「私ずっと死にたかった」
目の前の私が言う。
ふと、こちらを見つめて。
晴れやかな笑顔だった。私は、私がこんな風に笑うことが想像もつかない。
誰なんだろう。
本当に、この人は私なのか。
「これで、いいの」
そして、私は、足を宙へ投げ出し、
下へ
下へと。
**
目が覚めた。
「おはよ」
槇村がニヤリと笑いながら声をかけてきた。起きていの一番に見たのがそんな歪んだ笑顔だった事で、優れない気分が更に悪化した。そんな私を見て槇村はくっくっと笑う。
「どうした?寝ながらびくってなってたけど、悪い夢見てたの?」
「……あぁ、多分」
内容は覚えてないが酷い気分だから、きっと悪夢だったんだろう。ソファから起き上がって肩を回す。
「聞いたんだけど、自殺しかけたんだって?」
気軽な声から察するに冗談だ。やっぱり趣味が悪い。
「誤解だっつったでしょう」
答えてついでにため息を返した。多分咲生さんから聞いたんだろう。そりゃ、確かに無用心にあんな高所から身を乗り出した私も悪いだろうが、だからってなんで自殺と勘違いするのか。
咲生さん、それは肝が冷えただろうなぁ――なんて槇村が呟いたので、なんで、と突っ込む。
「なんでって、そりゃねぇ」
「いやだからなんで」
「教えない」
槇村がまぶたを人差し指で下げ、あっかんべーをする。大の男がそれをする絵はなかなかにシュールで、槇村ファンの女の子には是非見せてやりたいと思った。
「槇村ぁ、交代」
「はーい」
先輩の声が聞こえ、槇村は打って変わって素直に返事して出て行った。
寝起きのせいか頭がぼーっとしてる。
「あ、また被害者増えたんだって?」
「え?」
「ほら、殺人事件」
入れ替わりに来た先輩(実際は私より後輩だけど、年上だからこう呼んでる)はテレビを指さして言った。
気づかなかったけど私が起きてた時にはすでについていたらしい。
ここら辺の人がいつも利用する、商店街の外れのゴミ置き場から無残な死体が見つかった――と報道されていた。
「こわっ。ここ俺んちの近くなんだけど」
「そうですか」
「……怖くないの?」
肩透かしくらったみたいな顔をして先輩が聞いて来た。何故みんなそれを聞いてくるのか。面倒なので「現実味なくて」と言うとそうか、そうだよなぁと彼はうんうん頷いた。
「駅行くまでの道だから通らなきゃいけねんだよなぁ、嫌だなぁ」
そして僅かに身震いした。冗談じゃなくどうやら本気で怖がってるらしい。
じっとブラウン管を眺めていると、見知った町でも別の世界のように思えた。 血痕が残ってるゴミ捨て場は確かに気味悪さがあったけど、あくまでそれは他人事で、その程度の感情でしかない。
「あ、あのさ……」
「……はい?」
横目で見ると若干びくついた後、先輩は「お、俺ね」と慌てたように口を開いた。何故か、私と話す時大体の人は腫れ物に触るようだったから、その様子は気にならなかった。
「もうすぐバイトやめるんだ」
「……そうなんですか」
「就活やんなきゃいけなくなってさ」
「それは………お疲れ様でした」
なんと言うか悩んだあと、頭を下げた。妙な間が空いた後彼は掠れた声で笑った。
「うん、ありがとうな」
何か違和感を感じて苦笑した先輩を見つめ返した。人付き合いは、苦手だ。また言葉を間違えたかな――そう思った時だった。
「それでさ、良かったら帰り――」
ルルルルル。
電話が鳴る。目の前の机の上からだ。
「はい、カフェザイオンです」
『あ、神奈ね。私です。瑞葉』
「――ああ、お久しぶりです」
月に一度聞くその声は、やはり溌剌としていた。瑞葉(みずは)さんは嬉しそうにふふ、と笑った。
