祝ってくれるのは嬉しいが、もう少し静かに出来ないものか。
隣から盛大に吐かれた溜息でさえかき消されるどんちゃん騒ぎの中で、一番静かにしているのは事もあろうにこの宴会の主賓である筈の私だけであった。
「ったくしょうがねーなコイツらは」
私の隣で胡座をかいてそう言ったのは騒いでいる奴らを纏めている鬼の副長、土方だった。
「だったら早く止めたらどうですか。この調子だと明日みんな仲良く二日酔いですよ?」
「今更止める気なんて起きねーよ、たまにゃいいだろ」
そう吐き捨てると同時にほれ、と酒瓶を差し出して来る。
「おめーもこの際だ。昇進する前に強くなっとけ」
「いやですね土方さん。明日から本部で働く私にどんだけ飲ませる気ですか」
「ぶっ倒れるまでだ。限界知っとくのにこしたこたぁねーだろ、てめー今まで酒なんてほとんど飲まなかったじゃねーか」
…………その前に私はギリ未成年なのだが。
遠慮なくぐいぐいと酒を押しつけてくる土方さんに溜め息を吐いて、仕方なくお猪口を差し出すとバカ高い日本酒がなみなみと注がれた。
くいとそれを飲むと焼ける様な熱さと独特な苦みがのどを通り過ぎていく。
「しかしお前がまさかそこまで昇進するたァな」
「当然です、私は頭が良いんですよ。どうしたら上に気に入られるかも心得てます」
「俺には媚びねーのにか」
「貴方はそもそも女が苦手ですから。媚びるよりかは男らしい女か遠慮のない女でなきゃうまくいかないでしょ」
すると土方さんはむ、と唇を結び眉間に皺を寄せた。
予想通り図星を突けたのを見届けつつ私はまた酒を呷る。
いつも通りのことなのでそれについて特に思う事はない。鬼の副長は意外に単純なのだ。
まぁ、ここの男は皆そうだなと思いながらようやくお猪口から顔を上げると、山崎さんがこちらを見ているのが視界に入った。目が合ったのでにっこりと笑い返してみると、山崎さんはみるみる赤面しあわあわと手を右往左往させてからばっと顔を背けた。
へぇ、なかなか可愛いとこもあるんだ、と私は珍しい気持ちでそれを眺めると土方さんがまたため息をついた。
「あまり脱退前に隊士の心を乱すなよ。段取りに手間取る」
「まぁ、私の笑顔如きでそんな大げさな」
言うと土方さんは白々しさからか顔を歪めたが、私はそれより、と話題を切り替えた。
「みんな私を止めないんですね、今日が最後だと言うのに」
「………」
土方さんは意外そうな顔で私を見た。
首を傾げるとお前そんな事を気にする奴だったか?と思わずといった様子でつぶやく。
「どうした、昨日の稽古が身に堪えたか」
「堪えない訳ないでしょう。何時間も剣の全く出来ない私に稽古なんて、文字通りの鬼ですね副長は」
若干筋肉痛になった体をほぐしながら言った。事務や計算ならともかく、運動は私の趣味じゃないのだ。敵を斬って血を浴びるなどもってのほか、考えるだけで寒気がする。
私の父が無理矢理此処に入れる事さえしなければ真選組などとは永遠に縁などなかっただろう。
男が生まれなかったからと言ってその馬鹿な考えにはほとほと呆れるが、今は――――感謝してなくもない。
「お陰でちったぁまともになっただろうが」「二度とやりませんがね」
そんな会話を交わしつつまた酒を注ぐと土方さんが言う。
「止める訳ねぇだろ、口には出さねーだろうが……みんなめでたいと思ってんじゃねーか」
…………ああ、さっきの話か。
自分から話して置いてすっかり忘れていた。どうもかなり酔ってるらしい。
そういえば弱いはずのこの人はまだまともだなと横目で見たらお猪口から一向に酒は減っていなかった。相変わらず仕事人間な人だ。
