四百年と一夜物語



 ━━━━鬼の子



 そう呼ばれてからもう何年経つのだろうか。

 何百年か前に、左目を隠す人がいたとか。そんなヤツは沢山いるだろうと思うが、俺の先祖に当たるヤツの左目は何ともなかったのに隠していたらしい。その理由が、今の俺の左目と同じ目を持っていたと言う。
 この左目のおかげで《家族》というのを知らない。物心着いた時には既にこの冷たい部屋に一人でいた。
 右目は青色、そして左目は紫色。紫の色をした目はあまりないらしいが、そんなこと知る由もない。知ろうとも思わない。俺は”日本人”らしいが、銀髪に右目の青色、そして左目の紫色、外人から生まれたのではないかとも言われたが、はっきり言って何のことか分からなかった。俺がどこで生まれ、誰の中から生まれたなど知らない。知らないのだ。


 この世には俺の知らないものが沢山ある。だが、知ろうとすると暴力というのに遭わされる。



「鬼の子は大人しくしておけ。おぞましい鬼め」



 そう言われて、蔑んだ目で俺を見るヤツら。だが、抗うことなど出来はしない。居場所はここしかないのだ。逃げ場所など、ないのだ。

 そんな日々を過ごす中で俺は不思議なことを経験した。
 冷たい部屋で寝ていたはずなのに、何故か俺は冷たい部屋から抜け出ていたのだ。 いつ、どうやって抜け出ていたのか検討がつかなかった。すると、誰かに肩を叩かれた感覚が走った。後ろを振り向くと女の人が俺の前で立っていた。彼女は微笑みながら手を伸ばし、俺の手を取ってこう言った。



「帰りましょ」




 彼女の手に引っ張られ、俺はふいに立ち上がり走り出した。


━━━━どこに帰るの?


 そう言おうと思ったが、喋れなかった。俺の舌は抜かれていたからだ。俺が鬼の子だからなのか、舌を抜かれたとしても数週間すれば生えてくる。俺はこれを普通だと思っていたが、普通の人間は舌を抜かれたらもう生えないらしい。それを知った俺は「あぁ、だから鬼の子なのか」と納得した。
 そんな俺をどこに連れて行こうと言うのだ。姿形は人間だが、この左目がその答え。彼女はこの目を見たのに、「帰りましょ」と言う。俺の居場所はここしかないのに……ここが帰る場所じゃないのか?

 分からない。この世は分からないことだらけだ。不可思議なことだらけで頭がついていかない。
 教えてくれ、どうしてアンタは俺を連れて行こうとする。誰なんだ、君は。
 なんで、どうして、どこに……そればかりが頭に流れてくる。


 どうして、こんなにも…………








 目が覚めた時はまた冷たい部屋にいた。あれは何だったのだろうか。顔に伝っているこれも何だろうか。触ると、指に水がついた。


━━涙……?


 初めて触った顔に伝っていたそれは涙。人が泣くときに出すと言われている。鬼の子の俺でもこんなのを流すのか、そう思うと目頭が暑くなり、また顔に伝ってきた。
 泣いているのか?何に対して?分からないが、涙は止まらなかった。鬼の子と言われても、俺は普通に人から産まれた存在。つまりは、あやふやな存在。人間か鬼なのか、そのどちらでもない俺はこれからどうすればいいのだろうか。
 訳の分からない思考が走る。どちらでもないが、ここから出るなんて出来ないのだから死ぬまでここにいるのだろう?なのに何故泣く?




『帰りましょ』





 もしかしたら、帰る場所があるのかとでも思っているのか?そんなのあるわけが………
 そう思うと更に涙が止まらくなり、もうどうしたらいいのか分からなくなった。

「………あ……………っ」

 舌はなくとも声を出すことは出来る俺はどうしようもない初めての感情に振り回され、声を荒げてその感情に従って泣いた。そんなときだ。


ガシャン━━


 何かが開く音が後ろから聞こえた。後ろを振り向くと、俺と同じくらいの歳と思える女の子がそこに立っていた。服は破られていたり汚れていたが、肌は何も汚れていなかった。まるで、わざと服を汚したかのような、そんな子が俺をジッと見ていた。左目は前髪で隠れているので多分見えていないだろうが、何故俺を見るのだろうか。


『あれ……この子…』


 起きる前に見た女の子にそっくり…いや、あの時の女の人だ。だが、それにしては小さい。もう少し身長が高かったような……着ている服も、あんな汚れた服ではなく、青と赤と白が印象に残った服だったのにどうしてこんなところに?聞こうにも喋れない。

 あぁ、あの時と同じだ。聞きたいのに聞けない。理由が知りたい。知りたいのに………もどかしくなる。


「ここよりもっといい所に、一緒に帰りましょ」


 昨日と同じような言葉がくる。そして、昨日と同じように手を差しのばされた。俺はその手を取り、彼女と一緒にまた冷たい部屋から飛び出た。
 涙はいつの間にか止まっていた。









 俺らは走った。ただ、ひたすらに走った。俺の知らない世界がここから先にあるのか、そう思うと躍動は止まらなかった。
 ずっと灰色の世界だったところが急に白色になり、目をふいに閉じた。だが、走っている足は彼女が引っ張っているおかげで止まらなかった。俺は徐々に目を開いて明るいそれを見た。
 そして、それが外の世界。俺は絶句した。上のほうを見ると赤白い何かが浮かんでいて、その上は青と赤が混じった何かがあり、そして、俺と彼女の前にある赤く染まって明るいものが俺らを照らしていた。俺の知っている《明るいもの》と言えば電球ぐらいしか知らない。


