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白の世界 - 7



またコイツか、という感情しか湧かない。この訳の分からない女と出会ってから、もう四年が経つと思うと頭が痛くなる。

俺の表情が険しいことなど、黒いマスク越しだとしても見て取れるはずが、目の前の女子生徒は依然澄んだ瞳で見上げてくる。
鬱陶しい。頭がおかしいだけのくせに、まるで透明な存在かのような目をしているのは気に入らない。

「治崎先輩、こんにちは。本日の放課後は、ご予定いかがでしょうか?」
「もう聞きに来るなと言ったはずだ」

それも、一週間以上前に。なのにこの女、それからも毎日のように俺の前に現れ、同じ質問を繰り返している。要件はなんだったか、興味がなさすぎて忘れてしまった。

「困ります。もう貴方がご卒業なさるまで、時間がないではありませんか」
「だから?」
「貴方へ贈る卒業祝いです。私は貴方の御心がわかりませんから、選んだものは気に入って頂けないでしょう」

そういえばそんな話だった気がする。心底下らない。
たとえ気に入るようなものだったとしても、この女の情――あるいは執念のようなもの――がまとわりついていると思うと、気持ちが悪くて受け取れるわけもない。

「本当に無意味だ。諦めてくれ」
「信仰とは他者の言葉で変えられるものではありませんから……いくら貴方の御言葉でも、従いかねます」

――これだ。これが本当に気持ち悪い。



思えば出会った時から、いやに印象に残る奴だった。
中学の時、俺は三年でコイツは一年。病人どもに囲まれていた女は“無個性”だったらしく、確かにこの世代では珍しいが、それだけだ。英雄症候群に罹っていないだけ幾分マシな存在ではあっても、それを気に病んで自棄を起こして暮らすような人間は、それも一種の病だ。
しかしそこで出会った存在は、そんな話をゆうに超えていた。

これを病気とは呼ばない。信仰、依存、幻想、そういったものの混合物。
ただの信仰であればいい、勝手に好きな宗教にのめり込んでいろ。ただの依存であればいい、むしろ扱いやすい駒は好都合だ。ただの幻想であればいい、一度壊して治してしまえば、俺の本質などすぐにわかるだろう。
ただしそれがぐちゃぐちゃに混ざっているのが問題だ。

神を信仰し、俺に依存し、それを混同した夢を見ている。
俺を神であるかのように信仰し、神を俺であるかのように依存する。コイツが俺の前に現れる度、俺に向ける視線と言葉から思想を探ろうとする度に、余計にわからなくなっていく。もうそれも疲れてきた。

あと数日もすれば俺は学生なんて身分から解放される。親父のために、大手を振って裏社会を闊歩してやる。ようやくだ。こんなことで煩わされているほど暇じゃない。
この女は同校に在学する限り、事あるごとに俺の前に現れたが、俺が一足先に中学を卒業しコイツが後を追って入学するまでの間は、非常識に乗り込んで来るような人間ではなかった。

今度こそ、コイツが追ってこれない場所に俺が行くのだから、もう会うことはないだろう。

*  *

「治崎先輩、こんにちは。今日こそ、ご一緒して頂けますか?」
「ふざけるなよ、本当に……」

イライラと返せば大抵の学生は青ざめて逃げ出すはずだが、コイツは頭がおかしいので、ふざけてなどいません、と真面目くさった返事をした。

「いよいよ休日を挟んでしまえば、三年生は登校する機会もなくご卒業でしょう」
「そうだ。清々するな」
「おめでとうございます」

お前から解放されて、という意味だ。真っ向からの苛立ちも、遠回しの嫌味も通じない。

「お時間がないのでしたら、せめて何か欲しいものとか、趣味とか、好きなものとか……」
「ない」
「……そうですか」

相手は苦笑した。取りつく島もないと知ったか――と、思ったが、そいつは続けて。

「――やはり貴方も、そうなのですね」

と、呟いた。そして、なぜか少し嬉しそうに笑った。

どういう意味かわからず、眉をひそめる。もうこの場をやり過ごしてしまえば一生関わることはないのだから、その思想を探るのはやめようと決めていたはずが。

「気に障りましたか?」
「お前の言葉はいつもわけがわからない」
「そんなに難しいことは言っておりません」

相変わらずの瞳をパチリとさせてから、女は続けた。

「もしかしたら先輩も、私と同類なのかと思っていましたので……」
「調子に乗りすぎだな。俺とお前が同類?」

むしろ正反対と言われた方が納得する。
俺は神など信じない、他人に依存しない、現実を見ているから――親父のように、理想だけでは生き残れないと自覚している。

ええ、まあ、そうですね……と、言葉を探すように視線をフラフラさせている。

「なんと言えばいいのでしょう……私、貴方が私の神でもいいと思ったのです」
「お得意の宗教勧誘か」
「違います。逆の話です。私は、貴方の存在によって神を信じることが出来ましたが……それ以前に、私がこれまで信仰してきた神は存在せず、本当は貴方こそが神であると言われても、納得できると思ったのです。私に恵みを下さったのは、確かに貴方だけでしたから」
「話が見えないな。俺は神なんて信じていないし、必要ない」

