彼女はときどきひどく暗く沈むことがある。
その様は、触れれば壊れそうと言うより、崩れそうと言う方が正しい。
何かのきっかけで一度落ち込むと、そのまま連鎖的に鬱な気分が加速してしまうそうだ。底無しに。
それでも、まあ、それは一時的なもので、一、二週間経てば、元の明るく優しい彼女に戻る。
だから、今回もきっとそうだろうと楽観し、俺や桃華や事務所の連中は、彼女に触れずにおいた。
しかし、である。

「ヒメちゃんっ!」

もうすぐ巡回の時間だからと、事務所でのんびりしていた町長を迎えに来ていたところだった。
困ったような顔をして、桃華が慌ただしく飛び込んで来た。

「桃華じゃないの。どうかしたの?」
「ことはちゃん、居る?来てる?」
「ことは?」

きょろきょろと室内を見回し、首を傾げる。それを見た秋名が、何やら紙をばさばさやりながら言った。

「今日はまだ来てないぞ。テスト期間とかじゃ無いのか?」
「テストは先週終わってたじゃない。りらさんに本借りに行くんだー、って言ってたでしょ」
「そうだっけか」

案外と適当な秋名の返答にヒメは頬を膨らませ、桃華は眉を下げる。

「えー、どうしよう」
「どうした、桃華」

尋ねると、手に持っていた赤いタータンチェックの布バッグを胸の前に持ち上げて、答える。

「今日、漫画貸すって約束してたの。それで、これから事務所に行くねって、電話したんだけど、出なくて……」

桃華は心配そうな顔で、手元に視線を落とした。
この事務所で、最もことはと仲が良いと思われる人物――正しくは妖怪だが――を、全員が一斉に向く。
姿を消した旧友と同じ耳をぺたりと寝かし、アオは悲しげに頭と携帯電話を振った。

「私も、今電話してみたんですけど……出ません」

どうやらいつもの鬱状態とは違うらしい。
室内の空気が、一気に重く暗くなった。
桃華が今にも泣き出しそうな表情で、助けを請うように俺を見上げた。
こうなると無視するわけにもいかない。まあ、俺自身ことはが心配だ。
自分の携帯電話を取り出しことはの番号に掛ける。
期待はしていなかったが、驚いたことに、三コール程で、通じた。

「……ことは?」
『恭、助……』

消え入りそうな程に重く沈んだ声が俺の名を呼ぶ。ひとまず、無事であったことに胸を撫で下ろした。

「どうした?今、何処に居るんだ?」
『………………』

無言。俺はただ、向こうの言葉を待った。
桃華やアオが、こちらを見つめているのが分かる。
は、と向こう側で、小さく息が吐かれた。

『……あたし、もう、駄目かも……』
「……ことは?」

ぷつん。会話は突然、切られてしまった。ことはが通話を切ったのだ。
しかし、電話が切れる前。気のせいかと思う程の、小さな声が、俺の耳に残っていた。
たすけて、と。

「すみません、お嬢様。急用が出来ました」
「分かったわ。巡回には独りで行くから、心配しなくて大丈夫よ」
「ありがとうございます」

軽く会釈をし、外へ続く戸に手を掛ける。

「恭助」
「はい」

ヒメの瞳が、真っ直ぐ俺を捉えた。

「頼んだわよ」
「……はい」

はっきりと返事を返し、外へ踏み出す。
瞬間、走りだした。彼女の居場所は、なんとなく見当がついている。
こんなになるまで気づけなかった自分に、打ち明けてもらえなかった自分に、腹が立つ。
先程のことはの声が、心の深いところに落ちたようにいつまでも耳の奥で揺れていて、少しだけ憂鬱が感染ったような気がした。

メランコリーボーイ

(ハロー、ハロー)
(きみはどこ?)


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