言い慣れてるのだろうけど、免疫のない私のことも少しは考えてほしい。

「…そういう台詞は、酒場の女の子たちにでも言ったほうが喜ばれますよ」
「はは、相変わらずつれないな」
「か、からかうからです」
「本気なんだがなぁ」

困ったように笑って、大佐は、私が初めて見る表情をした。

「今だって、どうすれば君を口説き落とせるかとそればかり考えている」

伝わってきた熱なのか、自分の熱なのかわからなくなるくらい、指先も頭も、どんどんほてっていく。ここは上司の仕事部屋で、私は手を握られていて…く、口説かれていて。
申し訳程度に残されていた思考能力も徐々に悲鳴をあげ始めた。もう私、だめ、かもしれない。

「…仕事中、ですよ」
「そうだな」
「また中尉に怒られます」
「それは困った」
「だから手、離…」

引っ込めようとした手を、大佐は逃がしてはくれなかった。それどころか掬い取った私の手を口元まで持ってきて、そこにキスをした。

「一緒に怒られてよ、ナマエ少尉」

ほら、そうやって悪戯っぽく笑うから、また私はほだされてしまう。

残念なことに、この手を振りほどくだけの理性は今の私に残されてはいなかった。大佐と一緒なら怒られてもいいかも、なんて。軍人どころか社会人の風上にも置けない。
返事をする代わりに絡まった指をそっと握り返すと、マスタング大佐はそれはそれは満足げに微笑んだ。この人には、一生敵わない。




131019
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -