「……はっ」
失笑を漏らした。ああ、笑える、笑える。
響くサイレン、足音、声。全てが俺に向かってくる。
手や顔についた血も裂いた肉の感触も上から降って来る水で段々と薄れていく。
終わりか。
ぽつりとそう感じた。もうあの暖かさも高揚感も感じる事はない。それを考えれば少し侘びしいが仕方がないだろう。そこら辺のガキみたいにカッとなってやったとかつまらなかったとか、阿呆な言い訳はしない。覚悟ぐらいはしてたさ、俺だって。しかし数が数だ、多分死ぬ事になるんだろうな。
さて、暇だし走馬灯も流れないので勝手に人生を振り返るとしよう。そう思って考えて一秒でやめた。振り返る程俺の人生には思い出がない。あーなんてくだらない人生だ。
やることもなくなって冷たいコンクリートに背を預けて空を見上げた。水滴が目を攻撃するがそれは構わない。
纏わり貼りつく服がうざったい。――早く来てくんねーかなポリさん。
かつん、と音がした。
やっと来たか。遅い。
そう文句を言うべく顔を上げたら見えたのは怯えた警官でも睨みを効かす刑事でもなく、ただの女だった。
女は驚愕した表情で俺を見た。俺は眉を顰める。婦警かとも思ったが多分違うなとすぐに打ち消した。婦警ならハイヒールなんて履かないだろう。
特に美人でも不細工でもない普通の女。…一般人か。
思いついた途端ふっと笑みが浮かんだ。なんてこった、こんな所であえるなんて。まるで神様のプレゼントだ、信じちゃいないが。
立ち上がった。逃げもせず相変わらず立ちすくむ女。相手が戸惑い気味にようやく口を開いた。
「……あ、あの」
「………」
ずくん、と足の傷が痛んだ。まぁ、相手は女だ。得物が無くても容易い。じり、と一歩近づく。どうしてくれようか。絞めるか折るか刺すか。いやせっかくだし素手にしよう。
また一歩近づいた。女は何故か動かない。恐怖に凍りついてるのかもしれない。
ならゆっくり楽しませてもらうまで。首に手を伸ばして、そこで初めて女の目を見た。俺の手が止まった。
女は怯えていなかった。ただ真摯な瞳でじっとこちらを見ていた。
びくりと心臓が跳ねる。
手が、動かない。瞳に捕らえられたまま動けない。殺すにも払いのけようにも力が抜ける。
――払いのける?
なにを考えてるんだ、俺は。
そう心中で笑い飛ばそうとしても、目の前の澄んだ丸い瞳が動揺する俺を映し出していた。
胸が圧迫され苦しい様な感覚に陥る。呼吸が上手くできない。
視界の端で、女の唇がかすかに動いた。
「けが」
「……え」
一気に周りの音が戻ってきた。サイレン、車、足音。吹き付ける雨と風。それに気を捕らわれて最初はなにを言われているか理解出来なかった。
「死にたくなきゃ、ついて来て」
腕を捕まれた。
また俺はびくりとする。なんだ、なにをこんなに――
「死にたくない訳じゃ、ない」
ようやく声を出せたがそれも掠れてしまっている。何で答えてるのかすら俺には分からなかった。
「問答無用」
四字熟語を淡々と呟いて女は俺を引きずっていく。
さっきまでの高揚感も引いている。
こんな感覚、未知のものだった。何なんだ、一体。
全くもって、笑えない。