結局そんな話か、であれば下らない――と、一笑してやろうと思ったのだ。


「先輩は、神を信じていないのではなく、そのように信じるお方が、既にいらっしゃるのではないかと思っていました」


と、突然そうして核心を突かれるまでは。

「……なに?」
「私には既に、唯一の神がいらっしゃいますから、貴方のことも貴方の信じる方のことも、絶対の存在だとは思えませんが……貴方は私達の神ではない何かを、もう見つけておられるように思えたのです」

まさか。この女が俺のことを、俺の生い立ちを、俺達のことを知るはずがない。
その証拠に、次の台詞はまるで見当違いな話だった。

「そういえば、個性を病気と称する先輩の思想について、調べてみたことがあります。独特なお考えだと思いましたが、書籍にもなっている思想なのですね。最初は、その作者に傾倒されているのかと思いましたが、そうではないと思い直しました。私のお伝えした御言葉を、貴方が受け入れる理由がありませんから。唯一の方の言葉を、他の神で補強する必要などありませんもの」

俺のことなど知りもしないのに、何をもってコイツは、ここまで入り込もうとしている?
俺を……理解しようとしている?

「そもそも貴方の世界には、どなたが存在するのでしょうか……貴方と、貴方の信じるお方と」
「……お前の世界とやらはどうなんだ」
「いつも申し上げているではありませんか」

そして、いつものように、まるで透明な存在であるかのように笑う。


「――私の世界には、私と、神と、貴方だけです」
「……そうか、なるほど」

この時初めて、俺はそいつの世界を見た。
自分と、信じるものだけが存在する世界――あまりに、美しいように思えた。

「お前は……本当に、それだけなんだろうな」

少し面白いことがわかった気がして、ぽつりと呟いた。
すると少女は瞬き一つして、瞳をきらと輝かせた。

「あら……珍しく嬉しそうにされましたね!」
「ああ、お前がただの馬鹿ではないとわかってな」
「心外です。私はいつでも、先輩のお役に立ちたいと思考を巡らせております」
「無駄な事だ。やめてくれ」

俺と、あの人だけが存在する世界――か。今はまだ少し、噛み合っていないけれど、いつか……コイツの見る世界と、同じように。

そこに、この頭がおかしくて、馬鹿で力もなくて、ゆえに穢れることさえ知らない女がいるというのは――存外、悪くないかもしれない。
コイツと俺が同類なら、お前は俺を裏切らないだろうから。


「……そのうち、お前にも会わせてやる。神なんて不確かで傲慢で当てにならない存在より、もっと……大切な人だ」
「ふふ、そうですか。とても楽しみです。けれど私はきっと、そのお方に会っても心変わりはしませんよ。私には神と、神に与えられた貴方がいれば、それで十分足りるのです」

なぜか誇らしげに言う。

信仰と、依存と、幻想。コイツのそれは複雑に絡んでいるように見えて、そうではなかったのかもしれない。ただコイツの中に、それを捧げるに足る存在が、数える程しかなかっただけで。
そして俺も同類なら、俺はお前より、誰よりもっと深く、親父のために生きていることの証明になる。

都合がいい。『貧しいものは幸い』であり、この世は病人が多すぎる。
そのせいで俺達が生き辛いんだ。ひっくり返してやりさえすれば、俺達は、親父は、また返り咲く。必ず。

「卒業祝い、と言っていたな」
「えっ。欲しいもの、決まりましたか?」
「……お前がこの条件を飲むと言うなら、お前を俺の世界とやらにいれてやってもいい」

女は不思議そうに首を傾げた。卒業祝いとなんの関係があるのかわからなかったのかもしれない。
けれどコイツは俺のことを、信仰し依存し夢見ているので、疑問のひとつも言わないだろう。

「なんなりと」
「お前は、何も考えなくていい。俺の言うことを聞いて、俺を待っていればいい。それだけでいい……簡単なことだろう?」

未だ名前すら覚えていない彼女は、そんな俺に向けて、当然のように応える。

「わかりました。貴方の御言葉もまた、私にとって疑うものではありません」

*  *

ただの信仰ではないから、俺の行いを“罪深い”と称する。
ただの依存ではないから、俺の許可なく踏み込んでこない。
ただの幻想ではないから、この不毛な関係に名を付けて昇華しようとはしない。

元々、俺の心中を推し量ろうとするだけの頭はある女だった。それが言われるがままに、素直で馬鹿で俺がいなければ生きられない人間になっていく。
何も知らないことを知った上で、それが罪であると自覚した上で、俺の言葉を疑わず透明の瞳のままでいる。

この穢れた世界が治ったら、俺の唯一の人が目覚めたら、お前に少しくらい触れてみても、そう気分は悪くないかもしれない。



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