悲しいってなんですか?


 "苗字の軍が壊滅した"

 それを聞いた鶴姫は心の底からそれを受け入れるのを拒否した。味方の伝達を信じないわけではない。ただ、嫌だった。愛する人が自分より先に死ぬなど嘘だと思いたかった。
 何故なら、彼は約束してくれたからだ。自分は私より先に死にはしないと、約束してくれた。

「嘘です……」
「姫御前?」

 鶴姫は社から飛び出した。その後から慌てて家臣も追いかけるが、鶴姫に追い付くことが出来ない。

 名前の髪は少し赤みがかった黒髪で話すことはとても不器用な人だった。だが、いざというときは鶴姫を全力で守り抜く。そんな彼が好きだった鶴姫は常に名前の隣にいた。彼もまた一生懸命に自分の隣にいてくれる鶴姫のことがとても愛しく感じた。
 幸せな時間だったのに何故このようなことになったのだろうか。鶴姫には分からなかった。

「………っ」

 鶴姫はただ走って名前が行ったであろう戦場の方に走って走って走って……………とうとう海の近くにある崖っぷちまで行った。肩で息を吸うものの落ち着きはしなかった。手に持った弓をギュッと力強く握りしめるが何も変わらない。夕日の輝きが無性に嫌になる。
 家臣が漸く追い付いて鶴姫を捕まえるが、鶴姫の心はここにないような状態だった。

「姫御前……お気を確かに…!」
「………生きていますよね…?」
「………っ…!」
「だって、あの人は私より先に死にはしないと仰っていました。だから、壊滅なんてしていない──」
「姫御前!!」

 家臣は鶴姫の肩を握り揺らす。その時に気づく。彼女の身体が震えていることに。

「わたし………信じられ…ませ………」
「………姫御前、これを…」

 家臣が鶴姫の手のひらに置いたものは小さな鈴だった。それは鶴姫が名前に渡したお守り代わりの物だ。

「生き残った者が苗字様の元に駆け付けたとき、これを姫御前に渡すよう言われたそうです」
「…あっ……………あぁ………!」

 鶴姫はその場で立ち崩れ、弓を地面に落としてその鈴を両手で包み込み、泣き崩れた。
 自分は何も出来なかった。酷く悔しかった。
 もし先を見通せたらこんなことにはならなかったのだろうか?もし一歩先、千手先まで見通せたらこんな悲しい想いをしないで済んだのだろうか?

「名前さま………!!あぁあああ!!!」

 その日鶴姫は社に着いてからも酷く泣き続けた。食事も儘ならず、とても戦を出来る状態ではなかった。そんな鶴姫を見て家臣たちは暫くそっとしておくことにした。


 それから一週間が経ったある明朝の日。鶴姫は普段着ている着物を纏って海に出た。名前の鈴と自分の鈴も手の中に握りしめて持っていった。
 小舟を漕ぎ、周りが海だけのところまで行って止めた。そしてある句を読む。

「わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ」

 辞世の句だ。ここで死んでまたあの人の隣に行こう、そう考えて海に飛び込もうとしたそのときだった。

『ダメですよ、姫様』

 鶴姫はハッと目を開けて後ろを振り向いた。聞き覚えのある声だったが、何処にもその声の正体が見えなかった。すると、目の前がゆっくりと暗くなるのを感じた。目を瞑っている訳ではないのに何故?だがどこか安心する温もりが確かにあった。

『ここで死なれては社を守れなくなってしまいますぞ』
「……どこ…?何処にいるのですか?名前様でしょ?出てきてくださいよ……!!」
『………申し訳ございません。俺はもういないんです』

 自分の後ろから聞こえるその声に振り向こうにも振り向けなかった。顔を押さえられてるような、目を隠されてるような、そんな感覚があって振り向けなかった。

『あぁ、鈴はちゃんと届いたのですね………よかった…』
「私、名前様の率いる軍が壊滅したって聞いて……でもやっぱり──」
『姫様。聞いてください』
「………?なんですか?」

 すこし間をあけてから名前は言葉にする。

『俺は言葉にするのが苦手なので単刀直入に言ってしまいますが……俺は、苗字名前はあの戦で死にました』
「………」

 鶴姫は手に持っていた鈴を落としてしまった。落ちた鈴の音は酷く寂しいものだった。

『約束を守れなくて申し訳ないです。………ですが、あなたを守れて死ぬのは本望です。武士として誇りに思います。……敵将は討てなかったのでこれは負け戦ですけどね』
「名前…様………」

 苦笑する声が鶴姫の胸に響き渡り、身体が震えだした。聞きたくない、そう思って耳を塞ごうとしても腕が動かなかった。

『だから、俺の代わりに長く生きてください。これは俺の願いです』
「いや………いや……!」

 とうとう覆われている手から涙が零れ落ちた。泣かずにはいられなかった。彼の隣にいたい、だから戦ってきた鶴姫にとって酷な願いだった。死ぬときも一緒に逝きたい、これは鶴姫の願いだ。
 だが、その願いは聞き入れて貰えなかった。

『悲しいことは忘れてしまえばいいんですよ、姫様』
「わすれ……る…?」
『はい。忘れるんです』

 鶴姫の身体は徐々に低くなっていき、とうとう小舟に座ってしまった。

『姫様、姫様と過ごした時間はとてもとても楽しい時間でした。俺にその時間を分け与えてくれてありがとうございました』

『姫様はきっと周りを楽しませることが出来る特技を持ってらっしゃるんでしょうね。俺はその特技でどれだけ助けられたか………もう数えきれません』

『だから、最後まで楽しく生きてください。笑って生きてください』

 鶴姫の意識は徐々に遠くなっていく。嫌だ、離れたくない。だが
名前は最後にこの事を言う。

『俺のことを忘れて、楽しく生きてくださいね…』

 そして鶴姫は名前の腕の中で眠りについてしまった。名前はそれを確認したあと、目を覆わせていた手を退けてゆっくりと鶴姫の頭を下ろした。
 これでいいんだ、名前はそう言い聞かせて空に消えていったのだった。

「………良いのだな?後悔はないか?」
『はい。後はお願いします。海神様……』
「良いだろう。そなたの願い、確かに聞き入れた」
『ありがとう、ございます…』



 鶴姫様、お元気で───




 あれから一年。鶴姫、齢19歳。海神の巫女と呼ばれて色んな国から先見を見せることで信頼を得ていたのであった。
 そして、悲しみを知らずに生きているのであった……

end
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