「あれが太陽です。明るいでしょ?今の状態は夕日です」


 ふいに彼女が俺に教えてくれた。後ろを振り向き、彼女が俺を見ながら笑う。すると、あのときの記憶と重なり、何故か彼女の目を離さず見てしまった。



 あれが雲、あれが空、赤くなっているのは夕日のせいで、《夕焼け空》と言うのです。

 これが土、それに刺さるようになっている緑のものが草、草の上について色々な色を持って咲かせているのが花、これが水、水から眩しく輝いているのが光━━━━



 走りながら指差しで色々なことを教えてくれる。時には立ち止まり、時には寄り道をしたり…………彼女は色々なことを教えてくれた。頭の中にそれの言葉・姿が入っていくのが無性に楽しかった。嬉しかった。
 …………あぁ、これが楽しい感情で、嬉しい感情なのか。それらの感情までもが俺には入っていたというのが驚きであり、有り難みを感じた。今までの俺だったらこんな世界があることも、自分の感情も知らなかったであろう。全て、彼女が教えてくれた。今度は何を教えてくれるのかが楽しみで仕方ない。
 あぁ、彼女はどうしてこんなにも教えてくれるんだろうか。こんな”鬼の子”と呼ばれる俺に、どうしてこんなにも………





 知りたい、君のことが










 どれくらい時間が経っただろうか。もう既に夕日は沈み、真っ暗な空になった。これを《夜》というらしい。そして、それに反するように小さく輝いているのが《星》、丸い形で光っているのが《月》……これも彼女から教わった。


「走ってばかりで疲れました。あなたも疲れていませんか?」


 息が荒くなっているのは《疲れている》せいらしい。確かに喉も乾いた。走ってばかりいると疲れてしまうのか、そう思いながら俺は頷いた。すると、彼女は辺りを見回し「あそこに行きましょ」と指を差した場所に向かって歩いた。そこには俺にはよく分からないものが沢山あった。
 そして、また彼女は教えてくれた。


 ブランコ、滑り台、砂場、鉄棒………

「そして、喉が乾いたらこれを使って水を出します。これを捻りながらですよ」


 そういって水が出てきたそれを飲む。これは蛇口というものらしい。その次に俺が飲む。冷たい部屋で飲むものよりも美味しかった。
 それからはベンチに座り、疲れを癒やした。しばらくすると、彼女が「遊びませんか?」と言った。俺は”遊び”というのを知らなく、首を傾げた。彼女は、うーん、と唸ったあとにベンチから立ちあがり俺の前に立った。


「遊びとは、何事をも楽しむことです!鬼ごっこしましょ。初めてなので、あなたは始めは私から逃げ回ってください。私に捕まったら次はあなたが鬼の番になり、私を捕まえてください。これを繰り返す遊びです。分かりましたか?」


 鬼ごっこ、と聞いたときは少し焦った。だが、これは《遊び》というもの。俺が鬼だからではない、そう願う。
 俺は彼女の言うとおりに彼女から逃げた。彼女はそれを追いかける。最初は逃げるために軽く走っていたが、彼女にあっさりと捕まえられ、彼女が逃げる。俺は何だか負けた気がして彼女を追いかけて捕まえる。それを繰り返していたら段々と面白くなっていき、滑り台の上に行ったり、ブランコに乗ったり、木の後ろに隠れて時間を稼いだりなど………何だか本当に楽しくなっていき、彼女の笑い声が響き渡る。俺も、喋りは出来ないが、表情でそれを示そうとした。



 こんな楽しい日が何時までも続けばいいのに

 この世が彼女と俺だけの世界だけだったらいいのに



 そう思ってしまうくらい楽しかった。
 だが、時間というものは時に残酷で………月から太陽に代わる時間がきた。



「いたぞ!」



 後ろを振り向くと、冷たい部屋に居たとき蔑んだ目で俺のことを「鬼の子」と呼ぶヤツらが来た。

 逃げなきゃ。でも、どこに━━

 あっという間に俺と彼女はそいつ等に囲まれてしまった。
 楽しい時間が、一瞬にしてどん底に突き落とされた。すると、彼女が俺の手を引っ張り囁く。


「ごめんなさい」


 俺は彼女が泣きそうな顔になったことを悟った。不思議とそう伝わった。俺は彼女に笑いかけて舌のない口で言う。伝わってくれ、そう思いながら口を動かす。



ありがとう



 俺は冷たい部屋のヤツらに手を引っ張られ、もう片方の手を握られていた彼女の手が離される。彼女の体温が、温もりが逃げないように左手を握りしめる。

 俺と彼女の記憶は、あの時綺麗に輝いていた夕日に預けよう。
 そして、いつの日か………この左手でもう一度、彼女の手を握ろう。今度は俺から握ってやる。




 だから、今は、抗うことなく、コイツらに従おう。

 いつか隙が出来たら、ここから抜け出して




君を探しに行く。






━━━━━













 それから何十年かした後に俺は本当にあの灰色の世界から抜け出した。そしてすぐに、彼女を探した。


 あの時行った公園に行くと、彼女がベンチに座っていた。不思議と心が躍動し、あの時と同じ感覚が蘇る。
 今度はちゃんと舌もある。言葉も出せる。ちゃんと聞きたいことを聞こう。

 そう心に決めて俺は彼女がいるベンチに向かって歩いた。




━━━━━━━








「なぁ、何であの時、俺に色々教えてくれたんだ?何で、抜け出させてくれたんだ?」
「それは昔、あなたが無知の私に色々と世の中のことを教えて下さったからですよ、海賊さん」



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