『うちの旦那は?そこにいない?』
「いませんけど……連絡つかないんですか」
十分あり得る。店長は忘れっぽいので、よく物を失くす。携帯もしかりで、今の携帯だって一体何回失くしたしれない。しかもそのたびにちゃんと戻って来てるのだからある意味奇跡だ。
『んーまぁ、そんな所ね。じゃあ神奈でいっか』
「……なんでしょう」
『例の子ね、うちで面倒見てるんだけど、そっちに遊びに行った時に携帯忘れちゃったんだって。届けてくれると嬉しいんだけど』
「携帯ですか」
うちの旦那といい勝負よ、と呆れた声。そんなに忘れっぽいのか、その人は。
「それで、どこに」
『駅前の交差点とこにカフェあるでしょ。あそこにいるから声かけてやって』
「……あの、特徴とかは」
『……あれ、あんたもう会ってたんじゃないの?』
「いや、知らないです。例の子とか言われても」
じゃあすぐ聞きなさいよ、と尖った声。すみません、ととりあえず謝る。さすがの私でもこの人には昔から頭が上がらない。
『旦那もまだ紹介してなかったのね。ほら、神奈と付き合うならあいつがいいって言ってたじゃない』
「……ああ、男の人ですね。店長が顔も身体もいいとか言ってましたよ」
『あらやだ。神奈ちゃんの口からそんな言葉が聞けるなんて』
「茶化さないでください」
『私は真面目よ。たまにはそーゆー色っぽい冗談も言った方が周りも嬉しいと思うけど』
「はぁ」
色っぽいというか、店長のは紛うことなき下ネタだと思う。答えに窮した私に、電話の向こうで肩をすくめる瑞葉さんが見えた気がした。
『まぁ、とにかく。忘れ物入れにないかみといて、あったらすぐ向かってくれない? 帰国したばかりだからないと困るらしいのよ』
私今外だしね、と瑞葉さん。
携帯とその人の特徴を聞き、了承して電話を切った。
「すみません、ちょっと急用ができたので出かけます」
「あ、ああ、そう」
「あぁ、そうだ。何か言いかけませんでした?」
「え、い、いや」
振り返ると彼はへらっと笑っていやなんでもない、気をつけてね――と手を振った。
少し引っかかりながらも休憩室から出る。
「あれ、どうしたの」
「出かけてくる」
「もうすぐ休憩終わるけど」
ホールにいた槇村に、説明しようか迷って面倒になったのと、先ほどの冗談うんぬんの会話のせいもあって、
「男と会ってくる」
と口にした。冗談のつもりだったのにこれでは単に説明省いただけの事実でしかも誤解を招くな――と言ったあとで思ったが、珍しく真顔で目を丸くした槇村を見て普段からの溜飲が下がったと同時に訂正の言葉も引っ込んだ。
「ちょ、待っ――うわっ」
がしゃん、と何か落ちた音がしたが振り向かずに外に出た。
駅までは十分程だ。左に曲がり歩く。隠れ家的な店なので周りに人気はなく、少し行けば閑静な住宅街という立地だ。
だから、すぐ目についた。最初は気にしなかったものの、すぐに気づいて歩みが止まった。
さらさらとした短髪、長身痩躯のシルエット。端正な顔立ち。
――あの夜の。
驚きの声が出そうになるのをぐっと抑えた。向こうは此方に気づいてないようだったから。
距離は100メーター程だろう。彼は塀に背を預け、顔を伏せ何やら物思いに耽っている様だった。この距離でよくぞ気づいたと自分を褒めたい。
とりあえず関わらない方がいい――今度は自分に素直になり踵を返した。
直後だった。
私の物ではないシルバーグレイの携帯が、けたたましく私の手の中で鳴り出した。声もでない程驚いた。
慌てて切る。
まずい、いくらなんでも――
ばっと振り向いた。
例の男は顔を上げその目を此方に向けた。