「それでは貴方も?」
「……うるさいのが減って清々する」
素直じゃないなぁ、とそれに笑いながらくいと日本酒を飲み干す。……ああ、どうも私は酔うと思考が移ろいやすくなるらしい。
それを裏付ける様に浮かんだのは何故か――皆に愛されるお姫様の様な女(ひと)を亡くした、あの日のことだった。
そのせいか思わずこんな事を口走った。
「貴方を愛してると言ったら、止めてくれますか」
沈黙。顔は見ていないから分からないが驚いているのだろう。
ちらりと横目で見ると面食らった様な鬼の顔。
それを見ると思わず吹き出してくっくっと笑いがこみ上げた、
「冗談ですよ」
これくらいの仕返しはいいでしょう、と言うと土方さんはそのまま顔を歪めて「……そうとう酔ってるな」と溜息を吐いた。
「……そうですね、私とした事がすっかり忘れてました」
「は?」
「これ」
机の下においておいた書類をどさりと副長の前に置いた。鬼の目が見開かれる。
「幕吏十名殺害で指名手配されてた攘夷志士達の素性と、攘夷党天網戒のアジトです。本人達に吐かせた訳じゃないのでわかりませんが信憑性は高いですよ」
「……マジなのか」
仕事の顔になるもこれだけの量をこなしたというのが信じられないのか思わずといった様子で土方さんは私を見返した。
「最後の仕事に私が手を抜くと思いますか?」
臆面もなくそう言えば土方さんは黙ってそれを受け取る。
同時にポケットの中で携帯が震えた。
「――じゃ、お迎えが来たみたいなので私はこれで」
「おい」
立ち止まる。
振り返ると同時に土方さんが何か言ったが聞き取れなかった。
何ですか、と聞き返そうとするとぐらぁと視界が揺らぐ。
「あ、れ」
何でみんなゆがんでるんだ、と不思議に思った矢先、側で声が聞こえた。
「…………てめ、本気で倒れるまで飲む奴があるか」
鬼の顔が目の前にあった。
「………土方さんが言ったんでしょー」
「呂律回ってねーぞ。おら」
支えられながら何かを手渡され、確認もせずそれを受け取った。
「………あ」
木刀だった。どっかで見覚えのあるそれは軽いのにしっかりとした作りをしている。
「胸くそ悪ィがお前にはちょうどいいだろ、記念だ」
それはあの銀髪の侍を指しているのだろう。血が嫌いな私にはお誂え向きの刀。視界は相も変わらず揺らいでいたがぎゅっと握ると確かな感触がそこにはあった。
「………ふっ」
途端にあついものがボロボロと頬を伝う。
「っ?オイどうした、」
「あーいけねェな土方さん女の子をなかしちゃあ」
「トシ、なにやってるんだお前は」
「え?何?俺が悪いの?」
「……たくない」
「え?」
「行きたくない」
五臓六腑からわき上がるように言葉が漏れた。土方さんはびっくりしたように目を見開くとはぁ、と息を吐いてポンポンと頭を叩く。
「アホか。俺達の中からお前みたいな奴が出ただけでもいいことなんだ、んなこと言うんじゃねーよ」
「……っく」
「……だろ」
「……?」
見上げると土方さんはかあっと顔を赤くした。
「い、いつでもくればいいだろ!みんな、待ってる、んだしよ」
目をいっぱいに見開く。もう酔いは覚めたのか周りでニヤニヤする隊士たちが見えた。
「お前が向こうでヘマやらかしたんじゃ真選組の名折れだ。その度に鍛え直してやる、覚悟しとけ」
照れ隠しかこちらを睨む鬼の顔は全然恐くも何ともない。
「……とう」
「あ?」
「ここに来て、良かった」
初めてこんな風に笑った気がする。みんな一様に驚いて土方さんは急に俯いて吐き捨てるように呟いた。
「めんどくせェガキだ」
君の未来へ、心からの祝福を!
段取りに手間取るって言ったろうがよ、