「雅子さん」

ぴたりと動きが止まるが、名残に艶やかな黒髪が揺れている。
ゆっくりとこちらを向くその眼は、鋭い。

「……なんだそれは。紫原の真似事か?」

何も言わず微笑む俺に、監督は溜め息を吐いた。

「馬鹿なことをするな」
「殴らないんですか?」
「……日頃の行いが良いからな。お前は」
「そう思っていただけて、嬉しいです」

俺も監督もあまり口数は多くないので、会話は長くは続かない。
監督を見つめるものの、見向きもしない。今度は俺が溜め息を吐いた。

「距離が縮まると思ったんです」

言ってはみたが、思った通り、監督は何の反応も示さなかった。
しかし、この程度で諦める俺では無い。そうでなければ、ここまでバスケを続けて来られなかった。

「雅子さん」

今度は動きも止まらない。完全無視だ。
俺は静かに椅子から立ち上がり、メニュー表を壁に貼る監督の後ろに回った。
監督が俺に気づいて振り向いた瞬間、その細い肩を壁に押しつける。
ほんの少し眼を見開いたかと思えば、うんざりだとでも言いたげな表情。

「……いい加減にしろ、氷室。遊んでいる暇は無い」
「俺は本気です、監督」

冷たく光る黒い瞳を真っ直ぐ見つめる。
一呼吸置いて、言った。

「俺は、あなたが――」

と、腹に一撃。
俺は低く呻き声をあげ、うずくまった。

「そこまでだな」

ふん、と腕組みをして、俺を見下ろす監督。
これが単に照れ隠しであれば、どんなに良かったか。

「もう少し大人になれ、氷室」

得意気に微笑み、監督は颯爽と部室を去って行った。
あとには、腹をさする独りの男と、冷えた空気だけが残っていた。

身を切るような

(冷たさを持ったひと)


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