じっとりと湿気が纏わりつく暑い夏の日だった。

本当なら早く家に入る所を神奈はじっと佇んで一カ所を見つめる。それがたちの悪い冗談ならいいと願いながら。

だけど事実は変わらない。

男がいた。

ぐったりとして地べたに座り込み背中を僅かにドアに預けている。何処かでぶつけたのか頭からは地が流れている。

持ち前のカンが伝える。この男には関わるべきではない。

じゃあ、どうすればいい。

男は、私の部屋のドアにもたれ掛かっている。じゃあ私の部屋は何処に帰れば良い?

問いかけようが頭の中の警鐘は鳴り止まない。早く、早く。ここから遠ざかれと。

あぁ、分かった分かった。

もとより、自分の勘に逆らう気など毛頭ない。ただ面倒だった、それだけ。だからすぐ様踵を返した。カラオケかホテルでもいい、何処かに泊まろう。


金属が擦れ合う音。

反射的に足を止める。


「動くな」

低い声。ぐっと首元が圧迫される。恐らくそれはナイフの刃で、後ろの人の右腕と一緒に私の首を拘束していた。

「ーーー」
「質問に答えてもらう」

ポタポタと雨音。真夜中。シチュエーションが見事に不審者を歓迎している事に気づき、あぁもっと気をつけるべきだったと心中で舌打ちする。

「あの男と知り合いか?」
「……知りません」

ぐったりしてドアを塞いでる男の事だろう。しかしこいつの全く気配に気づかなかった。ただのチンピラじゃなさそうだーーますますめんどくさい。じっと此方を伺う様な間があり、そしてぎゅっとまたナイフに力が込められる。


「もしかして……お前がーー」
「……は?」

聞こえなかった。聞き返そうにも出来なかった。男が急にうめいた次の瞬間ふ、と首の戒めが取れる。

警鐘が一際大きくなる。ぞわりと戦慄が走る。

後ろに、もうひとつの気配。

こんな事はーーなかった事だ。

ーーやばい。走らないと

逃げきれない。


今度こそ振り返らずにそのまま去ろうとしたら。

「……死にかけのとこ、助けてあげたのにそれはないんじゃない?」

ピタリと足を止めた。
振り返ると今度は私を捕まえていた奴がぐったりしてドアの前にいたはずの男に身を預けている。黒髪に秀麗な顔。それをにっと笑顔に変える。

警鐘は、鳴り止んでいた。初めての感覚に戸惑いを隠せない。そんな私をみて彼が首を傾げる。

「……おっと、もしや本当にパンピーだった?」

悪い悪い、と苦笑い。何が悪いのかは知らないが今の彼からは危険は感じない。でも、なるべく関わらない方が身のためなのは、分かる。

「そうだな、じゃあーー」

相手はポケットに右手を突っ込み一瞬視線を彷徨わせた。離れたいのになぜか私の足はその場に縫いつけられた様に動かなかった。

その鋭い目に射られたせいかもしれない。

ぴく、とその右腕が動く。反射的に体を竦ませると、その手をポケットから抜き彼はドアを指差した。

「……?」
「あんたの部屋だろ、入れてくんない?怪我の手当てしたいんだよね」

急な提案。此方が眉をひそめても動じず微笑みすら浮かべる。それに圧されてこくん、と首が縦に動いた。



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